2002・11・24 小 石 泉 牧師
コラム
(都合により今週の説教はお休みします)
柿となつめ椰子の実
千葉県に住んでいつも不思議でならないことがあった。それは柿が至るところにたわわに実っているのだが、一向に収穫しようとしないことなのである。そのうちに腐って落ちてしまう。風景としてみるのは美しく、豊かといえば豊かだが、もったいない、干し柿にすれば良いのにと思っていた。今年、渋柿をもらったので干し柿にしようとしたが全部腐ってしまった。それで判った、千葉県は気温が高く湿気が多いので干し柿は作れないのだ。
先日、たまたまナツメヤシの実を見つけて買ってきた。今まで見たこともない大きな実だった。食べてみると干し柿そっくりだった。ナツメヤシは聖書にもたくさん出てくるが「乳と蜜の流れる」という表現の“蜜”に当たるのだと聞いたことがある。ちょっとぴんと来ないが・・・。一般に聖書では棕櫚の木として表れる。ヘブル語ではタマルという。威厳、繁栄の象徴とされる。ギリシャ語ではフェニクスとよびフェニキアという国の名となったそうだ。
柿は日本の特産品なのだそうだ。「柿の皮は乞食にむかせよ、瓜の皮は大名にむかせよ」ということばがあるそうで、それほど食べるところに無駄のない果物である。酸味が少なく淡白で私は大好きである。英語ではpersimmonという。なんだかスパイスみたいであまり旨そうな名じゃない。それよりKakiといった方がよさそうだ。ある宣教師の奥さんはkakiが大好物だった。
青い秋空にのびる枝になっている柿は日本の美しい風景の代表的なものだろう。豊かな国である。江戸時代300年間も鎖国が出来たということはそれだけ自給自足が出来たということで、大変なことなのだそうだ。その国は今、食料自給率30%以下だという。なにかがおかしい。もう一度自分の足元の、どこでも耕作が出来るというまれに見る豊かな大地を見直していかねばならないのではないだろうか。日本は本当に「乳と蜜の流れる国」なのだから。秋の日の柿にこの国の行く末を思う。