メッセージ 2001・ 11・4   小 石 泉 牧師

新しい賛美

今日は非常に重要なお話をしますから注意深く聞いてください。先週の賛美に引き続き、礼拝の賛美についてです。今、私たちの教会は新しい賛美をしていますが、これは単に賛美がにぎやかになった、というのではありません。実は礼拝そのものが新しくなったのです。これは最近開かれた新しい真理の発見によるのですが、そのことを知り意識している教会はそんなに多くはありません。それは“ダビデの幕屋の回復”英語でレストレーション(Restoration of Tabernacle of David)と呼ばれる真理です。それは長いこと教会に隠されていた真理ですが、今から約20年前にケビン・カナーという方を中心に、アメリカとカナダの先生たちが使徒行伝の研究中に発見されたものです。

ふたりが話し終えると、ヤコブがこう言った。「兄弟たち。私の言うことを聞いてください。神が初めに、どのように異邦人を顧みて、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったかは、シメオンが説明したとおりです。預言者たちのことばもこれと一致しており、それにはこう書いてあります。『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。』使徒行伝15:13 〜18

ここは異邦人に聖霊が下ったことをエルサレムのユダヤ人教会が議論している過程で使徒ヤコブではなくイエスの兄弟ヤコブが言った言葉です。この中でヤコブは奇妙なことを言っています。それは「ダビデの幕屋を建て直す」という言葉です。この言葉は旧約聖書のアモス書の引用です。

その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。アモス9:11

長い間教会はこの言葉に注意を向けませんでした。案外、ダビデの幕屋というのをモーセの幕屋と読み違えていたのではないかと思います。それというのもダビデの幕屋というのは旧約聖書中にほんの一瞬しか現れないからです。

主が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された、ということがダビデ王に知らされた。そこでダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った。主の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。こうして彼らは、主の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真中の場所に安置した。それから、ダビデは主の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。サムエルU6:12〜17

王となったダビデは政権が安定すると神の契約の箱をエルサレムに運ぼうとしました。契約の箱はモーセの幕屋の中の最も重要な器具として、その至聖所に置かれていました。モーセの幕屋ははじめシロにありましたが運ぶ途中の事故のために当時は祭司のオベデ・エドムの家にありました。ダビデはエルサレムのダビデの町と呼ばれる一角にテントを張り、その真中に安置しました。おそらくダビデは石造りの神殿を建設するまでの当座の仮の場所としてそうしたのでしょう。その神殿はソロモンが建設しました。しかし、これは神様の遠大な御計画だったのです。
図をご覧ください。モーセの幕屋は周りを幕で仕切られた庭があり、そこにはイスラエル人の男子だけ入ることが出来ました。そこには捧げ物の獣を焼く祭壇があり、身を清めるための洗盤がありました。その奥に聖所の天幕がありそこには祭司しか入ることは出来ませんでした。祭司たちは毎日そこに入り、12枚のパンを捧げ、燭台に灯をともし、香をたきました。その奥に至聖所がありそこには大祭司だけが年に一回だけ子羊の血を携えて入ることが許されました。祭司は香の壇を持って入り、至聖所を香で満たしました。そのときケルビムの間からシカイナ(またはシェキナ)の光が出て照らしたといわれています。それ以外明かりはありませんでした。
さて、大祭司は契約の箱の贖いのふたの上に血を注いだのですが、その間、周りを取り囲むイスラエル人には大祭司の衣のすそにつけられた鈴の音しか聞こえませんでした。それは鈴にざくろ鈴にざくろとつけられていました。大祭司が作業をしている間、人々にはチリチリとなる鈴の音だけが聞こえました。もし大祭司がその作業中に死んだり倒れたりした場合、至聖所には大祭司しか入れませんから、大祭司の足にはロープがつけてあって、音が聞こえなくなったときはそのロープで引っ張り出されました。モーセの幕屋の礼拝は静寂の中で行われました。一方、ダビデの幕屋ではその正反対でした。

