メッセージ 2001・11・11     小 石 泉 牧師

生ける神の子キリスト

さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」マタイ16:13〜19

最近、日本のキリスト教会では天皇制をどう思うかという議論が盛んに行われています。今までは戦後の反動で天皇制否定の意見が多かったのですが、世界にもまれなこの制度を肯定的に見ようとする考えの方々が意見を言うようになりました。
私の考えでは戦争の反省から全部を否定するのは間違っていると思います。王として認めるのは聖書から見ても正しいことです。大体、王という概念がなかったら、王の王というキリストの概念が生まれてきません。王は旧約聖書では頭から香油を注がれて即位しました。この行為をメシヤと言いましたから、王はメシヤの一人なのです。しかし、戦時中、日本のキリスト教会が天皇を神としないために大変な苦しみを受けたことを覚えなければなりません。私が知る限りでも26人の牧師先生がそのために殉教しました。
さて、ピリポ・カイザリヤはイスラエルの北部にあり今はバニヤスという小さな町です。ヘルモン山の伏流水が流れ出す水の多い美しい町です。ここはヘロデの子ピリポが父から譲り受け当時のローマ皇帝テベリウスに捧げてカイザリヤと名づけ地中沿岸にあったカイザリヤと区別するためにピリポ・カイザリヤと名づけたのです。
当時ここにカイザルの宮があり、皇帝の像が置かれていました。この宮の前を通る人はその前で礼拝し、カイザル、生ける神の子キリストと言わなければなりませんでした。しかし、ペテロはイエス様が「私を誰だと思いますか」という質問に「あなたこそ生ける神の子キリストです」と告白したのです。これは非常に危険な行為でした。
この告白をイエス様は大変喜ばれました。そしてそれをあなたに表わしたのは神御自身だといったのです。その後、大変なことを言われました。
「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
この所から、カトリック教会はペテロだけに天国の鍵は与えられていて、その後継者である法王だけがその権威を持っているのだと言っています。しかし、イエス様はペテロすなわちギリシャ語でペトロス(小さな石)と対照的にこの岩、ペトラという言葉を使われました。ペトラとは巨大な岩を意味します。プロテスタント教会ではこの岩とはペテロの告白した言葉だと解釈しています。バニアスには巨大な岩山があります。その下からヘルモン山の伏流水がほとばしり出ています。それがヨルダン川の源流です。「信じるものはその腹からいける水が河川となって流れ出るであろう」と言う御言葉を思い出すのです。ですから私たちは信じるもの全てに天国の鍵が与えられていると信じています。あなたの言葉、あなたの決定が、もしかすると他の人の永遠の運命を決めるかもしれないのです。恐ろしいほどの権威ではありませんか。
私たちはとかく、この世の権威や富や権力に恐れを抱きますが、むしろ私たちこそ大いなる権威を与えられていることを覚えましょう。もっともそんなことを言うと、誇大妄想狂と言われるかもしれないのですが、聖書が言っていることは真実です。実際、今ある権威がいつまでも続くと言う保障はありません。今、目の前で私たちは大いなる権威や富が崩壊しているのを見ているではありませんか。銀行も大企業も次から次と危なくなっています。中国ではそのように権威、権力が交代しているのを人々は見て、変わらない権威であるキリスト教を求めたために、人口の10パーセント近い人々が神を信じているのです。日本人は戦後すぐにはキリスト教を求めましたが、繁栄と共にまたもとの偶像に戻ってしまいました。しかし、それも崩れかかっています。
さて、この後、再びローマ皇帝、カイザルの権威を100倍したような権威を持った人物が現れると聖書は預言しています。

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。Uテサロニケ2:3〜4

「自分は神だ」これが合言葉です。そのときこそ私たちは反キリストと呼ばれるサタンの一人子が世に現れたことを知るのです。その人は再建されたエルサレムの神殿に座るでしょう。そして世界中の人々に自分を礼拝するように命じるでしょう。そのとき私たちはペテロのように「いいえ、イエスこそ生ける神の子キリストです」と告白できるでしょうか。
私たちは、今は心配しないことにしましょう。全ては神の御手にあります。今、私たちに神様が期待していることは、ペトラ、大いなる岩の信仰告白を表わして、大胆に人々に福音を伝えることです。私たちが地上でつなぐことは天でもつながれ、地上で解くことは天でも解かれるのです。あなたの親しい人々を、まず霊的に天につなぐように祈りましょう。そして福音を語りましょう。