メッセージ     2004・5・2      小 石 泉

神の子って何だろう


 映画「パッション オブ クライスト」を見て深く考えさせられたことがあります。それは“神の子って何だろう”ということです。映画自体は素晴らしいと思いました。ほとんど聖書に忠実で、まるで動く福音書だと思いました。残酷といわれるシーンも、実際はもっと残酷だっただろうし、良くぞここまで描いてくれたと思いました。
 それにしても、不思議ですね。天地を創造した神の御子が、広大な宇宙の中のこの小さな地球に来られて、当然、主張できる支配権を主張しないで、罪人として裁かれ、鞭打たれ、十字架に死なれたのです。多くの宗教の創設者が多くの人々の賞賛の内に死んでいったのと全く反対です。もっとも彼らが誰も出来なかった復活をされたのですが。
 地球の歴史のある時、神が訪れた。しかし、この星の住民はその方を苦しめ、殺した。何という矛盾、何という逆説。しかし、誰がそんなことを信じるだろうか。

 だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。 イザヤ53:1〜:12


 聖書は神の子の来臨を700年も前に正確に預言していました。注意深く、誠実な人なら間違いなく彼を見分けることが出来たはずですが、人間の先入観によって人々は彼を見間違えました。奇妙なことにその間違いが、実は人類の救いとなりました。
 神の子は人類の「とがのために打たれて、生けるものの地から断たれたの」です。「彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる」のでした。
もしイエス様が自分を神の子ではないと言ったら、十字架に掛かることもなく、もっと多くの人に信じられたでしょう。特に日本ではそうでしょう。大方の日本人から見たら、キリスト教とはなんと無茶苦茶なことを信じろという宗教なのでしょう。まるでこっけいです。大体、神なんて居るの? その神なるものには子がいるの? では母親は? 神が人となった? 処女から生まれた? 何で神が罪人のように十字架に掛かった? まるで荒唐無稽じゃあないか。私は本当にそう言って笑われたことがあります。

十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。Tコリント1:18

 神の子が人となったのは、ただ、神の愛の故です。人を罪の闇から救うのはそれ以外に方法はなかったのです。人間にとって決して解決できない問題は罪です。
 今、世界では、遠い昔、宇宙人が地球に来て類人猿から少し進化した原始人に文明を与え、去って行ったというお話がでっち上げられています。その宇宙人は人間に憎しみ、殺人、戦争、差別なども残して行ったのでしょうか。彼らはその解決手段を教えてはくれなかったのでしょうか。今も世界のいたるところで血が流され、不法ははびこり、憎しみは炎となっています。宇宙人などというおとぎ話は何の解決も与えてはくれないのです。もうじき彼らは宇宙人が再び帰ってくると言うでしょうが、罪と悪をどうするかは何も言いません。罪と悪を消し去ることは主イエス以外に誰にも出来ません。彼らはそういうことに関心は持っていないのです。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3:16

 神はひとり子を下さいました。私たちの罪の身代わりとして十字架刑にするために。宇宙人は罪の解決を与えてくれなかったのですが、神は与えてくださいました。それもご自分の分身、ひとり子を通して、自分自身を傷つけ、懲らしめ、刑罰を与えることによって。
 間もなく、神の御子はもう一度この世界に来られます。今度は罪を贖うためではなく、罪びとを裁くために。神の意思をこの地上に行うために。