ダビデは全イスラエルをエルサレムに呼び出して、主の箱を定めておいた場所へ運び上らせようとした。そこで、ダビデは、アロンの子らとレビ人とを集めた。・・・そして、レビ族は、モーセが主のことばに従って命じたとおり、神の箱をにない棒で肩にかついだ。ここに、ダビデはレビ人のつかさたちに、彼らの同族の者たちを十弦の琴、立琴、シンバルなどの楽器を使う歌うたいとして立て、喜びの声をあげて歌わせるよう命じた。そこで、レビ人は、ヨエルの子ヘマン、彼の同族からベレクヤの子アサフ、メラリ族から彼らの同族クシャヤの子エタンを立てた。第二の部類に属する彼らの同族の者たちも、彼らとともにいた。・・・彼らは青銅のシンバルを用いて歌った。ゼカリヤ、アジエル、・・・は、十弦の琴を用いてアラモテに合わせた。 マティテヤ、エリフェレフ、・・・は、八弦の立琴に合わせて指揮した。・・・祭司たち、すなわち、シェバヌヤ、ヨシャパテ、・・・は、神の箱の前でラッパを吹き鳴らす者、オベデ・エドムとエヒヤは箱を守る門衛であった。こうして、ダビデとイスラエルの長老たち、千人隊の長たちは行って、喜びをもって主の契約の箱をオベデ・エドムの家から運び上ろうとした。神が、主の契約の箱をかつぐレビ人を助けられたとき、彼らは七頭の雄牛と七頭の雄羊とをいけにえとしてささげた。ダビデは白亜麻布の衣を身にまとっていた。箱をかつぐすべてのレビ人、歌うたいたち、荷物係長ケナヌヤ、歌うたいたちも、同様であった。ダビデは亜麻布のエポデを着けていた。全イスラエルは、歓声をあげ、角笛、ラッパ、シンバルを鳴らし、十弦の琴と立琴とを響かせて、主の契約の箱を運び上った。こうして、主の契約の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは、窓から見おろし、ダビデ王がとびはねて喜び踊っているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。こうして、彼らは、神の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真中に安置した。・・・・・・それから、彼らは神の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。歴代誌T15:3〜16:1

まあ、何というにぎやかな行進でしょうか。あらゆる楽器に加えてダビデは踊りを踊ったのです。これは彼の喜びの礼拝でした。そして、これは神の喜ばれる礼拝でした。礼拝は喜びがなければなりません。モーセの幕屋の礼拝は神への恐れだけがありました。
ところでダビデはここで大変大きな変化をもたらしました。それは考えようによっては律法を犯す重大な犯罪でした。もともと契約の箱は青い布で包まれて一般の人々には見えませんでした。はっきりは判らないのですがこの頃は見えていたようです。また、ダビデはレビ人ではないのですがエポデを身につけ祭司として行動しています。
ダビデは大きな一つのテントの真中に契約の箱を安置しました。それは見ようによっては大きな至聖所でした。ダビデはこのテントの中に多くの聖歌隊を入れ、恐らくは一般の人々も入って共に賛美し共に喜びを分かち合ったと考えられるのです。驚くべきことに、これはイエス・キリストの血によって贖われた教会の姿です。

こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。ヘブル10:19〜20

私たちはイエス様の贖いによって「はばかることなく」至聖所に入ることが許されています。そこにはもう庭と聖所と至聖所を隔てる幕はありません。
すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。マタイ27:51
こうして現在の私たちは至聖所に入って礼拝をしているのです。モーセの幕屋には本来は大祭司しか入ることが出来なかったのです。私たちは羊の血ではなくイエスの血があります。これは良く知られていることなのですが、それとダビデの幕屋を結びつける考え方がなかったのです。教会はこのことを忘れて、もう一度モーセの幕屋のような命のない、祭司だけが神に近づくという間違った礼拝をしていないでしょうか。全ての人がはばかることなく神のみそばにやってきて喜びと感謝と賛美をするのが神様の希望なのです。ただしダビデの幕屋にも祭司がいて秩序がありました。これは後から申します。
さてダビデの幕屋ではにぎやかな賛美と楽器の演奏がなされていました。ところどころ飛び飛びに引用しますが皆さんはこのあたりを良く読んでください。

