メッセージ       2003・5・4      小 石  泉 

神 殿 と 王


今日はイスラエルの神殿について学びます。エジプトを出てから480年目にソロモンは神殿を建設しました。それまではテントの神殿だったのです。そしてこの神殿はソロモンというよりその父ダビデが全てを整えていたのでダビデの神殿と言っても過言ではありません。神様はその神殿建設を祝福しました。

そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった。「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行ない、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」6:11〜13

 そしてこの神殿が完成したときソロモンはすばらしい神への祈りと民への立派な勧めをしています。祈りのほうは長いので省略しますが8章の22節から53節までをお読みください。

こうして、ソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終わった。彼はそれまで、ひざまずいて、両手を天に差し伸ばしていた主の祭壇の前から立ち上がり、まっすぐ立って、イスラエルの全集団を大声で祝福して言った。「約束どおり、ご自分の民イスラエルに安住の地をお与えになった主はほむべきかな。しもべモーセを通して告げられた良い約束はみな、一つもたがわなかった。私たちの神、主は、私たちの先祖とともにおられたように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちを見捨てられませんように。私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と、おきてと、定めとを守るようにさせてください。私が主の御前で願ったことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの言い分や、御民イスラエルの言い分を正しく聞き入れてくださいますように。地上のすべての国々の民が、主こそ神であり、ほかに神はないことを知るようになるためです。あなたがたは、私たちの神、主と心を全く一つにし、主のおきてに歩み、今日のように、主の命令を守らなければならない。」8:54〜61

 ここまでは実にすばらしいのです。しかし、ソロモンはその後14年掛けて自分の宮殿を建てた後、信仰的には堕落してゆきます。1000人にも及ぶ妻をめとり、それぞれの妻の偶像に仕え始めたのです。11章をお読みください。これは実に心痛む物語です。
 そしてその後の王たちもソロモン以上に不信仰になり偶像に仕えました。どうしてそんなことになるのでしょうか。クリスチャンには理解できないことです。しかし、私は長い間、サタンのこの地上での働きを調べているうちに、現在でもそのような背信、反逆が欧米諸国で頻繁に行われているのを知りました。
 悲しいことですが、人間は神様の恵みに飽きるのです。明るい日ざしの中に居続けることにあき、暗闇を探りたくなるのです。これは多くのクリスチャンには理解できないことですし、ほとんど知られていないのですが、昔も今も人間は変わらないのです。
 さて、その結果、神様は祝福し喜ばれたソロモンの神殿を破壊することを許します。BC587年エルサレムはバビロンのネブカドネザルによって滅ぼされ、神殿は破壊されてしまいました。そしてユダ王朝の有力者たちはバビロンに捕囚として連れ去られます。それはただ、不信仰と反逆の結果です。私たちはここに神の峻厳な一面を見ます。ご自分の神殿すら、その民の有様によっては滅ぼされるのです。
 その後、BC458年ごろ帰還したエズラたちによって第二の神殿が建設されますが、その神殿はソロモンの神殿と比べるとあまりにも小さく、昔を知っている老人たちは泣いたとエズラ記3章には書かれています。
 その後、幾多の変遷の後に、エドム人ヘロデがユダヤ人の歓心を買うために立派な神殿を建設しました。それはイエス様の弟子たちがイエス様に注意をうながすほど立派なものでした。(マタイ24:1)これが第三神殿です。しかし、その神殿もイエス様の預言どおりにAD70年ローマの将軍テトウスによって完全に破壊されてしまいました。
 ところでエゼキエル書40章に不思議な神殿の設計図が書かれています。それは文字による設計図で詳細なものです。しかし、その第四神殿はまだ建設されたことがありません。その神殿は間もなく建設されるのです。今度はダビデではなく世界のユダヤ人の献金によってアメリカのフロリダにその全ての資材が整えられているといわれています。いつでもそれは建設可能なのです。レビ人の祭司としての訓練も行われているといいます。それは何時のことになるのでしょうか。その神殿は世界の終末の重要な舞台になるのです。
 ところでイエス様の十字架から50日目、ペンテコストの日に弟子たちに聖霊が下りました。そしてその時から新しい神殿が世界中に作られました。

あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
エペソ2:20〜2


 その神殿は私たちイエス・キリストを信じる者の中に建設されます。それはかつてユダヤという限られた地域にあった1つだけの神殿ではなく、生きた神殿として世界に何億とあるのです。この2000年間神殿はクリスチャンの中にあり続けました。

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。Tコリント6:19〜20

 私たちは動く神殿です。神を宿す宮だというのです。恐れ多いことです。
さて、ここでもう一度、どうしてイスラエルの神殿が破壊されたかを思い出してみましょう。それを防ぐ道はなかったのでしょうか。神殿が破壊された理由はイスラエル・ユダの不信仰と反逆でした。それは民族の罪ですがそれを指導したのは王たちでした。中には良い王もいましたが多くの場合不信仰で背信と反逆を繰り返しました。彼らは単に信仰が無かっただけでなくその生活においても邪悪でした。
ここにその中でも最悪だった二人の王について考えてみましょう。それはイスラエルの王だったアハブとマナセです。

オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。T列王16:29〜33

 アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデたちの偉大な信仰によって建設されたイスラエルの子孫たちはこのような驚くべき罪を犯しました。

 今、わたしはあなたにわざわいをもたらす。わたしはあなたの子孫を除き去り、アハブに属する小わっぱも奴隷も、自由の者も、イスラエルで絶ち滅ぼし、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バシャの家のようにする。それは、あなたがわたしの怒りを引き起こしたその怒りのため、イスラエルに罪を犯させたためだ。21:21〜22

ついに神様は預言者エリヤを通してアハブに裁きを告げます。するとどうでしょう、驚いたことにアハブは神様の前に悔い改めたのです。

アハブのように、裏切って主の目の前に悪を行なった者はだれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたからである。彼は偶像につき従い、主がイスラエル人の前から追い払われたエモリ人がしたとおりのことをして、忌みきらうべきことを大いに行なった。アハブは、これらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に荒布をまとい、断食をし、荒布を着て伏し、また、打ちしおれて歩いた。そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主のことばがあった。「あなたはアハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間は、わざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す。」21:25〜29

 あのように大きな罪を犯したアハブでさえ、悔い改めるなら神様は許されるのです! 何と驚くべき神の愛。神様は悔い改めるものを許さないではおられないのです。
 次にマナセについても見て行きましょう。

マナセは十二歳で王となり、エルサレムで五十五年間、王であった。彼は、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねて、主の目の前に悪を行なった。彼は、父ヒゼキヤが取りこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。彼は、主がかつて、「エルサレムにわたしの名がとこしえにあるように。」と言われた主の宮に、祭壇を築いたのである。こうして、彼は、主の宮の二つの庭に、天の万象のために、祭壇を築いた。また、彼はベン・ヒノムの谷で、自分の子どもたちに火の中をくぐらせ、卜占をし、まじないをし、呪術を行ない、霊媒や口寄せをして、主の目の前に悪を行ない、主の怒りを引き起こした。さらに、彼は自分が造った偶像の彫像を神の宮に安置した。神はかつてこの宮について、ダビデとその子ソロモンに言われた。「わたしは、この宮に、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだエルサレムに、わたしの名をとこしえに置く。もし彼らが、わたしの命じたすべてのこと、わたしがモーセを通して与えたすべての律法とおきてと定めとを、守り行ないさえするなら、わたしは、もう二度と、わたしがあなたがたの先祖たちのものと定めた地から、イスラエルを取り除かない。」しかし、マナセはユダとエルサレムの住民を迷わせて、主がイスラエル人の前で根絶やしにされた異邦人よりも、さらに悪いことを行なわせた。主はマナセとその民に語られたが、彼らは聞こうともしなかった。そこで、主はアッシリヤの王の配下にある将軍たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤で捕え、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。U暦代33:1〜13

 マナセに至っては神の神殿の中に偶像を置いたのです! 到底許されない罪です。しかし、「へりくだって、悔い改めるなら」神は許さないではおれないのです。なんという神の慈愛。
 秘訣はへりくだること、そして悔い改めることです。人は許さないでしょう。しかし、神は許します。私たちも常に神の前で完全ではありえません。しかし、へりくだって悔い改めるなら、神は許されます。それが希望です。いつでも神様は私たちがへりくだって悔い改めて帰ってくるのを待っておられるのです。