2003・10・19  小石 泉

ポケットの青空(今週の説教はお休みです)

 私たちは聖霊を宿す神の宮であると言われて、本当にそうだと実感したことがあるだろうか。私は自分で説教しながら、わからなかった。理屈では分かるのだが感覚的にピンと来なかったのである。ところがふとしたことから、もしかしたらこういう事かなという思う感じを持った。
 私たちの中にひとつの裂け目がある。この裂け目は天につながっている。ちょうどクレバスの底から空を見上げるように、私たちの内なる空間は天と直結している。言わば四次元の空間を持っているようなものである。
 ある日、私たちの内に永遠の全能者を住まわせる空間が生まれたのである。この空間(というか部分というか)は私たちの状態とは関係なく常に静かにそこに存在し続ける。青空を切り取ってポケットにしまっておくとでも言えば分かるだろうか。私たちがこのことに気づいて、この空間に注目し始めると、人は霊的になって行く。





目のない魚

 油壺の水族館を訪ねたとき、目のない魚というのを見た。薄いピンク色のその魚は、全く光のささない洞窟の中に住んでいるので目が退化して痕跡だけしか残っていない。しかし、この魚も子供のときは目があるのだという、それが大人になるにつれて無くなっていくのである。
 この説明を読んだとき、私は人間と同じだと思った。人間も子供のときは神様を見る目を持っている。日曜学校に初めて来た子供でも「神さまはね・・・」と話しても「うんうん」とうなずいて「神さまって何?」などという質問はしないものである。彼らは本能的に神の存在を知っている。それが大人になるにつれ、その目は鈍くなり見えなくなってしまうのである。