メッセージ 2003・1・19 小 石 泉
信仰の継承
新年聖会のとき森谷先生が日本のクリスチャンの数がわずかに30万人だと嘆いておられました。私はいつも思うのですが、もしクリスチャンが自分の子供達をクリスチャンにしていたらその数は今の数倍、数十倍になっていたでしょう。と言うことはクリスチャンが自分の子供達をクリスチャンにすることにほとんど失敗してきたということです。私は信仰の継承ということを考えさせられました。聖書に登場する人々の信仰の継承はどうなっていたのでしょうか。今日はそれを学びましょう。
まずアダムとエバの場合は驚くほど悲惨です。長男が次男を殺した、それも信仰の問題、礼拝のあり方で起こったのです。いつも話すようにアダムとエバは子供たちに正しい礼拝のあり方を教えていたはずです。それは神の前に行くには贖いの血を携えなければならないというものでした。カインはそれを知りながらあえてそうしなかったのです。アダムは長男には信仰の継承をすることができませんでした。次男は長男に殺されました。人類の最初の家族はなんと悲惨な家庭だったことでしょう。しかし、3男のセツが生まれました。セツとは「贖う」とか「新芽」という意味です。こうして3男に信仰は継承されました。
ノアの場合は、セム、ハム、ヤペテという3人の子供たちがいてそれぞれ信仰を継承したように見えます。しかし、ハムの家系はその子孫にニムロデがいました。ニムロデは伝説では非常に大きな権力をもち神への反逆者だったようです。ノアの信仰はセムに継承されました。セムと言う名は「名高い」です。不思議なことに世界の大きな宗教の教祖はほとんどセム系の人です。セムはその後のイスラエルの先祖です。
アブラハムの場合はイサク、ヤコブと信仰の継承はスムーズに行きました。イサクは目立ちませんが静かな信仰の継承者でした。ヤコブは反対にちょっと過激なほど信仰の継承に熱心でした。しかし、神はそれを喜ばれイスラエル(神とともに支配する)という名を与えました。そこからユダヤ人が起き、イエス様が生まれました。
モーセの場合は、子供たちは継承者(信仰と言うより働きの)とはなりませんでした。それはモーセの妻チッポラがミデアン人であり、子供たちが混血児だったことがあるでしょう。モーセの信仰はヨシュアに継承されました。ヨシュアの生涯は立派です。
モーセの兄アロンの場合は悲しいものです。
さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。それで、モーセはアロンに言った。「主が仰せになったことは、こういうことだ。『わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現わし、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現わす。』」それゆえ、アロンは黙っていた。レビ10:1〜3
これは神様がアロンを大祭司として任命した直後に起こった事件です。父の栄光ある姿を見たアロンの子供たち(恐らく長男と次男)は自分がその地位を次ごうと競って、許されていないのに祭司の仕事を強行したのです。神は彼らを打たれ彼らは死にました。アロンは泣くことさえ許されませんでした。神の聖なることを侵す罪は重いのです。アロンの信仰(働き)の継承は3男と4男のエレアザルとイタマルに継承されました。
この後、約束の地カナンに入ったイスラエルを治めたのは聖霊によるボランテアの士師たちでしたが彼らはほとんどが一代限りで、働きの継承はされませんでした。最後の士師は祭司のエリでしたが、この人の場合はもっとも印象的な失敗の記録があります。
さて、エリの息子たちは、よこしまな者で、主を知らず、民にかかわる祭司の定めについてもそうであった。Tサムエル2:12〜13
エリの子供たちは宗教にかかわる人々の陥りやすい邪悪な側面をもっとも熱心にした者たちでした。それについてはどうぞ聖書のこの箇所を読んでください。神の長い忍耐にも限界がきました。イスラエルはぺリシテに破れ、神の箱は奪われました。
こうしてペリシテ人は戦ったので、イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた。そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。神の箱は奪われ、エリのふたり息子、ホフニとピネハスは死んだ。(中略)彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。彼は四十年間、イスラエルをさばいた。4:10〜18
エリは偉大な指導者だったのでしょう。しかし、しばしば偉大な父の子は道を踏み外すものです。エリの働きの後継者はサムエルでした。サムエルについては良く語っていますし、長くなるので省略します。サムエルは神の最も愛された人の一人でした。ところがサムエルの後継者となるべき子供たちはエリの子達と同じ道をたどっています。
サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとした。長男の名はヨエル、次男の名はアビヤである。彼らはベエル・シェバで、さばきつかさであった。この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取りさばきを曲げていた。8:1〜3
これは意外なことです。サムエルはエリの生涯から十分学んだはずなのに同じように子育てに失敗しています。サムエルはエリに勝って偉大な指導者であり、あまりにも多忙だったのでしょう。彼は子供と十分に接する機会がなかったと思います。
