メッセージ    2002・4・21    小 石 泉 牧師
 
霊の戦いの現実


 中国の旅をしてきました。悪霊の強い力を感じた旅でした。お訪ねしたクリスチャンの家でのことですが、その家の奥様の弟さんが有名な芸術家で、実に精妙な彫刻をするのです。しかし、それがなぜかへび、やもり、カメレオン、かえるなど爬虫類ばかりなのです。それは石の色の層を巧みに利用してまるで生きているように見事に彫られていました。私たちはその写真を見せていただいただけなのですが、そこから強い悪霊の霊感を感じ、強烈な攻撃を受けました。私は次の御言葉について深い認識をしました。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。出エジプト20:4

 この御言葉は単に形を作るに留まらないことを意味しているのです。被造物には罪はなくとも、それを作る側の気持ちや霊的な意識によって危険なものになると言うことをはっきりと知りました。とりわけ天安門から入る故宮には龍の彫り物が沢山あり、中国は依然として龍の国、悪霊の活発に働く国だと痛感しました。
 しかし、私たちは幸いレベッカ・ブラウンさんとチャールズ・クラフトさんの本によって悪霊の働きに対する準備が出来ていましたので冷静に対処できました。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:18〜20

イエス様はこのように言われましたから私たちは恐れることはないのです。
さて、中国のように大きな国では権威、権力は強大なものです。その中で1億とも言われるクリスチャンが信仰を守っています。私たちはこのような大きな戦いをどう戦ったらよいのでしょうか。旧約聖書のヒゼキヤ王の記録から学びましょう。

ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリヤの王セナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々を攻めて、これを取った。アッシリヤの王は、ラブ・シャケに大軍をつけて、ラキシュからエルサレムに、ヒゼキヤ王のところへ送った。ラブ・シャケは布さらしの野への大路にある上の池の水道のそばに立った。そこで、ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、および、アサフの子である参議ヨアフが、彼のもとに出て行った。ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリヤの王がこう言っておられる。いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。口先だけのことばが、戦略であり戦力だと思い込んでいるのか。今、おまえはだれに拠り頼んで私に反逆するのか。イザヤ36:1〜 

ヒゼキヤはユダの王の内では最善の王でした。神を信じ従いました。しかし、そこに当時の超大国アッシリヤが攻めてきたのです。ブルドーザーのように諸国をなぎ倒して、彼らは進んできました。何十万という大軍を前にしてユダの人々は恐れました。
アッシリヤの王セナケリブは将軍ラブ・シャケに命じて降伏を呼びかけます。この後を読むとラブ・シャケはユダの言葉を知っていたらしいのです。それで民衆が彼の言葉を理解することを恐れたユダの高官たちは、当時の国際語アラム語で話してくれと頼むという面白いことが書かれています。アッシリヤの王と将軍は神への信仰は「口先だけのことば」だと言っていますが、今も同じように言われることが多いのではないでしょうか。「今、おまえはだれに拠り頼んで私に反逆するのか」。これははっきりとした主なる神への挑戦です。そして今も同じように思っている人々が多いのです。

今、私がこの国を滅ぼすために上って来たのは、主をさしおいてのことであろうか。主が私に『この国に攻め上って、これを滅ぼせ。』と言われたのだ。36:10

 ラブ・シャケがここで主という言葉を使っているのは興味深いことです。彼らは、一応はユダの神の名を知っていてからかっているのです。

おまえたちは、ヒゼキヤが、主がわれわれを救い出してくださると言っているのに、そそのかされないようにせよ。国々の神々が、だれか、自分の国をアッシリヤの王の手から救い出しただろうか。ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムの神々はどこにいるのか。彼らはサマリヤを私の手から救い出したか。これらの国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。主がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか。36:18〜20

 当時の戦争は、その国の守り神の戦いでもありました。彼らは主をあなどりました。これに対してヒゼキヤが取った態度を見ましょう。

ヒゼキヤ王は、これを聞いて、自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮にはいった。彼は、宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに荒布をまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした。彼らはイザヤに言った。「ヒゼキヤはこう言っておられます。『きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がないのです。おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリヤの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、その聞かれたことばを責められますが、あなたはまだいる残りの者のため、祈りをささげてください。』」ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。主はこう仰せられる。『あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちがわたしを冒涜したあのことばを恐れるな。今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしは、その国で彼を剣で倒す。』」37:1〜7

 ヒゼキヤはまず神の預言者イザヤのところに使いを遣わし、祈りを頼んでいます。このような謙虚な信仰の姿勢にイザヤは直ちに答えて、神さまの救いを約束します。ここに言う「あるうわさ」というのはエチオピアの王がセナケリブと戦うために出てくると言うものでしょう。セナケリブとラブ・シャケは互いに話し合い急いでユダを滅ぼす必要を覚えました。そこでラブ・シャケは引き返してきて前に言った言葉を手紙にしてヒゼキヤに送りつけました。ヒゼキヤは神の前に行きます。

ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取り、それを読み、主の宮に上って行って、それを主の前に広げた。ヒゼキヤは主に祈って言った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばをみな聞いてください。主よ。アッシリヤの王たちが、すべての国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう。」37:14〜20

 ヒゼキヤはその手紙を主の前に広げました。彼は主が生きておられ、それを読まれることを信じていました。これは一つの国を治める王としてはなかなか出来ることではありません。ダビデならしたでしょうが。

アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた。「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。37:21

 神さまの答えはこうでした。「私はあなたの祈りを聞いた」。なんという力強い言葉でしょう。もし私たちの祈りが神に「聞かれたら」、もう何も恐れることはないのです。

主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、帰ってニネベに住んだ。彼がその神ニスロクの宮で拝んでいたとき、その子のアデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺し、アララテの地へのがれた。それで彼の子エサル・ハドンが代わって王となった。37:36〜38

その夜、アッシリヤの陣営に異変が起こりました。一晩に185,000人もの兵隊が死んだのです。「主の使いが出て行った」とあります。彼らが超自然的な方法で殺したのか、あるいは食中毒のような方法を使ったのかわかりません。サルモネラ菌は一晩で数百数千人を殺すことを私は知っています。私の高校で昔、お祝いの紅白饅頭を食べて百人以上の人が一晩で死にました。いずれにしてもこうしてヒゼキヤの祈りは聞かれ、信仰の勝利が表わされました。
どんな大国でも、どんな政治体制でも、どんな軍隊でも主に祈るものに勝つことは出来ません。中国は12億の人口を持ち、2億の軍隊を世界に派遣できると豪語していますが、たとえそのような軍事力でも神に対抗することは出来ないのです。私たちはどんなときにもヒゼキヤのように主により頼むものでありましょう。