メッセージ 2002・1・ 13 小 石 泉
牧師
私たちに与えられている権威−U
ここでもう一度、イエス様がご自分の力と権威について何と言っているかを確認しましょう。私はその深い意味を今まで本当に理解していたとは言えなくなりましたから。
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。
ヨハネ5:19〜20
わたしは、自分からは何事も行なうことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。5:30
そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。7:16〜18
イエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、また、わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります。8:28
繰り返し、繰り返しイエス様はご自分の力と権威とが神様から来ているということを強調しています。それは第二のアダムとして私たちと同じだということを言われているのです。実は私は長い間、イエス様は神としての力と権威を幾分かは持っておられたのだと思っていました。ところがイエス様は人となられたとき、完全に神としての力と権威を天に残してこられたのです! これは何という驚きでしょうか。それで長年の疑問が晴れました。実は私には次の御言葉がどうしても理解できませんでした。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。ピリピ2:6~11
この後半の「それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」という部分です。私は「イエス様は神なのに、どうしてもう一度全ての名に勝る名を与えられたのだろう?」と不思議でなりませんでした。
キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。ヘブル5:7~10
この御言葉もそうです。「ご自分を死から救うことの出来る方に祈った」とか「従順を学び、完全なものとされた」とか「メルキゼデクの位に等しい大祭司となった」とか言うのは神である方にはふさわしい言葉ではないのではないかと思っていました。
さらに、次の御言葉も、もともとそういう方だったはずなのに、さらに与えるのだろうかと疑問でした。
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。エペソ1:20〜21
しかし、今回はっきりわかりました。イエス様は神としての“本質”は持っておられたのですが、“属性”すなわち力と権威は完全に捨ててこられたのです。主は全く私たちと同じ肉体と能力の持ち主となられたのです。ですからイエス様のなさった御業は私たちにも出来るのです。(“”は神学用語。たとえば神は愛である,は本質、創造者である,は属性。)
イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」ルカ10:18〜20
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。14:12
「わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。」「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。」
何という約束を主はされたのでしょうか。それを私は全く理解していませんでした。歴史上のクリスチャンの何パーセントがこのことを本当に理解したでしょうか。
サタンはこのような知識を出来るだけクリスチャンに知らせないように働いてきました。ですから私たちは「サタンが、いなずまのように天から落ちました。」とか、
そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。ヘブル2:14〜15
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。ローマ8:37
と言われてもほんとかなあと思うばかりで、なかなか実感がわかなかったのです。
クラフトさんの本に面白いことが書かれていました。悪霊たちに次の言葉をかけると嫌がって、やめてくれと叫びだすというのです。
神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。コロサイ2:15
私たちはサタンに騙されてきたのです。私たちの地位、力、権力、権勢はもっと、もっとすごいものだったのです。それは私たちが神の子、家族、神の財産の相続人とされていたからです。宇宙万物は私たちのものなのです。これは誇大妄想ではなく、聖書にしるされた私たちへの、神の永遠不変の約束なのです。
もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。ローマ8:17
しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。ガラテヤ4:4〜7
「私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人です。もはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。」すごいとしか言えません。わかっているつもりでも、案外、実感してなかったでしょう。
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。エペソ1:3〜5
これが神の私たちへの本当の御心です。
ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。ヤコブ4:7
アーメン、アーメン。もう恐れることはありません。立ち上がりましょう。この真理を硬く握って。