サムエルの子供たちのせいでイスラエルに王制が生まれます。そして最初の王サウルが誕生します。サウルは、はじめは謙遜な人でしたがやがて権力のとりことなり神に見捨てられるという悲惨な末路を迎えます。しかし、彼の息子ヨナタンは実にすがすがしい信仰の人でしたから分からないものです。彼は信仰によってダビデを神の選びの器と見抜き、王の子であるにもかかわらずダビデを次の王と認め、深く愛して親友として接します。ヨナタンは聖書中でも忘れがたい美しい信仰の人です。
ダビデの生涯は波乱万丈でした。彼の第3子アブシャロムは(この呼び方に慣れるのになんと時間のかかったことか、前のアブサロムの方がきれいですからね)その美しさから高慢になり、王位を取ろうと反乱を起こし、もう一歩と言うところで失敗に終わり、将軍ヨアブに殺されます。しかし、ダビデという人は非常に情の厚い人で、そのことを嘆き悲しむのでヨアブに怒られています。
ダビデの信仰、働きを継承したのはソロモンでした。いわゆるソロモンの神殿といわれている神殿はほとんどダビデがそろえた建築資材で造られたものです。ダビデは神の神殿を建てたかったのですが神によってそれを禁じられます。
ある時、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。』T歴代史22:8
ダビデは偉大でしたがあまりにも戦争で人を殺したのです。そこで神様はその子ソロモンを彼の継承者にしました。ソロモンはシャローム、平和と言う意味があります。このように神の働きは一代ではなく何世代にも渡って継承されて行くのです。
その後の王たちの信仰と働きの継承は支離滅裂です。良い王の子が悪かったり、悪い王の子が良い王だったり。しかし、結局イスラエル、ユダともに滅亡に向かってしまいます。信仰の継承とは難しいものです。
最近、私の周りの教会が第二世代に継承されるケースが多くなりました。戦後の献身者である牧師先生たちが息子に仕事を継承する時期がきているのです。時々、息子ではなく別の人に継承されることもあります。それぞれに神の御旨が行われるのでしょう。
さてこうしてみると信仰の継承はなかなか難しいものであることがわかります。ところで、私の場合、父は信仰を強要しませんでした。しかし、よく子供は父の背中を見て成長する言われるように私たちは神を信じることは当然だと思っていました。むしろ物心つくころになって、世の中には神を信じない人がいるのだ……そしてその方がはるかに多いのだと言うことを知ってびっくりした記憶があります。そのような経験から、私は子供に信仰を継承したかったら、とにかく何も言わないことだと思います。そして、これはすべてに当てはまることだとは思いませんが、家では「家庭礼拝」「家庭祈祷会」などはしない
ことです。子供たち特に牧師の子達はそれでなくても人とは違った環境に置かれるのです。毎日、毎日、神様、神様でやられたら好きなものでも嫌いになります。黙っていれば自然に神を求めるようになります。むしろ向こうから聞いてくるまで黙っていてください。時には、ちょっとばかり羽目を外しても、中身にはちゃんと信仰がありますよ。
最後に、これは別になんでもない話なのです。特に何かを教えられるとか、際立った信仰の継承などではないのです。しかし、なんだか忘れがたい話なのです。
ギルアデ人バルジライは、ログリムから下って、ヨルダン川で王を見送るために、王といっしょにヨルダン川まで進んで来た。バルジライは非常に年をとっていて八十歳であった。彼は王がマハナイムにいる間、王を養っていた。彼は非常に富んでいたからである。王はバルジライに言った。「私といっしょに渡って行ってください。エルサレムで私のもとであなたを養いたいのです。」バルジライは王に言った。「王といっしょにエルサレムへ上って行っても、私はあと何年生きられるでしょう。私は今、八十歳です。私はもう善悪をわきまえることができません。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません。歌う男や女の声を聞くことさえできません。どうして、このうえ、しもべが王さまの重荷になれましょう。このしもべは、王とともにヨルダン川を渡って、ほんの少しだけまいりましょう。それ以上、王はどうして、そのような報酬を、この私にしてくださらなければならないのでしょうか。このしもべを帰らせてください。私は自分の町で、私の父と母の墓の近くで死にたいのです。しかしここに、あなたのしもべキムハムがおります。彼が、王さまといっしょに渡ってまいります。どうか彼に、あなたの良いと思われることをなさってください。」王は言った。「キムハムは私といっしょに渡って来てよいのです。私は、あなたが良いと思うことを彼にしましょう。あなたが、私にしてもらいたいことは何でも、あなたにしてあげましょう。」こうして、みなはヨルダン川を渡った。王も渡った。それから、王はバルジライに口づけをして、彼を祝福した。バルジライは自分の町へ帰って行った。Uサムエル19:31〜39
バルジライはダビデがアブシャロムにエルサレムを追われたときに、王をかくまった人です。何千人もの従者を養ったと言うのですから相当の金持ちだったのでしょう。アブシャロムがヨアブによって滅ぼされ、ダビデがエルサレムに帰るときにダビデはバルジライに自分と一緒にエルサレムに行ってくれと頼みました。彼はバルジライを相当の待遇で扱いたかったのです。しかし、バルジライは、自分は高齢であり、この上何も求めない、むしろ自分の息子キムハムがついていって王のお役に立ちましょうと言います。ダビデはそれを受け入れキムハムをつれて帰ります。それだけの話なのです。しかし、ここには私たちクリスチャンの姿があります。何の功績がなくてもイエス様の功績によって神の子とされて、天のエルサレムの登ることができるのです。しかし、そんな風に難しく考えなくてもただ何か心温まる話ではありませんか。