メッセージ   2002・3・24     小 石 泉 牧師
 
約束の地


 先日のテレビで、イスラエルの高校生が兵役を拒否し、収監される顛末を報じていました。イスラエルでは男女とも高校卒業と同時に2年間の兵役が課せられます。しかし、今、若者たちはパレスチナ人へのイスラエルの姿勢に疑問を感じ始めているのです。私も今のイスラエルのやり方にはどうにも賛成できません。しかし、ではどうしたらいいのでしょうか。もう一度、イスラエルの歴史を紐解いてみましょう。
 BC2000年ごろ、神さまはアブラハムにカナン、現在のパレスチナを与えると約束されました。(創世記15:7)そしてその後、孫のヤコブにも同じ約束を与えました。(28:12~15)それから約600年後BC1400年ごろモーセはエジプトからイスラエル人を連れ出し、カナンの入り口まで導いたのですが、12人の斥候のうち11人の不信仰によって40年間の荒野の生活を送りました。そしてヨシュアによってカナンは攻略され(ヨシュア1:2~4)神の約束の地(エレーツ)に彼らは入ったのです。その後BC1000年ごろにはサウル、ダビデ、そろもんという有能な王たちによってカナンは文字通り乳と蜜の流れる約束の地になったかに見えました、しかし、その後の王様たちは神に不従順で、周りの国々の習慣に習い、偶像を礼拝し神に従いませんでした。ついにBC722年には北王朝イスラエルがアッシリヤに、597年には南王朝ユダがバビロンに滅ぼされ、国の主だった人々は捕囚として連れ去られたのです。その後、何回か帰還しましたが特にBC458年、エズラを中心とするグループが帰還し、その後だんだん帰国する人が増え、国をなすようになりました。しかし、ローマによって支配された地方の権力の下にありました。そんなときにイエス様が生まれました。イエス様の後にも何度もユダヤ人は反乱を起こし、時には国家として独立をすることもありましたが、いつもローマによって鎮圧され、AD132年、バル・コホバ(星の子)の反乱の後に徹底的に弾圧され、ユダヤ人はパレスチナから出て行け、帰ってきてはならないと言う命令が下りました。
 ユダヤ人は三々五々、東と西に逃れて行きました。東に行った人々は特に当時大きな国として存在していたハザール王国に多く滞在しました。ハザールの王は代々、外国の宗教に寛容でしたがAD740年にブラン王はユダヤ教に改宗し国を挙げてユダヤ教国家となりました。ハザールは黒海とカスピ海の間にあった国ですが、この辺りをアシュケナズと呼んだところからハザール人を含む東からのユダヤ人をアシュケナジー・ユダヤと呼ぶようになりました。彼らはハザール王国の衰退と共に、当時まだ未開だったロシアとヨーロッパに移動しました。アシュケナジー・ユダヤはギリシャ正教が移動したロシア正教の迫害に会いました。ポグロム(絶滅)と言う言葉はスラブ (ロシア)語です。
 一方、西に逃れたユダヤ人はスペインに拠点を築きました。スペインの古名をスファラデイウムと言ったところから西からのユダヤ人をスファラデイー・ユダヤと呼びます。しかし、ここも安住の地ではなく、結婚によってスペインを統一したカステリーヤのイサベラとアラゴンのフェルナンデスの命令によってユダヤ人はスペインを追放されました。その後、彼らはヨーロッパに行き、特にイタリヤのベネチアは彼らの金融の舞台となりました。例の「ベニスの商人」の物語は単なる小説ではありません。
 スペインのユダヤ追放令は1492年に出されましたが、その時、ユダヤ人は自分たちの家に鍵をかけその鍵を代々継承しました。そして500年後の1992年、スペインのバルセロナのモンジュークの丘、ユダヤ人の丘でオリンピックが開かれたのです。どうだ、我々は帰ってきた。彼らはそう言いたかったのでしょう。ちなみにオリンピック委員会は近代オリンピックの創立者クーベルタン以来、そのほとんどがユダヤ人の組織です。
 20世紀になってテオドール・ヘルツルというユダヤ人の法律家がシオンに帰ろうというシオニズム運動を始めました。そして1948年ついに2000年ぶりにユダヤ人の国家がパレスチナに出来たのです。一口に2000年と言いますが日本の歴史の長さそのものです。一体、神武天皇の子孫が2000年目に日本に帰ってきて我々の国だと言ったとしたらどうでしょうか。なんとも気の長い話です。この長い歴史の中で「約束の地」はイスラエル人にとって本当に“乳と蜜の流れる地”だったのでしょうか。
 私には現在のイスラエルが預言の成就なのかどうかわかりません。しかし、神さまは無条件で他人の土地をユダヤ人に与えたのではありません。創世記15:16には「エモリ人の悪が満ちる」からだと書かれています。余りにも悪がはびこると神はその土地を他人に与えるのです。申命記9:5は特に明確です。

