メッセージ 2004・6・6 小 石 泉
慟 哭
ああ、わたしの頭が水となり、わたしの目が涙の泉となればよいのに。そうすれば、わたしは民の娘の殺された者のために昼も夜も嘆くことができる。エレミヤ9:1
今週、火曜日に起きた佐世保の小学生の女子児童による殺人事件に非常なショックを受けました。私はこの事件は昔なら全国民が数日間、喪に服すほどの事件だと思います。この事件だけでなく、先に起こった中学生による幼児の投げ落とし事件。酒鬼薔薇事件。これらの恐ろしい事件は世界でもまれに見る凶悪事件ではないでしょうか。しかも、それらがほんの子供たちによって起こされているということが驚きです。こんなことは世界では日常茶飯に起こっているのでしょうか。いや、歴史上、頻繁に起こっていたのでしょうか。
わが民の娘の滅びによって、わたしの目には涙の川が流れています。わが目は絶えず涙を注ぎ出して、やむことなく、主が天から見おろして、顧みられる時にまで及ぶでしょう。エレミヤ哀歌3:48〜50
11歳の少女が友人をカッターナイフで、のどを掻っ切り、死に至らす、何と言う恐るべき事件でしょうか。もちろん、世界には多くの凶悪事件があります。人類の最初の家族の長男は次男を殺しました。しかし、11歳の少女ですよ! 私は殺された少女について耐え難い哀悼の心を持つのはもちろんですが、殺した少女の方にもっと大きな問題を感じるのです。私はこの子供たちの心の空虚さと暗黒を恐れずには居られません。およそ人間は人を殺すという極限の犯罪に対する恐怖心を持っているはずです。それが社会の基本にあるから生きて行けるのです。しかし、そのハードルが取り払われたとき、もはや社会には秩序というものは無くなります。実に日本はまれに見るサタンの優等生になってしまったのです。恐らくこのような風潮をこのままにしておけば、これからもっともっと頻繁にこの種の事件は起こるでしょう。私は今、何も手につかないほど思い悩んでいます。どうしてもっと日本の社会全体がこの問題を重大視しないのか理解できません。これらの問題の根源は神への不信仰、偶像礼拝から来ていると私は信じます。
なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。ローマ1:21〜24
日本人の場合、この御言葉よりさらに深刻です。なぜなら「彼らは神を知っていな」いのです。神の無いところでは「思いはむなしくなり」「無知な心は暗くなる」のです。まさに日本の教育の場がそのまま表現されています。彼らは修学旅行で「朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像」をさんざん見せられます。そして今では欧米でも大いに疑われるようになった進化論を、いまだに真理として教えています。
人間がもともとアミーバから発生し、猿から進化したと教えながら、人間の命の尊さを教えても矛盾するだけです。牛を殺すことが良くて人間を殺すことがなぜ悪いのか決して満足のいく説明は出来ないでしょう。
愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき不義をおこなった。善を行う者はない。神は天から人の子を見おろして、賢い者、神を尋ね求める者があるかないかを見られた。彼らは皆そむき、みなひとしく堕落した。善を行う者はない、ひとりもない。悪を行う者は悟りがないのか。彼らは物食うようにわが民を食らい、また神を呼ぶことをしない。彼らは恐るべきことのない時に大いに恐れた。神はよこしまな者の骨を散らされるからである。神が彼らを捨てられるので、彼らは恥をこうむるであろう。詩篇53:1〜5
悔い改めなさい。神を信じなさい。神などいるかというなら、その信仰で子供たちを救ってみなさい。子供たちに希望と生きる喜びを与えて見なさい。私たちは出来ます。私たちに子供たちを任せてください。子供たちに希望と生きる喜びを与えて見せますよ。
不信仰と罪悪のはびこる国には、神は悩みと困難を与えて悔い改める機会を与えます。子供がその国の未来を表しています。彼らが大人になるのです。大人が日本の将来を担うわけではありません。
まだ、神なしで生きますか? まだ、神への従順、信仰、感謝、敬愛を拒絶しますか?
まだ、自信があるのですか? まだ、何とかなると思っていますか? 何時、目覚めるのですか? どこまで破壊されたら気がつくのですか? もう手遅れになりますよ。