メッセージ 2002・6・9 小 石 泉
牧師
神の国のチケット
今、世間はワールドカップで大騒ぎです。私がとても面白いと思ったのはチケットの騒動でした。足りない、足りないと言いながら、いざ蓋を開けてみると空席だらけ。何だ、これは? 私の推理では、これは上手な商売です。今、1000円のチケットが10枚あるとします。そのまま売れば1万円ですが、5枚隠してしまって足りないから5千円でどうだといえば2万5千円儲かるわけです。別に隠さなくても騒ぐだけでも良いかもしれませんが、恐らく闇のマーケットに流れて売れ残ったのでしょう。しかし、宮本兄弟の会社の人が決勝戦のチケットを1枚60万円で買ったといいますから、倍率はすごいもので、売れ残ったとしても、ものすごい儲けがあったのでしょう。もともとサッカーは欧米では競馬競輪並みの公然たる賭け事で、FIFAなんて組織も、その実、ごろつきどもの集まりでしょう。もっとも競技そのものは確かに壮絶な戦いで、選手は真剣なのでしょうが。
さて、一枚60万円のプラチナチケットが売れるというのもすごい話ですが、そんなにも見たいものなのでしょうか。私ならもっともっと高価で大切な切符を買います。それは天国の切符です。これは非常に高価ですが、実は簡単に手に入るのです。しかし、その話の前に、霊の世界について考えましょう。ちょっと長い引用をします。
ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。ルカ16:19〜31
これは聖書の中で大変めずらしい、霊的世界をはっきりとイエス様が語った箇所です。聖書は霊的な書物ですが、意外にも霊の世界についてはほとんど語っていません。ここ以外ではわずかに旧約聖書のサムエル記と新約聖書の中にいくらかが見られるだけです。例外は黙示録で、ここは霊的世界と現実の世界が混合して分けることが難しいほどです。しかし、総じて聖書は霊的世界については沈黙しています。パウロ先生は第三の天にまで行ったと言っていますが(コリントU12:1〜4)、その時、語ってはならない言葉を聴いたといっています。明らかに神さまは私たちがこの世では霊的世界を知らなくていいと思われているのです。
ところが人間は霊的世界を見たくてしょうがないのです。それで様々な人々が霊的世界を見てきたと言いました。その最も有名なのがインマヌエル・スェデンボルグです。彼は数学、科学、化学、生物学などあらゆる分野で非常に優れた才能を表わした人ですが、霊的世界に興味を持ち、天国や地獄を見てきたと多くの本を著しました。それを読むと明らかに悪霊の霊感によっていると思われます。非常に奇妙な本です。私たちは聖書が教える霊的世界で満足しましょう。それで必要、十分なのです。それ以上探索することは危険です。
さて、ここで金持ちと乞食のラザロが出てきます。金持ちはともかく、ラザロという実名が出てくることが不思議です。架空の話なら乞食だけでいいわけです。しかも、ラザロというのはイエス様が愛された3人兄弟の家族の一人の名前なのですから、イエス様は何を言いたかったのだろうと考えてしまいます。とにかく、書かれていることは説明を要しないほど簡単なことです。ただ、ここで金持ちだからハデス(黄泉とも言う)に行き、貧乏人だからアブラハムの懐(恐らくパラダイスと同じところ)に行ったというわけではないことは言うまでもありません。金持ちというものはこの世に執着する機会が多いことは容易に理解できます。一方、乞食のラザロにしてみればこの世では全く希望が無いので、霊的世界だけを考えていたと思います。これほど極端でないにしても、この世にあって、霊的世界に対する関心、準備を全く持たないとしたら、それは危険です。一方、霊的世界だけしか関心がなく、この世は全くどうでもいいというのも行き過ぎです。私たちはこの世にあって最善を尽くしながら霊的世界についても十分な関心を持つべきです。今回はこの箇所には特別の解説はしないで、霊的世界への入り方について考えましょう。
十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」ルカ23:39〜43
イエス様が十字架につけられたとき、両側に犯罪者が二人、同じように十字架につけられていました。彼らは共に重罪犯で、両手、両足を釘で打ちつけられて、苦しい息の下からイエス様に声をかけました。一人はイエス様をののしり、自分と私たちを救えと言いました。一方、もう一人の方は悔い改めと、イエス様への信仰を語りました。これは実に驚くべき情景ではないでしょうか。そしてなんだかこの世の縮図のようにも見えます。この後の方の犯罪人はイエス様がいつの日か神の国の位につくという驚くべき真理を知っていたのです。どうして彼はそのような知識を持ったのでしょうか。実に不思議です。しかし、もっと驚くべきことはイエス様の答えです。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
イスラエルでは一日は日没で終わります。時は午後の3時頃でした。もう春の日も傾いて日没が迫っていました。イエス様はこの男の救いの求めに直ちに答えられました。「今日、あなたはわたしと共にパラダイスにいます。」それはほんの2時間か3時間の間のことです。この男こそイエス様と共にパラダイスに行った最初の人間となりました。もちろんそれまでにも旧約聖書の救いを受けていた聖徒たちはパラダイスに居たでしょうが、新約の救い、十字架の贖いを受けたのは彼が最初です。彼は一生の間、犯罪者でした。彼は何ひとつ正しい行いをする暇もありませんでした。彼は洗礼を受ける時間もありませんでした。彼は常識的に言えばクリスチャンとしての生活も証しもありませんでした。しかし、イエス様は彼に天国行きのチケットを渡されたのです。
ここから私たちは、救い、天国行きのチケットは全く人間の功績にはよらないという典型的な実例を見るのです。天国行きのチケットは非常に高価です。60万円どころではありません。あまりにも高価で人間の努力では買えないのです。しかし、それを求めるもの、ただ主イエスの御名を呼ぶものには無償で与えられるのです。あなたはそのチケットをお持ちですか? それともワールドカップのチケットの方がほしいですか?
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。ローマ10:9〜10
あの十字架の上の強盗が「わたしを覚えてください」と言っただけで、救われてパラダイスに行きました。私たちはみんな自分の口で「イエスは主です」と告白するだけで救われます。血眼になってチケットを買いあさる必要はありません。「イエス様は神の御子であり、人としてこの地上にお生まれになり、十字架の上で私のために身代わりとなり、罪を贖い、葬られたが三日目によみがえられ、天に帰られ、再び私たちを迎えるために戻ってこられる」と心に堅く信じ、告白するならあなたは救われて、いつでもパラダイスに行けます。これがキリスト教です。他に何もする必要はありません。心に信じ、口で告白するだけです。あまりにも簡単なので、返って信じられないのですか。難しかったら誰も救われません。天国行きのチケットはあまりにも高価で、人間は支払うことは出来ないのです。イエス様が支払ってくださったのです。そのチケットを頂くこと、それが告白することです。あなたは今日、そのチケットを手に入れることが出来ます。