メッセージ 2002・9・1 小 石 泉 牧師
いのちのパン
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。ヨハネ6:35
イエス様の言葉を私たちは案外素直に受け止めていますが、一旦、当時の人々の視点に立つと、随分奇妙で信じにくいものです。もちろんそれは今でも未信者の人々には同じことでしょうが。
イエス様はご自分を色々な言葉で表わされましたが、これもその一つです。「私はいのちのパンです」。日本人に対してなら「わたしはいのちのご飯です」とか「お米です」と言われたかもしれません。要するに糧、無くてはならぬもの、いのちを支えるものという意味でしょう。そしてそれは肉体ばかりではなく、心、魂の糧でもあるのです。
しかし、ちょっと考えて見てください、当時、ど田舎のガリラヤから出てきた、まだ30歳そこそこの若者が、自分はお前たちの命の糧だと言ったのですから、「そうですか」という方がおかしいでしょう。さらに「わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」などというものですから、人々はあきれ返って、こいつはちょっとおかしいんじゃあないかと思ったのです。ですからイエス様もそのことを知っていてこう言われたのです。
しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。6:36
実際、イエス様は本当に神の子でなければ気違いです。決して中間はありません。
だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。6:46
ヨハネによる福音書のこの前後は、イエス様が強烈にご自分の起源、オリジンを主張された場所です。それは当時の人にとって神を冒涜するものとしか聞こえませんでした。しかし、イエス様は本当のことを言われたのです。本当に30年前この地上に来るまではわたしは父と一緒に居たのだ。わたしだけが神を見たのだ。人々とのどうしようもないギャップ。イエス様にとっての事実を事実と認めない、認められないこの世の人々。イエス様と周りにはこのどうしようもない隔たりがありました。しかし、今日はイエス様が言われたいのちのパンについてだけ考えましょう。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。6:47〜49
イエス様はマナについてお話になりました。自分はあのマナなのだ。天から下ってきてシナイの荒野で300万人を40年間養った。
ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にはいった。そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」出エジプト16:1〜3
エジプトを出たイスラエル人が、本来なら7日間ほどで到達する約束の地に、不信仰のゆえに入れなかったとき、モーセは重大な問題に直面しました。それは300万人もの人々をどうやって養うかです。エジプトから持ってきた食料もそう長くは続きません。近隣の諸国に買いに行っても、そんな蓄えはあるはずも無く、まして300万人もの移住民を恐れています。人々の不安はモーセに向かいました。「何と無計画な指導者か。300万人を飢え死にさせるつもりか。」モーセは神に祈り、神は答えられたのです。
主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。16:4
天からパンが降ってくる。アラビアの砂漠で、種も蒔かず刈入れもしないのに、毎日食料が天から降ってくる。そんなことがあるだろうか。
「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。彼らに告げて言え。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう。あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる。』」それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう。」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。16:12〜15
神には不可能はありません。イスラエル人はそのことを歴史上経験しているのです。砂漠の真ん中で、40年間300万人の人々が食べて命をつないだのです。
彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。16:21
ここはよく早天礼拝の説明に用いられるところです。日ごとのパンを朝集めなさい。
イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。16:31
不思議な食べ物。イエス様は、自分は天から来たマナのような者だと言われました。
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。これは、天から下ってきたパンです。あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」これは、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」6:53〜60
イエス様はついに叫ばれます。私の肉を食べなさい! 私の血を飲みなさい! そうでなければあなた方に命はない! 食べれば永遠の命を与える! マナを食べた先祖は死んだ、しかし、私を食べるなら今の命も永遠の命も与えられる!
弟子たちでさえ「これはひどい言葉だ。だれが聞いておれようか。」と言って去りました。あなたはそれを信じますか? あなたはこの奇妙な言葉を受け入れますか? あなたはイエス様を信じますか? キリスト教とは何と奇妙な宗教でしょうか。しかし、それは真理なのです。
この時も、この前にもイエス様は奇跡を行い、病を癒し、死人をよみがえらせておられました。それにもかかわらず信じないものは信じなかったのです。しかし、信じたものは神の子とされました。今もそうです。あなたはどちらを選びますか?