2003・6・1  小石 泉

シスコ・ウイーラーさんのこと(今週の説教はお休みです)

 今日私たちの教会に来られた、シスコ・ウイ−ラーさんはアメリカの第17代大統領ユリシーズ・グラントのひ孫に当たる方です。しかし、彼女の家系は代々サタン礼拝者でした。彼女はその中でもサタン礼拝の特別な高位の女性祭司となるように赤ちゃんのときからマインドコントロールされました。その方法はすさまじいもので、多重人格を作らされるのです。私はその内容を聞いたとき、信じられないと言う思いと、そこまでしなければサタンは自分に忠実な僕を作ることが出来ないのかと驚きました。あの不可解な死を遂げたジョンベネちゃんはシスコさんによると、シスコさんより“ちょっと体が弱かった”のです。それに比べるとイエス様はただ愛によって世界中に忠実な僕を何億人も持っておられます。光と闇の世界の違いを見ました。

 しかし、そのようなマインドコントロールでも本当にサタンに忠実な僕は作れないのです。シスコさんは物質的な豊かさの中で、魂の安らぎを求めて飢え渇いておられました。そしてフリッツ・スプリングマイヤーさんによって、イエス様に導かれ、今はイエス・キリストのために命を捧げておられます。

 彼女がイエス様を信じて洗礼を受けたとき、それまであったスイス銀行の10億円の貯金が跡形もなく消えていたと言います。今はひどい貧乏暮らしですが、この世の君にたてついたのですから、当然と言えば当然でしょう。彼女は「私は今13年前の車に乗っているのよ」と言っておられますが、もしサタンに従順だったら、それこそベンツでもロールスロイスでも思いのまま、侍女が何人も居ると言う生活だったのです。帰りの空港でエコノミークラスのカウンターに行くので「サタンに従っていたらファーストクラスなのにね。」というと「でも天国には私のファーストクラスが待ってるわ。」と笑っていました。つくづく御言葉に従うことを思わされました。

それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」マルコ8:34〜38

 そして思うのです。私たちクリスチャンは信仰の世界に入ると、闇の世界のことは知りたくないし、なるべく避けようとするものです。確かに人間は弱いですから、信仰の益となるようなことを第一に求めるべきでしょう。しかし、サタンという敵が居ると言うことも事実なのです。私は敵が居ないように振舞うクリスチャンや指導者を見るとはらはらします。敵がどこに居て何をしているかを知っていれば安全です。サタンに立ち向かえと聖書は言っています。無視せよとは言っていません。私たちはネヘミヤのように片手に武器、片手に仕事の道具を持っているべきです。シスコさんとの交わりはいろいろと教えられることが多い日々でした。