メッセージ 2002・10・27 小 石 泉 牧師
罪を許すことが出来る方
ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした。彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」と言った。ルカ5:17〜26
この話は三つの福音書にほぼ同じ内容で書かれていますので、多分かなり印象的で有名な話なのでしょう。確かにこの話は二つの特徴を持っています。一つはこの中風の人の友人たちの取ったとっぴな行動であり、二つ目はイエス様の異様な発言です。
パレスチナはあまり雨が降らないので屋根は簡単な造りでした。木を渡して草などをひいたもの、その上に粘土を盛ったものなどで瓦屋根は珍しい方です。ルカの福音書だけは瓦と書いていますがマタイとマルコはただ屋根をはがしとなっています。どちらにせよこの人々のとった行動は普通ではありません。だれでもこの時のことを想像すると、いくら慎重にやったにしても家の中には木屑や土が落ちてきて、それはイエス様の上にも降ってきたことでしょう。当然、説教どころではなく、話は中断しみんなは上を見上げてこの人々の行為を見守ったに違いないのです。これが日本だったら「非常識だ」「イエス様に対して失礼だ」という非難が起こったことでしょう。しかし、イエス様はこの異常な行動を「彼らの信仰」と受け取られたのです。
私は信仰には「我を忘れる」ことと「人目を気にしない」ことが必要だと思います。イエス様を見たい一心で木に登ったザアカイ。網も仲間も捨ててその場でイエス様に従ったヨハネたち。海を歩いたペテロ。イエス様の接待も忘れて説教に聞き入ったマリヤ。300万円もする香油を塗ったマリヤなど、多くの我を忘れ人目を忘れた人々を見るのです。日本語には「忘我」という言葉がありますが、信仰の条件はこの忘我です。私は自称クリスチャンという人々でも決して自分を忘れることが出来ず、また人目を気にして、イエス様を次の席に座らせる人を見ます。この中風の人の友人たちの迷惑も考えない行動、それをイエス様は肯定され、それを「彼らの信仰」と呼ばれたのです。これは第一に周りを気にする日本人のメンタリティーには苦手なことで、それが日本のキリスト教の不振になっていると思います。これは非常に強い束縛で、人と違ったことをすることへの抵抗は特に日本の場合強烈です。しかし、時にはイエス様だけを見つめる必要があります。
次にイエス様のことばです。当時、というより人間の歴史のほとんどで病気や不具は罪やたたりのせいだと思われてきました。病人や不具者は病や不具合の苦しみに加えて罪やたたりののろいに苦しんできたのです。ほんの150年前、パスツールが現れて、病気を病原菌のせいだと発見するまでそれは世界のどこでも続いていました。今でもある種の宗教ではそれを脅しの材料に使っているではありませんか。
イエス様が「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われたとき、そこに集まっていた宗教家たちパリサイ人や律法学者たちはただちに異議を唱えました。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」。今でこそこの言葉は不遜な言葉ですが、当時、まだイエス様が何者かわからなかったときにはむしろ当然の言葉です。病の癒しなら、医者でも出来るのですから、そしてその場で見えるのですから否定しようも無く納得できます。しかし、人の罪を許すなんてことは人間の口にする言葉ではありません。「神のほかは」出来ないことです。しかし、ここでイエス様は自分が神であることを暗に言っているのです。
「『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。」。これはどちらも難しいことです。考えようによっては目の前で結果が出る病の癒しの方が、口先だけでしかわからない罪の許しの方がやさしく見えるかもしれません。しかし、イエス様にとっては罪の許しの方がはるかに難しいことでした。それは十字架の上でしか出来ないことだったからです。けれども人々を納得させるために、病の癒しという目に見える証しで御自分が罪を許す権威を持っていることを示されたのです。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。詩篇103:3〜5
メシヤにとって罪の許しと病の癒しはワンセットです。メシヤの行くところそれはいつもついて回りますよと詩篇の記者は預言していました。しかし、実際に目の前にメシヤが現れてそれを行っても、人々は理解できませんでした。なんとあのバプテスマのヨハネでさえ疑ったのです。
さて、獄中でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、その弟子たちに託して、イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」イエスは答えて、彼らに言われた。「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。 盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
マタイ11:2〜6
ここはとても悲しい箇所です。あの偉大な先駆者、荒野で呼ばわる声、キリストを世に紹介したヨハネが、疑ったのです。自分はそのために生まれてきたのではなかったか。その使命さえ忘れてしまったのか。監獄の中でヨハネの心はなえました。勇ましくイスラエルを復興するメシヤを信じて、意気揚々と人々に紹介したのに、あの人は一向に反乱の旗揚げをしないばかりか、貧しいものや病人や取税人や売春婦などと一緒にいるだけだ。自分は間違っていたのか、自分の人生は何だったのか。ヨハネも人でした。弱くて悲しい人間だったことを証明しました。モーセもエリヤもダビデもそうでした。みんな一皮剥けば弱く頼りない人間だったのです。
このヨハネの「あなたは本当にメシヤだったのですか?」という疑問に、イエス様が答えられた答えは、「盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられている。」だったのです。「今に見ていなさい。数十万の軍隊を率いて、ローマを打ち砕こう。」ではありませんでした。病と不具の癒しがメシヤの証明でした。「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
その時、イエス様にとってローマを滅ぼすことよりも、人間の罪、病、悲しみを取り除くことの方が重要でした。その気になれば、世界を支配することは簡単なことでした。
それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。マタイ26:53
一軍団(レギオン)とはローマの軍隊の6000人の編成です。ですから十二軍団は7万2000人。イエス様はいつでもそれ以上の天使の軍隊を即座に呼び降ろす事が出来ました。天使がたった二人でソドムとゴモラを滅ぼすことが出来たことを考えてください。
しかし、イエス様の目的は別のところにありました。
私たちの主は「あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。」ことが目的でした。そして「あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」のです。私達はこのようなイエス様を主と仰いでいるのです。さあ元気を出しましょう。鷲のように新しくなって。
(補足:わしは年を増すと、羽がぼろぼろになります。そうすると羽を岩に打ちつけたり、くちばしで抜いて、丸裸になります。そしてじっと巣の中で待っていると、やがて体中の羽が新しく生え変わるといわれています。)