メッセージ 2001・11・25   小 石 泉 牧師

悪霊を追い出せ

長い間、私はどうしても解決できない問題に悩んできました。それはクリスチャンになった人でもなかなか霊的に解放されないで、いつまでも精神的な苦しみに会い続ける人が居ると言うことと、年配の方々にどんなに福音を語っても結局「わかりません」と去って行かれることがしばしばだと言うことです。聖書は「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」Uコリント5:17とあるのですが、実際には長く古い自分を引きずり、なかなか新しくなれないのが本当です。それも普通に古い自分、なかなか罪から切り離せない自分というのなら何とか信仰者として成り立つのですが、時にはそれが生きるか死ぬかと言う苦しみである場合もあるのです。また、年配の方々はまるで鋼鐵のよろいを着ているかのように福音を拒絶します。これはどうしてなのだろうと悩んできました。 
ところが最近ある本に出会いました。それはレベッカ・ブラウンという女性の書いた本で、題名は「打ち壊されていない呪い」というものです。この日本語訳のタイトルが「呪い」と言う文字がバカデカクテ、なんとも不気味な表紙なので警戒していたのですが、読み進むうちに「そうだ、そうだ、自分も同じ経験をしている」と叫ばずにはおれませんでした。目からうろこです。当たり前のことでした。しかし、なかなかこのように正しく捕らえられていないのです。私は非常に行き詰まりが打開されてゆくように感じ、なんだかこれからの伝道、牧会に明るい展望が開けた気がしました。
悪霊を正面から捕らえるのはあまり気の進まない仕事です。だれでも、もっと明るい話題を取り上げてほしいでしょう。しかし、実際の伝道の場では七転八倒してもがき苦しんでいる人に何とか対処しなければならないことが多いのです。だからこの本はあまり一般には紹介する必要は覚えないのですが、必要な人には絶対に必要なのです。私たち牧師は時には医学の先端の技術者のように、恐ろしい細菌やウイルスを研究しなければなりません。「そんなことはいやです」では役に立たないのです。
この本の内容は一言で言い表せます。それは「人はサタンや悪霊にその人を左右する権利を与える場合があり、その権利はさかのぼって取り消さない限りサタンに攻撃の機会を与え続けるものだ」と言うことです。さらに「その権利は、時には本人以外の人によってももたらされることがある」のです。また「不用意な言動、準備がなく、神に命じられてもいないサタンへの攻撃」でもその権利は発生します。さてしかし私は、このような教えを「境界線の真理」と名付けます。これ以上踏み出すと危険な、崖っぷちの真理です。ですから気をつけて学びましょう。
福音書でイエス様は弟子たちにしばしば福音を伝えるように言われましたがその時必ず悪霊を追い出すように勧めています。ところが私たちはこの悪霊を追い出すと言うことは特殊なことで、今はないとか、めったにないことだと思っています。それは悪霊と言うと、あのゲラサ地方で2千頭の豚を湖に落としたレギオンを宿していた男のような場合だけを考えるからです。ところがその本を通して、悪霊はほんの日常茶飯、私たちの身の回りにいることを教えられたのです。日本には無数の偶像がありほとんど毎日人々は神棚や仏壇や仏像に線香を焚き、手を合わせ、礼拝をしています。

