メッセージ 2002・11・10 小 石 泉 牧師
神と共に歩んだ人々
エレデはエノクを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。エレデの一生は九百六十二年であった。こうして彼は死んだ。エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。創世記5:19〜24
ここは聖書の中でも最も衝撃的な言葉の代表的なものです。「神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」エノクは生きたまま神の国、霊的な世界に移されたのです。神様に拉致されたのです。何と幸いな人でしょうか。
これはアダムの子孫のうち神の祝福の家系の系図ですが(呪われたカインの家系図もある)、エノクの前後の人々はみんな大変長生きしています。しかし、例外なく「死んだ」と書かれています。エノクだけが「居なくなった」とあるのです。彼はどんな人だったのでしょうか、興味があります。エノクという名前の意味は「教授、教師」です。そこから推測すると、賢くて人々を教える人だったのかもしれません。(ただしカインの家系にもエノクという人がいるので、案外めずらしい名前ではなかったのかもしれません。)エノクは世離れした仙人のような人だったのでしょうか、修道士のように生きたのでしょうか。しかし、「息子、娘たちを生んだ」とあるところを見ると、妻がいて、家庭があって、ごく普通の人だったのではないかと思います。ただ彼の紹介の中で際立っているのは「神とともに歩んだ」という言葉です。神と共に歩むということはどういうことなのでしょう。それは私たちにも出来るのでしょうか。今日は幾人かの先人たちからそれを学びましょう。 神と共に歩んだ人の次の代表はノアです。
主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」しかし、ノアは、主の心にかなっていた。これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。6:5〜9
神さまが御自分の創造の業を悔やんだほど人間の悪は増大していました。その当時どれほどの人口があったかは定かではありません。今のように50億と言うようなことはないでしょうが、それでも1億人とか10億人はいたのでしょうか。もっと少なくて何千万だったのでしょうか。いずれにせよ大変なことはその人々の内で神さまの心にかなう生き方をしていたのはノアさん一人だったということです。あとの数千万、数億人は神の御心を痛めていました。これは実に嘆かわしいことですが、現代社会も同じではないかと思います。事実イエス様は再臨のときはノアのときと同じだと言っておられます。ノアは当時の99.999%の人々と同じ考え方をしませんでした。彼は神の声を聞き、それに従いました。それは大雨が降り、大洪水が来るというとてつもない話でした。ノア以外の人々はすべてそれを信じませんでした。彼をあざ笑い、気違い扱いしたに違いないのです。そして、洪水が来てノアとその家族以外のすべての人類は滅びました。助かったのはノアの家族わずかに8人でした。(僕たちもいたかもしれないが。)
さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」9:20〜27
人類の99.999%が滅びるという大惨劇の後で、ノアはぶどう畑を作り、ぶどう酒を飲んで酔っ払い、素っ裸で寝ていたのです。彼は「正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。」といわれた人です。悟りすました聖人君主でなかったことに、なんだかほっとします。それでも「ノアは神とともに歩んだ。」のです。
次に神と共に歩んだ人はアブラハムでしょう。
その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。12:1〜4
アブラム、後のアブラハムは自分の生まれ故郷を去って、どことは知らないところに行けという神さまの命令に従いました。当時、故郷を離れるということは非常に危険でした。それぞれの民族は小さな町単位で独立していたのです。町が滅びるときはその中の住民すべてが滅びるときでした。そんな中をアブラハムはわずかな人数で越えて行きました。彼は神に従順で、厚い信頼を受け、神の友と呼ばれた人です。しかし、そのアブラハムも、飢饉のとき、敵国に逃れ、妻のサラがあまりにも美しいので自分が殺されることを恐れて、妻でなく妹だと言ってくれと頼んだり、神さまが与えると約束してくださった子供を待てずに奴隷に生ませるという失敗をしています。その一方で、敵に奪われた甥のロトを取り戻すために318人もの部下を引き連れて一気に敵を撃破しすべてのものを取り戻すという勇敢な行動もしています。彼もまた偉大な人でしたが私たちと変わらない弱さも強さも持ち合わせていたのです。しかし、アブラハムは生涯、この世と一緒に歩くことはしませんでした。いつも神と共に歩むことを第一とする人でした。
その他、ヤコブ、モーセなど神と共に歩んだ人々はみんなこの世と自分を分けることの出来る人でした。この世の流れに流されないで神と共に歩むことが出来る人々でした。
次に私達はあのダビデに注目します。ダビデは神の寵児と言われ、その名も「愛された人」と言う意味です。しかし、ダビデは大きな失敗をし、絶えざる苦悩を経験した人でした。その彼の秘訣を表わす象徴的な事件があります。
ダビデとその部下が、三日目にツィケラグに帰ってみると、アマレク人がネゲブとツィケラグを襲ったあとだった。彼らはツィケラグを攻撃して、これを火で焼き払い、そこにいた女たちを、子どももおとなもみな、とりこにし、ひとりも殺さず、自分たちの所に連れて去った。ダビデとその部下が、この町に着いたとき、町は火で焼かれており、彼らの妻も、息子も、娘たちも連れ去られていた。ダビデも、彼といっしょにいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。ダビデのふたりの妻、イズレエル人アヒノアムも、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルも連れ去られていた。ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。サムエルT30:1〜6
これはダビデの珍しい軍事的な敗北の記録です。彼は軍事的にはいつも常勝でしたからちょっと油断したのでしょう、自分たちの基地となる街を無防備のまま出撃しました。その隙に別の敵が来て街を焼き、人質を取り去ったのです。あまりにもひどい敗北にそれまで忠実だった部下たちまでもがダビデを石で撃ち殺そうとしました。四面楚歌という言葉がありますが、このときのダビデこそその言葉にふさわしいでしょう。しかし、このような時、ダビデが頼ったのは「彼の神」でした。ダビデは奮い立ちたちまち追撃して捕虜を奪回します。人に頼らない。まるで目の前に見ているようにして神を見る。生きている方を生きているとして接する。どんな困難なときにも、いや、その様な時こそ、ダビデを初め「神と共に歩んだ」人々は神に頼ったのです。神を信じるといいながら、その実、遠い彼方の人のように感じているクリスチャンが多いと思います。そのままで、ありのままで、飾り気なく、罪多き身のままで、神に近づくのが秘訣なのです。もっと、清くなってから、もっと正しくなってからと空しい努力を重ねて、神さまから遠いままで人生を終わるクリスチャンの何と多いことか。
無理ですよ、どんなに努力しても、清くなってから神さまに近づくのは。幼子が泥んこ遊びをして、その衣服を洗ってから家に帰るでしょうか。お母さんにしかられるとわかっていてもそのまま帰るしかありません。そのようにありのまま、素直な人間のままで神さまに帰ることです。それがいつでも神と共に歩む人の秘訣です。