メッセージ     2003・10・12          小 石  泉 

嵐の中で


 毎日、毎日、いやな事件が続きます。だんだん心が暗くなってきます。私たちがいくら神様の愛の中にいたとしても、この世に生きている以上、全く影響を受けないわけには行きません。地震や戦争、そしてこのごろのような暴虐な社会に生きることは大変です。周りを見渡すとまるで凶暴な猛獣の折の中にいるようではありませんか。そんな時どうしたら心の平安を保てるのでしょうか。

それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ、ご自分は、その間に群衆を解散させておられた。それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。夕方になったころ、舟は湖の真中に出ており、イエスだけが陸地におられた。イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれたが、そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった。しかし、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、叫び声をあげた。というのは、みなイエスを見ておびえてしまったからである。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。そして舟に乗り込まれると、風がやんだ。彼らの心中の驚きは非常なものであった。というのは、彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからである。彼らは湖を渡って、ゲネサレの地に着き、舟をつないだ。マルコ6:45〜53

 イエス様と別れた弟子たちは船でガリラヤ湖を渡っていました。ガリラヤ湖は海面下200メートルの窪地にあり、時々、突風が吹くそうです。弟子たちは漁師が大半ですが、それでもこぎ悩んでいました。夜中の3時ごろイエス様は海の上を歩いて近づいてこられました。
 この時、マルコは奇妙な言葉を書いています。「そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった。」イエス様は弟子たちが困っているのを見て近づいて来られたのに、通り過ぎようとされたとはどうしてでしょうか。復活の後で二人の弟子たちがエマオに向かう道の途中でイエス様が来られたときもそうでした。弟子たちに歩きながら真理を解き明かされていたのに、泊まるところまで来ると、さらにその先に行こうとされました。弟子たちが強いて引き止めなければ止まらなかったのです。
 私たちが困難な中にいるとき、イエス様は助けに来られます。しかし、私たちがイエス様を呼び求めるまでイエス様は助けの御手を控えられます。おそらくこれは非常に謙虚な御性質なのでしょう。私たちが何とかできるなら余計な手出しはしないのでしょう。本当に自分たちに果てに負えなくて「イエス様、助けてください」と呼ぶまで見ておられるのでしょう。決して意地悪なのではなく、人間の意志や力を尊重されるのです。
 イエス様が船に乗り込まれると、嵐は止みました。私たちの手に負えないどんな問題でも、イエス様に信頼して呼び求めるならたちどころに解決するのです。どんな暴虐、混乱、腐敗、戦乱の中でも、イエス様は来られます。道がなくても、海の上を歩いてでも来られます。イエス様は遠くの岸に居られるのだから、こんなところには到底来ることは出来ないと思っていた弟子たちの全く予想も出来ない方法でイエス様は助けに来てくださったのです。

さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」4:35〜41

 ここは良く似た箇所ですが、イエス様は初めから船の中にいました。そして同じように嵐になりました。その大嵐の中で何物にも乱されずにイエス様は寝ておられました。弟子たちは恐れおののいてイエス様を起こしました。するとイエス様は嵐をしかって黙らせたのです。イエス様のいるところには平安があり、どんな状況でも静める力があります。

それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。マタイ14:22〜33

 これは前のマルコの記事と同じ事件だと思います。ただその後にペテロの面白い記事があります。実はマルコはペテロから聞いた話しを書いたといわれています。それでこの箇所を省いたのでしょう。ペテロは自分も歩きたいとイエス様に求めます。この辺がいかにもペテロのひととなりを表すエピソードです。ペテロはイエス様を見ていたときは水の上を歩けたのに「風を見て、こわくなり、沈みかけた」のです。信仰とはイエス様を見続けることだと分かります。私たちの周囲がどんなに騒がしくてもイエス様を見続けるなら、水の上を歩けるのです。風や波を見て、要するに常識に頼っては水の上を歩くことは出来ません。もっともよほど切羽詰った時でないと、あまり水の上を歩く希望は持たないほうがいいでしょう。
 今は終わりの時代です。ますます暗闇の勢力は力を増すでしょう。サタンの働きが顕著になるでしょう。私たちはどうしたらいいのでしょうか。

彼から軍勢が起って、神殿と城郭を汚し、常供の燔祭を取り除き、荒す憎むべきものを立てるでしょう。彼は契約を破る者どもを、巧言をもってそそのかし、そむかせるが、自分の神を知る民は、堅く立って事を行います。民のうちの賢い人々は、多くの人を悟りに至らせます。それでも、彼らはしばらくの間、やいばにかかり、火に焼かれ、捕われ、かすめられなどして倒れます。その倒れるとき、彼らは少しの助けを獲ます。また多くの人が、巧言をもって彼らにくみするでしょう。また賢い者のうちのある者は、終りの時まで、自分を練り、清め、白くするために倒れるでしょう。終りはなお定まった時の来るまでこないからです。ダニエル11:31〜35

 どう考えてもこれはもう間もなく私たちが経験する事柄です。その時、私たちは、「自分の神を知る民は、堅く立って事を行います。民のうちの賢い人々は、多くの人を悟りに至らせます。」「また賢い者のうちのある者は、終りの時まで、自分を練り、清め、白くするために倒れるでしょう。」といわれる者の中にいるでしょうか。
 そして、次のようになります。

その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。 ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。12:1〜:4

「賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。」このような者となれるでしょうか。

彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。しかし、終りまであなたの道を行きなさい。あなたは休みに入り、定められた日の終りに立って、あなたの分を受けるでしょう」12:9〜13

「多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。」
 これが私たちの道です。そして天使はダニエルに言います。「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。」「しかし、終りまであなたの道を行きなさい。」
 その道にはいつも主イエスの守りがあります。