私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。Tコリント10:19〜20

ここで明確に偶像への捧げものは悪霊に捧げられていると書かれています。
そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。Tコリント8:4〜6
日本人が礼拝する偶像は神の忌み嫌われるものです。考えてみれば日本には偶像を通して悪霊が満ちているのです。このような偶像に手を合わせ、敬うことは、悪霊に対して権利を与えることになるのです。この他にも新興宗教に入ったり、お札や、お守り、サタン礼拝、偶像のミニチュア、その種の絵画、占い、コックリさん、ニューエイジ、偽預言者の按手などなど数えればきりが無いほど悪霊の侵入口は多いのです。
ある人がかつて偶像を礼拝したり、そのようなグッズをもっていたりすると悪霊はその人を自分の支配下にあるものとして権利を主張します。だから、そこから抜け出ようとすると攻撃してきます。クリスチャンになったら急に体が不調になった、困難が増した、物事がうまく行かなくなったと言うようなことを時々耳にしますが、それはここから来ていると言えるのです。また、その人が深く悪霊を関わっていた場合はしばらくの間、肉体的にも精神的にも戦いがあります。金縛りとか商売の不調とかもあります。
また、これは他人から来ることもあります。例えば両親がその子をサタンや悪霊に捧げていたような場合や、先祖の関わりすらあると言います。サタニストたちはこういう霊的権利の継承を非常に重んじます。(いろいろな実例を挙げましたが紙面の都合で省きます)
時々、信仰者が激しい試練にあったり、なかなか解放されなかったり、年配の方がどうしても信仰に入れないのはこういう悪霊の権利をそのままにして置くからなのです。
ではどうしたら良いのでしょうか。まず、自分が悪霊に権利を与えてしまったところをすべて思い出し、主の御前で悔い改め、悪霊に権利を排除する宣言をしてください。また、偶像とそれに類するものを自分の周りから排除してください。もし、あなたの一存では排除できない場合は話し合うか、駄目なら毎日その偶像などの前で主イエスの御名によってこの家から出てゆけと祈ってください。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」使徒16:31
とあるのですから、あなたは家族を救う権利を主から頂いているのです。また、年配の方々には偶像礼拝が罪であることを説明し、祈ってあげましょう。納得しないなら陰ながら祈り続けることです。また悪霊に対して排除する宣告をし続けてください。
さて、悪霊やサタンについて語るとき、必要以上に恐れを持つ方々がおられます。それどころか悪霊という言葉すらいやがって使わないことが多いのです。しかし、イエス様は実に多くの場合、実際的に悪霊を追い出し、またそうするように弟子たちに命じています。それは必要なことであり、そうする力をイエス様は持っておられたからです。

キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。ピリピ2:8〜11

 しばしば悪霊がイエス様に出会ったとき、彼らは恐れおののき許しを求めています。

また、会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめいた。「ああ、ナザレ人のイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」ルカ4:33〜34

イエスが、「何という名か。」とお尋ねになると、「レギオンです。」と答えた。悪霊が大ぜい彼にはいっていたからである。悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。ルカ8:31


 このような権威と力を主は弟子たちに与えられました。

イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」ルカ9:1~10:20

 弟子たちは悪霊がイエスの名で命じると自分たちに服従することを喜びましたが、私たちと全く同じ受け止め方をしているではありませんか。そして、それは私たちにも期待されているのです。ただし、正しい信仰を持っている場合だけです。

ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と言ってみた。すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と言った。そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押えつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。使徒19:13〜16

 また悪霊があなたの罪を指摘して逆襲してきても、私たちには確実な守りがあります。

しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。Tヨハネ1:7

また、特に神様から命令されてもいないのにサタンや悪霊を不用意に攻撃することのないようにしてください。自分の周りにやってくる攻撃には対処すべきですが、たとえば神社仏閣に行って滅びるように命令するようなことは馬鹿げたことです。彼らはとにかく今はそこに存在することを許されているのです。
あなたがいつまでたっても問題に勝利できない、救いの確信が持てない、長い精神的肉体的な病気に悩まされている、と言うような場合には、どこかで悪霊に権利を与えたことがないか思い出してみてください。神様の私たちへの御心は私たちが平安で幸いな人生を送ることなのです。

愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。Vヨハネ1:2

 この他、のろいを受けたら、のろい返すなどと言うのも間違いです。それでは自分が悪霊に協力してしまいます。愛によって全てに勝利できることを覚えましょう。

参考:マタイ10:8、 12:28、 マルコ1:39、3:15、16:17、Tコリ10:20、エペソ6:12、ヤコブ2:19、Tテモ4:T、黙示録9:20、 16:14 、18:2、使徒15:20、15:29、17:16、Tコリ8:7、 10:14
Tヨハ5:21