それから、レビ人の中のある者たちを、主の箱の前に仕えさせ、イスラエルの神、主を覚えて感謝し、ほめたたえるようにした。かしらはアサフ、彼に次ぐ者は、・・・彼らは十弦の琴や、立琴などの楽器を携え、アサフはシンバルを響かせた。祭司ベナヤとヤハジエルは、ラッパを携え、常に神の契約の箱の前にいた。その日その時、ダビデは初めてアサフとその兄弟たちを用いて、主をほめたたえた。16:4〜7

中心になったのはレビ人でした。ダビデの祭司としての働きは一時的なものでした。

ダビデは老年を迎え、長寿を全うして、その子ソロモンをイスラエルの王とした。ついで、彼はイスラエルのすべてのつかさ、祭司、レビ人を集めた。レビ人のうち、三十歳以上の者を数えたところ、ひとりずつ人数を調べた合計は三万八千であった。「そのうち、主の宮の仕事を指揮する者は二万四千、つかさとさばきつかさは六千、そして、四千人は門衛となり、四千人は私が賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美する者となりなさい。」そして、ダビデは彼らを組に分けた。レビ族を、ゲルション、ケハテ、メラリに分け、彼らの役目は、アロンの子らを助け、・・・・・・立って朝ごとに主をほめたたえ、賛美し、夕べにも同じようにすること。23:1〜30

4000人の聖歌隊!なんとすばらしい演奏だったことでしょう。教会の音楽はオルガンで厳かに静かに行われるべきだという人々に見せてやりたいところです。そういう人間の頭で考えたキリスト教は神の喜びたもうものではありません。神のなされることは人間の頭を超えているということを認めるべきです。そうでないならその人は自分を神以上だと思っているのです。ダビデの踊りをさげすんだサウルの子ミカルのようです。

また、ダビデと将軍たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、立琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する者とした。その奉仕に従って、仕事についた者の数は次のとおりである。・・・これらはアサフの子で、王の指揮に従って、預言するアサフの指揮下にあった。・・・エドトンの子は、六人。立琴をもって主をほめたたえ、賛美しながら預言する彼らの父エドトンの指揮下にあった。・・・ヘマンの子は、・・・ これらはみな、神のことばに従って、角笛を高く上げる王の先見者ヘマンの子らであった。これらはみな、その父の指揮下にあって、シンバル、十弦の琴、立琴を手に、主の宮で歌を歌って、王の指揮の下に神の宮の奉仕に当たる者たちである。彼らおよび主にささげる歌の訓練を受けた彼らの同族・・彼らはみな達人であった。・・の人数は二百八十八人であった。彼らは、下の者も上の者も、達人も弟子も、みな同じように任務のためのくじを引いた。25:1〜8

ここで注意したいのは、賛美をするものたちが勝手気ままにしたというのではないことです。彼らは王の指揮下にあり、それぞれの父の指揮下にありました。そして賛美するものは同時に預言者でもありました。その預言でさえ王の指揮の下に行われていたのです。聖霊を強調する人々が教会の秩序を無視し、指導者の指導を軽視することがあってはなりません。不思議なことにそういうことは起こりやすいのです。サタンとなったルシファーも元は神を賛美する聖歌隊の指揮者だったといわれています。
また「訓練を受けた」、「達人であった」という言葉にも注意してください。一般社会の歌のほうが優れていたり、厳しい訓練を受けて教会より上手かったりするものです。とかく私たちはお互い同士の愛の交わりをいいことにそういうことをないがしろにしがちです。訓練を受けるものは訓練を与える人を尊んで達人になってください。

いったい、だれが雲の広がりと、その幕屋のとどろきとを悟りえよう。ヨブ36:29

幕屋のとどろき。ヨブは何を言いたかったのでしょうか。雲の広がりとはただの雲でしょうか。幕屋の上に広がった神の臨在の雲ではないでしょうか。
いつの間にか忘れていましたが私たちはこのような礼拝をしたいのです。あなたも今日から至聖所の礼拝に加わってください。