あのチェルノブイリのように、日本の子供たちの心のメルトダウン(溶解)が進んでいるように思える。12歳の中学生が子供を殺す。女の子が無防備に危険なところに入って行く。心が凍りつくような寒々とした事件が頻発する。このままでは明日の日本は心配だ。世界的に見てもあまり例のない事態だと思う。もうこの流れを止めることは出来ないのだろうか。
床屋さんに行ったら、その話になった。そこにも小学4年生のお客さんが来るのだそうだが、体重80キロで母親に「抱っこ」というそうだ。じっとしていない、ドアを開けて出たり入ったり。悪態はつく、文句ばかり言う。それでも母親は何も言わない。何でも言いなり。とうとう、床屋さんは、うちには来ないでくれと断ったという。何だか子供たちが人間以外の何者かになってしまったみたいだと床屋の主人は言う。
親が親でないから子が子でなくなるのか。聖書にも子育てに失敗したケースがある。多くの場合偉大な父が失敗している。サムエルの師エリ。そしてサムエル自身も子供のことにかまっていられなかったらしい。ダビデもアブサロムの子育てに失敗した。聖書はそのことを端的に伝えている。
彼の父は彼が生れてこのかた一度も「なぜ、そのような事をするのか」と言って彼をたしなめたことがなかった。T列 1: 6 [口語訳]
こうしてみると子育てとは難しいものなのだと思う。優し過ぎてもいけないし、厳し過ぎてもいけない。その点、動物のほうがうまく子育てをする。
動物は子供が自分でえさを捕って生きていけるように育てる。人間も子供が自分ひとりで生きていけるように育てなければならない。「いつまでもあると思うな親と金。」昔の人はうまいことを言ったものだ。
子供は親のペットではない。一人の人格である。一人の責任ある人間に育てなければならない。それには、愛。本当の愛が必要だ。