メッセージ      2003・3・9      小 石  泉 

神の愛に踏みとどまる


神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新改訳)

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(口語訳)

 For God so loved the world that He gave His only begotten Son, that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.(NKJV)ヨハネ3:16


 どんな言葉に訳されても、これほどすばらしく、これほど美しい言葉はありません。これこそ私たち人間の究極の希望なのです。神は私たちを愛して、ご自分の一人子をお与えになりました。これほど驚くべきストーリーは他にありません。どんな人でも御子を信じるなら罪許され、永遠の命が与えられるのです。ここにそう書かれています。そう約束されています。これがキリスト教であり、福音と言われるものです。あなたはそれを信じていますか? あなたはそれを持っていますか? あなたはそれを確信していますか? あなたはそこに止まっていますか?
さて、この世と訳されている言葉はギリシャ語ではコスモスという言葉です。それは神様が作られた宇宙万物を表しています。この被造物全体の要である人間の罪が宇宙を滅びにいたらせたのです。ですからこう書かれています  
被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。ローマ8:19〜22
 エバがサタンに誘惑されて、神様の愛の覆いの外に迷い出たときから、人間だけでなく宇宙全体が滅びに束縛されたとパウロは言っています。そして御子の贖いによる私たちの回復によって宇宙が回復するというのです。これはなんと驚くべき大きな問題でしょう。
 私は、人間が時々、神様では満足できなくなることがあるということを知りました。欧米には恵に飽きた人々がいます。日本では考えられないのですが、神の愛を良く知りながら神様に反逆することを喜ぶ人々がいるのです。それは旧約聖書のイスラエル人のようです。そしてそれはヤコブの長男エサウのような人々です。

さて、ヤコブが煮物を煮ているとき、エサウが飢え疲れて野から帰って来た。エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。」それゆえ、彼の名はエドムと呼ばれた。するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。」と言った。エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。」と言った。それでヤコブは、「まず、私に誓いなさい。」と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。創世記25:29〜34

 エサウは一杯の豆の煮物で貴重な長男の権利を売るという軽率な人でした。長男の特権には家族の礼拝を司るという霊的な特権もありました。神の祝福も特別なものがあるとイスラエル人は思っていました。しかし、エサウは目の前の食べ物より価値がないと思ったのです。

 また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。ヘブル12:16〜17

今、同じことが起こっています。サタンが差し出すこの世の富、名誉、欲望のために尊い御子の贖いを退けて大胆に覆いの外に歩みだす人々が沢山います。表面はクリスチャンを装いながら、陰ではサタンの思いのままに行動しているのです。私はそのような大きな組織を知っています。そんな巨大なものではなくても、私たちのささやかな歩みの中で、エサウのような失敗をしたくないものです。
神の愛の中に止まりましょう。御子の贖いの血の覆いの中から迷いださないように。