2003・11・16 小石 泉
完了した
イエス様が十字架上で最後に言われた「完了した」テタラスタイと言う言葉についてユダヤ人のフルクテンバウム師は面白いことを話している。最近イスラエルで発掘された当時の会計士の事務所から、借金の証文の束が出てきたという。その証文にはみんなテタラスタイ、テタラスタイと言う文字が書かれていた。もちろん借金が完済されたと言う意味である。
イエス様は私たちの罪の負債を神様に支払ってくださったのである。誤解しないでいただきたいのだが、イエス様は決してサタンに支払ったのではない。神様はサタンに借りなどあるわけがない。人間が勝手に罪を犯し、神様との関係を失ったということ、その借りをイエス様が十字架の上で支払ってくださった、テタラスタイ、完済してくださったのである。
マタイによる福音書18章の悪い僕は、王様から1万タラント借りていた。しかし、それを許してもらったのに、自分が貸した100デナリについては許さずに相手を牢獄に入れた。1タラントは金35kgだから1万タラントは現在の価格にして約5250億円である。(11/22現在int.net調べ)
なんと言う喩えだろうか。私たちの罪は5000億円にも相当すると言うのだ! あなたは払えますか?あなたはテタラスタイ出来ますか?
たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。詩篇49:8(新改訳) そのいのちをあがなうには、あまりに価高くて、それを満足に払うことができないからである。(口語訳)
こんなにも高価な価をイエス様は御自分の命を捧げて支払ってくださった。これがキリスト教というものである。これがわれわれの言う救いである。こんな貴い救いを他のものとは換えることは出来ない。そしてそんな救いを与えられたのだから他人を許さないでいることは出来ない。
「テタラスタイ!」「完了した!」イエス様の宣言は宇宙に鳴り響く。