メッセージ    2002・12・15       小 石 泉 牧師

羊飼いなる主の誕生


見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。イザヤ60:2〜4

 イエス様が最初に来られたとき、世界は混沌として、闇が地を覆っていました。イスラエルの人々はローマの圧制の下に苦しみ、解放者の現れるのを待ち望んでいたのです。それはちょうど今の時代のようです。

どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください。詩篇28:9

 人々の願いは、強い力ある王様でした。しかし、聖書が約束していたのは人々を優しく導いてくれる、羊飼いのような方でした。羊だけが自分の身を守る手段を持たない動物だといわれています。武器になる角もない、速い足もない、あらゆる防衛手段を持たない、動物です。神さまは初めから羊には羊飼いが必要なように創造されたのです。そして、人間も本当はそうなのです。特に精神的に人間は無防備です。だから詩篇の記者は、このように書いたのです。

主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。イザヤ40:11

 聖書の神はなんと優しい方なのでしょう。神は愛であるとヨハネの手紙にはありますが本当に神の第一の基本的な御性質はこのように優しいのだということが判りますか? なかなか実感としてつかめないものですが、判るとすばらしいです。

あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。
マタイ18:12〜14

 その方は、このように、一匹の羊が迷い出てもそれを捜し歩く方です。イスラエルの土地はところどころの谷と言われている平地以外は灰白色の岩だらけで、そんなところに羊が迷い込んだらなかなか見つかりません。羊飼いは夜になると岩を積んで作った檻(木は貴重品)に羊を入れ、戸を閉めて自分がその戸のところに寝るのです。それで「私は羊の門である」というイエス様の言葉が判るでしょう。そういう檻に残りの99匹を入れて、薄暗くなった山野を歩いて一匹の羊を探すというのです。夜が迫ればハイエナや狼、ライオンなどが獲物をねらって来ます。良い羊飼いは迷える子羊を捜し歩くのです。
 しかし、これはまだ救われていない人々のことだけではありません。私たちクリスチャンでも時々は迷うのです。行き詰まったり、失敗したり、落胆したり、悩んだり。そんな時は迷える子羊のように羊飼いに来ていただくしかないのです

私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません。詩篇119:176

 ここを読んだとき、あまりにもイエス様の言葉と似ているのでびっくりしました。そして、私達は「私を探してください」と祈ることが出来ることを発見しました。案外私達は迷ったとき、自分の責任だから自分で何とかしようとあせるものです。しかし、私を探し出してくださいと言う祈りが許されているのです。
 このような優しい神が私たちの神なのです。この方の誕生を祝うのがクリスマスです。だから、それは優しい物語なのです