あなたが彼らの地を所有することのできるのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪いために、あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。また、主があなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たすためである。

また、イスラエルに「約束の地」を与えるに当たって、条件をつけています。それは彼らが神に従順なら、というものです。申命記全体また特に28章はその条件を告げています。

もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。28:1〜4

もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。あなたのかごも、こね鉢ものろわれる。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊ものろわれる。あなたは、はいるときものろわれ、出て行くときにものろわれる。主は、あなたのなすすべての手のわざに、のろいと恐慌と懲らしめとを送り、ついにあなたは根絶やしにされて、すみやかに滅びてしまう。これはわたしを捨てて、あなたが悪を行なったからである。28:15〜20

 この箇所はすごい所なのでぜひ全文を読んでください。
テオドール・ヘルツルはシオンに帰ろうと言う運動をしましたが決して神の名を挙げませんでした。現在のイスラエルは信仰によって建設されたわけではありません。もちろんその底流には信仰があるのでしょうが、決して神への従順によって建設されたのではないのです。また今の政権も神の名で統治しているわけではありません。ですから今日のさまざまな紛争はイスラエルが神に従順になるとき、もっと正しい方法で解決されるでしょう。
 さて、私たちもまた人生でいろいろな「約束の地」に入ります。高校、大学、就職、結婚、住居、教会などなど。それを本当に乳と蜜の流れる地にするには、イスラエル人の歴史に学ぶことが出来るのではないでしょうか。まず、エジプトを出たイスラエルは数日でカナンに入ることが出来たにもかかわらず40年も荒野で放浪しなければなりませんでした。あるユダヤ人のラビは「エジプトを出た世代は奴隷根性が染み付いていたので荒野で死に、新しい世代が入ることが出来たのだ」と言っています。新しい酒には新しい皮袋が必要です。特に教会には古いエジプトの考え、この世の習慣、知恵、知識は有害なことがあります。そっくりそのまま、この世を教会に持ち込んではいけないのです。
 また、約束の地は棚からぼたもち的にやってくるのではありません。あなたの行くところがどんなところであれ、あなたが神を第一とし、神に従順に従うなら、そこは乳と蜜の流れる約束の地となることでしょう。学校も職場も結婚も教会も、いつも神を第一として従順に従うならそこは乳と蜜の流れる地となるでしょう。時にはそれまでにイスラエル人のように訓練され、苦しい試練に会うかもしれませんが必ず道は開けます。
 最後に約束の地とは当然、私たちが待ち望んでいる神の国、天国の象徴です。

これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。ヘブル11:13〜16

 私たちの本当の国籍は天にあります。いつの日にか私たちはそこに行きます。私はこの地上で生きるときも、もし永遠の住まいが判らなかったら気が狂うと思います。この世だけで終わると信じているなら、どこに行くのか判らなかったら、一瞬たりとも心に平安はないでしょう。私は世の人々が行き先の判らない電車に乗って平気でいることが理解できません。私たちは行き先を確認しないで電車の乗ることはありませんし、間違って乗ったら周りの人にこの電車はどこ行きですかと聞くでしょう。そして間違っていたら乗り換えます。ところが電車の中のほとんど全ての人が「私もどこ行きか判らないのですが、みんなが行くので乗っているのです」と答えるのです。そんなことってありますか?
 私たちは行き先を知っています。それは永遠の約束の地です。それは永遠に乳と蜜の流れる地なのです。