メッセージ 2003・10・05     小 石 泉
 
失われてはならない

 
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16

 これは聖書の中の聖書といわれる御言葉です。神様とイエス様の深い愛を一言で言い表しています。神様は愛であり、その愛は人間に最も注がれました。神と御子とは人間を救うために誰も考え付かなかった方法を実行されました。それは神が人のために死ぬという方法でした。これほど完全な救いはなく、これほど大きな愛はありません。イエス様はそのことを語らずにはいられませんでした。

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。15:13

 あなたのために死にます。あなたの罪を許すために私が命を捨てるのです。
 
 数日前に私たちの教会から車で5分ほどの貝塚の墓地で凶悪な事件が起こりました。16歳の少女が殺され火で焼かれました。恐ろしい事件でした。この少女のためにもイエス様は十字架にお掛かりになったのです。この少女も滅びてはならなかったのです。もちろん永遠の滅びに定められているかどうかは私たちには分かりませんが、少なくとも神の前から失われていたことは確かです。

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。Uペテロ3:9

 この少女だけではなく、殺した若者たちも同じように失われています。彼らはこれから一生の間この罪の咎を負って生きなければならず、その後に神様の裁きを受けなければならないのです。
 それにしてもどうしてこんなにも簡単に人を殺すのか。殺すということで何かが解決すると思ったのでしょうか。むしろもっと大きな問題を抱えてしまうことがどうして分からなかったのか。今はまるでノアの時代のようです。

地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。創世記6:11〜13

 正に地は暴虐に満ちてきました。間もなく第二のノアの洪水が起こるでしょう。
 
  それにしても私はショックでした。私たちの教会のこんな近くでこのような凶悪な事件が起きたのですから。
 教会は霊的なセンターでなければなりません。ちょっと誇大妄想的かもしれませんが、私は、教会はその地域を霊的に占領していなければならないと考えています。サタンや悪霊の働きを封じ込める霊的な権威を持っているべきだと思います。イエス様はこう言われました。

ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。マタイ16:18

 ハデスとは簡単に言えば地獄です。この岩、ペテロの信仰告白の上に築かれた教会は地獄の門にも打ち勝つのです。ですからこの地域を霊的に占領すべきです。本当にもっと力が欲しいです。
 それにしても若くしてむなしく死んだあの少女のような人々が、ほかにもまだ沢山いるのではないでしょうか。もっと、もっと祈り福音を伝えなければなりません。