ホームページメッセージ 2004・ 6・20 小 石 泉
子育ての秘訣
昨日、犬と散歩していたら、小学生の女の子が二人、盛んに道路の金網を蹴っていました。まるで気違いのように蹴っているので一部は壊れかけていました。何をしているのだろうと思ってみていましたが、ただ蹴るのが面白いだけらしいのです。私は何をしているのかと尋ね、止めなさいと言って止めさせました。一瞬、この少女たちもカッターナイフで友達を殺しかねないと思いました。
今、日本の家庭と教育の現場で大変なことが起こっています。子供をどう育てて良いのか判らないのです。とにかくしかってはいけません、優しく育てなさいと下らない教育方針が教えられて、子供をしかる人が居なくなりました。戦後の日本は子育てに失敗しています。これは学校以前の幼児の時代にしなければならないことなのです。それは子供にもっと厳しく当たらなければならないのです。
むちを加えない者はその子を憎むのである、子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる。箴言13:14
愚かなことが子供の心の中につながれている、懲らしめのむちは、これを遠く追いだす。22:15
子を懲らすことを、さし控えてはならない、むちで彼を打っても死ぬことはない。もし、むちで彼を打つならば、その命を陰府から救うことができる。23:13〜14
むちと戒めとは知恵を与える、わがままにさせた子はその母に恥をもたらす。29:15
これは聖書の教育方針と言ってもいいでしょう。しかし、世の学者たちは全く逆のことを教えます。その結果全く箸にも捧にもかからない子供たちが生まれてきます。
鞭というと何と残酷な、と思うでしょう。しかし、実は手で打つ方が子供の体には良くないのです。鞭は肉の表面だけですが手は骨に影響を与えます。
だからといって、いわゆる幼児虐待を勧めているわけではありません。上の御言葉は子を愛するなら、という前提があってのことなのです。もし子供を愛していないなら決して打ってはなりません。
私は自分の子供が幼い日、随分鞭打ちました。しかし、その後で抱きしめてあげました。私は今でも幼子が大好きで、スーパーなどでも可愛い赤ちゃんがいると思わずついて行ってしまうので、家内から注意されます。警戒されるからというのです。まして自分の子供はわくわくするほどうれしくて本当に可愛がりました。
スーパーなどで、金切り声で泣く子供を見かけることがあります。あれは親を脅迫しているのです。大声を上げれば自分の要求が通るということを知っているのです。こういう場合絶対に子供の要求に応じてはならないのです。駄目は駄目、良いことは良い。はっきりしないと子供が変になります。親が自分の基準を知らないために、子が自分で基準を見つけなければならないからです。親が確固とした基準を持っていると、子供は安心するのです。
もっとも、あまりにも親が自分の教育方針に自信を持っているために、子供が逆に変になったケースを見たことがあります。両親が教育者のその家庭では、子供に非常に厳格で、絶え間なしにチェックが行われていました。教会では親のそばに座って、背筋を伸ばしてきちんとお話を聞きましょう。それが大人の礼拝の中でも行われていました。これは子供にとって苦痛以外の何ものでもありません。案の状、その子は親の見ていないところではとても悪い子でした。いずれ登校拒否、家庭内暴力になることは目に見えていました。私は大人の礼拝に子供が座っているのを好みません。私の教会ではそういう時間は、子供は外で遊ぶようにします。そんな風に子供を制約しても、親より背が高くなったら教会になんか寄り付きもしませんよ。
子供の教育の基本は第一に人間は罪人だということを教えることです。だからイエス様が十字架についてくださったのだと教えるとどんな子供でも判るものです。子供の心にはわがまま、自己中心といった罪悪が宿っています。それを表したとき、許してはなりません。
普通の良い子が突然恐ろしいことをする。それは根本的に間違っています。良い子なんて初めからいないのです。ただ良い子ぶっているだけです。親が良い親を演技しているなら、子供は良い子を演技します。それはただ演技であって、本当は別の心があるのです。
日本人は「あなたは人間らしくしなさい」と教えるが、ユダヤ人は「あなたは人間だから駄目なのだ」と教えると聞いたことがありますが、それは聖書からも言えるのです。
しかし、子供は可愛いものです。無辜、無邪気、イノセント、色々にいえるでしょう。それはまだ白紙だが悪に染まりやすい心です。イエス様は次のように言われています。
イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちはそれを見て、彼らをたしなめた。するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。ルカ18:15〜17
子育てはすばらしい特権です。子供は神様から私たちがいただく最高のプレゼントです。しかし、しばしば神様からのプレゼントがそうであるように、それは未完成です。完成させる責任は私たち親にあるのです。