メッセージ  2003・11・23     小  石   

人が一人でいるのは良くない

 私は今月、伝道者になって初めて5週間ほどお休みをいただきました。そして自分をスタートラインから見直す機会を得ました。本当に微力で何も出来ませんでした。というより何か自分の賜物を間違えていたような気がします。やり残した事ばかりです。特にやり残したと思うことは配偶者の救いでした。教会には幾人かの婦人たちが一人で来ています。本当は御主人と一緒に来ていただきたいのです。

 最近読んだ「愚かな女は騒がしい、賢い男はめずらしい」という本の中にこんな事が書かれています。創世記で神様が天地を創造したときのことです。

そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。1:31

 非常に良かった。それは完璧でした、一つを除いては。

その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」2:18

 人間が一人でいることは良くなかったのです。こうして女が作られ、人間は結婚して一体となります。なお、この助け手という言葉は原語では援軍を意味します。

それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。2:24

 これが神様の作られた結婚の法則です。ところが教会では二人は一体ではないのです。日曜日の午前中二人は別々です。これは考えてみると深刻な問題です。御主人たちも何だか分からない群れの中に自分の妻がいるということはあまり居心地がいいことはないでしょう。それなりに寛容と忍耐を持って許しているのです。これが逆に妻が未信者の場合はもっと深刻です。

 クリスチャンの配偶者をもっている人々はそのことをもっと感謝しなければなりません。そしてこれらの人々のために祈らなければなりません。聖書はこう言っています。

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。使徒16:31

ここで言う家族の救いは最後の審判の時を意味しているのでしょうか、それとも普通の日常生活の中で家族がキリストを信じて救われていくことを言っているのでしょうか。私たちとしては後者であって欲しいのです。しかし、日本においては、これはなかなか難しいことです。いや日本だけではありません、パウロ先生でさえそう言っているのです。

次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。――もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい。――また夫は妻を離別してはいけません。次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのようなばあいには、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。Tコリント7:10〜16

 この箇所はパウロ先生が非常に消極的に結婚を語っているので、まるで結婚しないほうが正しいように思われるところです。しかし、この後すぐに教会への大迫害が起こり、それこそ結婚どころではなくなったという歴史的な背景がありますから、そのまま現在に当てはめることはできません。 それにしても「妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。」という言葉はかなり落胆させます。

 確かに、簡単なことではありません。しかし、現実に多くの方々が配偶者を救いに導いています。それには多くの祈りと愛と献身が必要だったことでしょう。

 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」使徒1:8

 私たちが地の果てまで証人となったとしても、自分の家庭、エルサレムをないがしろにしてはならないのです。まずエルサレムから始めなければなりません。

 私はこれから私たちの教会の方々のエルサレムのために祈ろうと思います。皆さんも心を合わせて、必死で祈りましょう。まだ救われていない配偶者のために。両親のために。子供のために。親族のために。友人のために。こんな身近に宣教地があったのですから。