メッセージ     2002・9・29       小 石 泉 牧師
 
私たちは知っている


今日は、マタイによる福音書の荒野の誘惑の場面を学んで見ましょう。私は最近もう一度この箇所を読んで、大変恵まれました。それは悪魔の限界と私たちに与えられている真理の深さを知ったからです。私たちは天使たちさえ知らなかった真理を知ったのです。

さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。マタイ4:1〜11

 ここは大変有名な箇所ですが、私は改めて一体悪魔はイエス様について何を知っていたのだろうかと思いました。悪魔は何を探りにきたのでしょうか。悪魔はイエス様が本当に神の子だと知っていたのでしょうか。聖書をよく読むと、サタンは神さまには抵抗しませんが、イエス様には激しい対抗心、競争心を持っているように感じられます。エゼキエル書やイザヤ書からサタンとなったルシファーは、かつては非常に高い地位にいた天使長だったことがうかがい知れます。
 ここでサタンは「もしあなたが神の子なら」という言葉を2回使っています。彼はイエス様が神の子だと判らなかったのでしょうか。他の箇所で悪霊たちはイエス様を見つけると遠くからでも恐れおののいています。ですから知らないはずはないのです。ではなぜイエス様を試みたのでしょうか。サタンはイエス様を知っていたのです、しかし、何をしにきたのかが判らなかったのです。それで人間の3大欲望、物欲、名誉欲、権勢欲を満たしにきたのかと思ったのではないでしょうか。
 「石がパンになるように命じなさい」手軽な物質的必要の解決。こんなことが出来たら人間はたちまちその人を神としてあがめるでしょう。神様の創造された自然な営み、時間の経過、労働を通らないで、お手軽に物質的な必要を満たして見なさい。しかし、イエス様は人間に必要なものは物質だけではなく、そして物質だけに偏る傾向を警戒しながら、もっと大切な必要、神の言葉を求めなさいと言われました。サタンが人間を神から遠ざける方法が物質への執着であることを思うと、イエス様の正しさが判ります。
 次にサタンが試みたのは、人を驚かす異常な出来事でした。奇跡、しるし、超能力はいつの時代も人間が興味を引かれるものです。一秒の数千分の一、麻原が空中に浮かんだという写真が多くの優秀な若者を捕らえたではありませんか。しかし、イエス様は神さまを奇術の道具に使うことをしませんでした。人間の興味本位、好奇心で神さまを利用するのは最も卑しい行為です。今、多くの教会でこのような浅はかな信仰?がもてはやされています。人を驚かす異常な出来事、奇跡、しるし、超能力。神さまを試みています。
 次にサタンは最も彼の言いたかったことにイエス様を試みました。私を拝みなさいそうすれば世界の富をあなたにあげよう。これは嘘ではありません。アダムが神さまの命令に背いてから、地球の富はサタンのものになりました。人間はサタンの配下になってしまったからです。ですから古来サタンに魂を売ったもの達は、代わりに巨大な富を持ちました。今も世界の富豪といわれる家族はほとんどサタン礼拝者です。これは私が調べて知っています。それにしても神の子を試みるとは何とサタンは無謀なことをしたのでしょうか。
しかし、実はイエス様は神の子としてではなく、人間の子として試みを受けているのです。人間の受ける試みを代表して経験されているのです。ですから御子としての権威、御力でサタンを撃退しませんでした。御言葉でしたのです。実際には御口の息で滅ぼすことが出来ると黙示録には書かれています。こうしてサタンは試みに失敗しました。少なくとも神の御子がこのような目的で来られたのではないことは判りました。しかし、なおその目的は彼らには謎でした。

神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。かつて神は、どの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。ヘブル1:1〜8

イエス様は御使いに勝る存在です。実は御使いはすごい力を持った存在です。たった二人の御使いでソドムとゴモラを滅ぼすことが出来ました。数十万の軍隊を一夜で滅ぼすことも出来ました。時には聖書は御使いを神々と読んでいます。このような力は堕落した御使い、悪魔となったルシファーや悪霊たちにも残っています。しかし、彼らの全能力を集めても御子イエス様が人となって地球に来られた理由はわかりませんでした。

この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。そして、それらについて調べたのは、自分たちのためではなくて、あなたがたのための奉仕であることを示された。それらの事は、天からつかわされた聖霊に感じて福音をあなたがたに宣べ伝えた人々によって、今や、あなたがたに告げ知らされたのであるが、これは、御使たちも、うかがい見たいと願っている事である。ペテロT1:10〜12(口語訳)

 神の御子が人となって地上に降り立ち、人と同じ生活をされ、あろうことか人のために命を捨てて、人の罪を贖う・・・・そんなことを誰が想像し得たでしょうか。天使たちの超能力を持ってしても、到底、想像すら出来ないことでした。まして自己の利益、名声、権威権勢だけを求め、高慢に満ちて天上を追われたルシファーたち堕落天使には理解できないことだったのです。悪霊たちが互いを愛し、信頼し、互いのために犠牲を払うなどということはありえないことです。まして被造物に過ぎないおろかな小さな人間のために神の御子が十字架にかかり死ぬなんて!サタンは最後までそれが理解できませんでした。それでイエス様を殺せば、世界は自分たちのものになると思っていたのです。

夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、ヨハネ13:2

 サタンはイエス様の人としての肉体を滅ぼせば、御子を滅ぼせると思っていたようです。これが不思議なところですが、そうとしか思えないのです。彼にとってユダの裏切りは絶好のチャンスでした。サタンに心を開いたユダに、サタンは暗示を与えていたのです。

イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」弟子たちは、だれのことを言われたのか、わからずに当惑して、互いに顔を見合わせていた。 弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。そこで、シモン・ペテロが彼に合図をして言った。「だれのことを言っておられるのか、知らせなさい。」その弟子は、イエスの右側で席についたまま、イエスに言った。「主よ。それはだれですか。」イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリテ・シモンの子ユダにお与えになった。彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼にはいった。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」13:21〜27


 イエス様さまはユダの裏切りを知りながら、パンを与えています。自分が受けるべき苦難の下手人になってしまった者への憐れみさえ感じます。このとき、サタンはユダの心に決定的に入り込むことが出来ました。サタンはしめたと思ったことでしょう。これで御子を滅ぼすことが出来ると。そして十字架につけることに成功しました。

道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」27:39〜40

ここに興味深いのは人々がサタンと同じような言葉を言っていることです。「もし神の子なら・・・・して見よ」
 しかし、サタンとその陣営は、御子が十字架に人間の罪を背負って登られたことを知りませんでした。罪のない方が、醜い人類のすべての罪を負い、自分の命で清めるなどということは思いもかけないことでした。それは神の奥義、宇宙の歴史の最大の神秘でした。それは愛の神の真実でした。
 こうしてサタンは人間を捕らえていた手がかり、「人間の罪」を失ったのです。天使たちも悪霊たちも知らなかった奥義、それが私たちの救いなのです。私たちはそれを知っています。何という神の愛、何という御子の決断。感謝します。