2003・11・02  小石 泉

小児病棟


 私の人生で何が一番つらかったかというと、がんセンターで子供たちに会ったときほどつらかったことはない。もちろん戦中戦後の飢えもつらかったけど、平和な社会の真ん中で蝕まれてゆく自分の体と闘って、敗れてゆく少年少女を見たときほど悲しかったことはない。
 数週間前までは健康で明るい少年だったのです。サッカーが好きで選手になるのを夢見ていました。毎日自転車で駆け回っていました。それが足にちょっとした痛みがあり病院に行ったら・・・・・骨肉腫と言われて。
 そんな話を何人ものお母さんから聞いた。そして、先週あった足がない、手がない・・・・その無くなった足が痛いという。神経は覚えているのである。若い体はがん細胞を急速に増殖させる。そしてある日ベッドは空になる。「直って帰った」ことになって。
 “死”はもちろん“命”という言葉も使えない場所。みんな本当は知っているくせに、知らないように死という言葉を避けている。ある母親は死んだ後でさえ、まるでその子が死んでいないように振舞っていた。みんな死を恐れていた。私は永遠の命について話した。子供たちはすぐに信じる。しかし、私はつかれきったしまった。そして私がある子供に、病院がひた隠しにしていたその子供の友達の死を、「彼は死んだけど永遠の命を持って天国にいるんだよ」と話したことが病院に伝わり、病院から怒られたことを幸い逃げ出してしまった。耐えられなかった。
 夜、暗い病室で子供たちは何を考えているのだろう。あるお母さんの言葉が忘れられない。「いやですね。自分がこの世から居なくなってしまうなんて、とてもいやです。耐えられないほどいやです。」「いいえ、お母さん私たちは神様の前に行くんですよ。決して無くなってしまうんではないのです。」しかし、分かってくれなかった。私にはやり残した仕事がある。(川のように海のようにより)