2003.8.31  小石 泉

救いを与えよ(今週の説教はお休みです)


 日本には鬼という言葉がある。一方ヘブル語にもオニという言葉があってそれは「いやなもの、悲しいもの、恐ろしいもの」を表す。要するにほとんど同じ意味である。ヤコブの妻ラケルは二番目の子を産んで死ぬとき、その子をベノニ(ベン・オニ)“鬼の子”と呼んだ。姉との確執に推移した彼女の生涯は不幸だった。ヤコブはそれではあまりにも可哀想だと、その子の名をベニヤミン“右腕の子”と変えた。

 宅間という殺人犯の裁判のニュースは、テレビで見ていても、あまりにも恐ろしく、悲しく、切ない。これは鬼だ。鬼とは人間のことだったのかと思う。事件そのものも悲しいが、宅間という人間の心が恐ろしい。

 死んだ多くの幼い子供たちは、もうどうすることも出来ない。神様がこれらの魂を慈しみ、適切に扱われるだろう。問題はこの宅間の心である。何度、死刑にしても足りないだろう。しかし、本当の裁きはその後にある。

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。マタイ10:28

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、ヘブル9:27


 神はこのような罪人も正しく裁かれるだろう。しかし、殺された親から見れば不条理かもしれないが、もし宅間がイエス・キリストを信じるなら、救われるだろう。私には宅間がこのような心の闇を持ったままで死刑になっても、それでは何の解決にならないと思う。彼が神とキリストを知り、自分の罪深さを悔い改め、涙と共に謝罪しながら死んでいかなければ、あまりにも空しいと思う。何らかの方法で彼に聖書を贈ることが出来ないだろうかと思う。難しいだろうが。