メッセージ 2004・1・25 小 石 泉
聖書の神は残虐か
聖書は血なまぐさい書物で、聖書の神は残虐だ。最近、こういう言葉を聞きました。とてもショックでした。私はその方の言っていることが、分かるからです。確かに旧約聖書にはそうとしか受け取れない聖書の記事があります。
まずノアの洪水がそうです。日曜学校では沢山の動物が箱舟に集められて、大雨が降り、箱舟はアララテ山に着きました。めでたし、めでたし、と話します。しかし、その実は数千万、数億人の人類が溺死したのです。その死体の山については語りません。
次にモーセに率いられエジプトを脱出したイスラエル民族に対して、神はカナン、現在のパレスチナに住む住民を皆殺しにせよと命じます。これなどは現在のパレスチナとイスラエルの紛争の元になっているとさえ考えられるので深刻な問題です。
これまで私は、当時のパレスチナには性病、伝染病、近親相姦、性的な堕落、劣性遺伝、暴虐、奴隷制などが蔓延していたので消毒が必要だったのだ、と説明してきました。聖書でも新改訳聖書は「聖絶」という言葉を作り出して、なんとかつじつまあわせをしようと苦心しています。しかし、まったくキリスト教には関係なく生きてきた人が、このような聖書の記事に出会ったとき、驚くとともに嫌悪感を持つことは十分に理解できるのです。
それでいて新約聖書はイエスというたぐいまれな個性を通して愛と哀れみに満ちた神を語ります。そしてイエスの父なる神は旧約聖書の神と同一だというのですから、すっかり混乱してしまいます。無理も無いことです。
キリスト教会はこれまでこの問題についてはそれほど関心を払いませんでした。神のなさることに間違いは無い。罪は裁かれるのだ。このような、見ようによっては、冷酷で残虐な結論で片付けてきました。ところが実際にイスラエルとパレスチナの対立が起こるとともに聖書のこういう側面をこれまでのように受け止めることが難しくなりました。
私は最近、まったく新しい説明を聞きました。その説明は私にはこの問題を解決する唯一の説明だと思いました。しかし、その説明は大変な問題を含んでいます。それは第一に聖書には明確に書いてなく、これまでの教会のどんな神学者も言ったことの無いものだったのです。私がこの説明をすれば、恐らく私は異端の烙印を押されるでしょう。そしていよいよ、おかしな牧師、危険な思想家と言われるでしょう。しかし、幸い、昨年末に教会を息子に渡し、私自身はかなり自由の身となりましたので、あえてここに書いてみようと思います。
それは元サタン礼拝者で、キリストにより救われたシスコ・ウイーラーさんによって私にもたらされたものです。
人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
創世記6:1〜:4
ここは聖書の中で最も難解なところと言われています。この神の子というのが何を指すのか論議を呼ぶのです。一般にはアダムの第三子セツの子孫といわれます。しかし、それでは全くこの箇所の意味が分かりません。ましてネピリムが生まれ、それは巨人を意味すると言うことの説明はまったく出来ません。(この巨人については書き出すと非常に長くなってしまうので省略します)そこでしぶしぶ天使と認めるというのが常道です。
この神の子という言葉は他にもいくつか出てきますが、一番有名なのはヨブ記です。
ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。ヨブ1:6
ここは明らかに天使のことであり、なんとサタンまでが神の前に出てきます。ですから創世記のこの箇所は天使、それも神に反逆した堕落天使だと思われます。
さて、そうすると問題になるのが次のイエス様の言葉です。
復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。マタイ22:30
ここから天使には雌雄の別は無く、結婚はせず、人間の女に子供を産ませるのは不可能のはずだというのです。しかし、ここでイエス様は天のことを言っているのです。天ではそうだといっているのであって、天使が地上に来たときのことを言っているのではありません。
シスコさんはサタン礼拝者として多くの悪霊、堕落天使と交流した人です。そしてもちろんこの箇所は堕落天使のことだと言います。昔、堕落天使が地上に来て人間の女に子供を生ませたのです。それは巨人でした。そうすると天使にもDNAがあるのでしょうか。シスコさんはあると言います。
私たちは天使について多くを知りません。聖書は天使の創造や構成、人数、働きについては多くを語りません。そこで私たちは、天使は霊的な存在で、人間とはまったく別の被造物だと思い込んでいます。しかし、天使がDNAを持つ実際的な存在だとしても、間違いだといえないはずです。(こういうと自ら健全な信仰に立つと自認する、知識的クリスチャンたちが眉をひそめて、困ったものだと言うのが目に見えるようです。しかし、彼らは、何でも知っているように振舞いますが、実は何にも知らないのです。)
さて、いよいよ本題に入ります。この堕落天使と人間の混血はその後広範に拡大しました。そしてついに人類のほとんどが何らかの形で悪霊のDNAを持つようになったというのです。ノアについて聖書は次のような言葉を書いています。
ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。創世記6:9
この「全き人」すなわち完全な人と言う言葉ですが、一般には道徳的にも人格的にも完全な人と思われています。しかし、パウロは「義人はいない一人もいない。」と言っていますし、ノアはその後ぶどう酒に酔っ払って素っ裸で寝てしまうという醜態を演じています。どこが「完全な人」だったのでしょうか。これをDNAが完全な人だったと考えると全くつじつまが合ってきます。もちろん私はこんな解釈が途方も無く大胆で危険なものであることは百も承知です。しかし、それなら納得がいくのです。神がせっかくお造りになった人類を皆殺しにしなければならなかった訳が分かるのです。
さらにモーセに率いられてエジプトを脱出した後に、カナンの地の民を絶滅せよと命じていますが、これも悪霊、堕落天使のDNAを持つ民族を滅ぼすと言う目的のためだったとシスコさんは言います。
すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。申命記7:2
言うなれば、彼らは人間の形をしていますが悪霊との混血児であって、純粋な人間ではなかったのです。神はそれを許すことは出来ませんでした。サタンは人間の弱みを巧みに突いて、神の創造を汚したのです。驚くべき反逆、恐るべき知恵です。そこで神はサタンの業を打ち壊したのです。
さて、あなたはこの奇想天外な解釈をどう思われますか。私はこの話が全く正しいかどうか分かりません。しかし、なんだか私の中にあったわだかまりが氷解したように感じるのです。いつか何が正しいか神ご自身が教えてくれるでしょう。
それにしてもこのようなことが聖書に全く書かれていないのはなぜでしょうか。私はそのこともシスコさんから聞いています。しかし、これについてはもう少し自分で研究してから発表したいと思います。
(これは礼拝説教ではなくこのホームページのために特別に書かれたものです。)
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