2003・10・26 小石 泉
祈 り
あなたは祈りの時、本当の神の臨在を経験したことがあるだろうか。あの厳粛な空気を知っているだろうか。優しく、暖かく心を包む、目に見えない主の御手を覚えただろうか。言葉を出すこともはばかる無言の雄弁を聞いただろうか。居たたまれないほど恥じ入った、罪の自分を見たことがあるだろうか。祈りの内に、いつの間にか私を包んでいた平安は、薄いグレーのテントのように上にあった。賛美の内に喜びが色とりどりに舞う蝶のように私の周りに舞っていた。ほんのちょっと主が近づいてこられたので、私の魂はエデンの園のアダムとエバのようにあわてふためいた。言葉にも、思想にもならない、耐えられない思いが、川のように流れ出して、とどまることも知らぬようにあふれて行った。そして、ある日、地上のどんなものにも例えられない美しい神の都が、一瞬だったが見えたのではなかったか。そのように、祈りは神と人との接点である。祈りはそのように奇跡である。
祈りとアンテナ
中央高速を須玉インターで降りて佐久に向かって走ると、清里を過ぎるあたりに大きなバラボラアンテナが見えてくる。これは日本一の電波望遠鏡で、はるか遠くの星からのかすかな電波を捕らえようとしているのである。そこでは毎日二四時間休む間もなく天文学者たちが星からの電波を受けて宇宙の仕組みや、もしかしたら人間のような生物からの電波はないかと調べている。しかし彼らは宇宙の創造者からの信号には気づきそうもない。宇宙は神によって創造され、その神は愛であるということはなんと言う慰めだろう。この神との交信はバラボラアンテナではなく祈りでするのです。
随想集「川のように海のように」より