メッセージ 2001・10 ・28 小 石 泉 牧師
賛 美
今日は賛美について学びましょう。私は考えるところがあってホテルの結婚式をしています。そこでは聖歌隊という女性たちが賛美歌を歌います。中にはすばらしい声で歌う人もいます。しかし、いつも、これは賛美歌ではあっても賛美ではないと思うのです。なぜなら彼女たちは誰に向かって歌っているか判らないからです。
賛美とは神に向かって歌うものです。賛美歌は誰に向かって歌うかを知らなければ賛美ではありません。また、なぜ歌うか判らなければそれは単なる歌に過ぎません。
新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。詩篇33:3
さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。95:1
全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。100:1
聖書の中に賛美という言葉は94回、歌は331回出てきますが、ほめたたえよ、とか、ほめよ、などを含めると恐らく1000回を越えるでしょう。神様はご自分を賛美することを求めておられます。賛美はご自分の住まいだとさえ言っておられるのです。
けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。詩篇22:3
賛美はそれを歌うことが許される人々がするものです。
正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。詩篇33:1
心の正しい人、神によって救われ、義人とされた人、そういう人が賛美するとき、本当の賛美が歌われるのです。
ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。ヘブル13:15
賛美はいけにえ、捧げ物だと書かれています。人間が神様に捧げられる最高の捧げ物は賛美なのです。くちびるの果実、ほかの聖書はただ、実と訳していますが新改訳聖書は果実と訳しています。これは良い訳だと思います。英語ではFruitです。私たちの汚れたくちびる、人をののしり、うそをつき、悪態を言うこのくちびるから、みずみずしい果汁にあふれた賛美の果実が生まれるというのですから何と幸いなことでしょうか。絶えず捧げようではないか。いつも賛美に満たされているならあなたは幸いです。私の神学校の同級生で金子という友人がいました。彼はいつも賛美をしていましたから、金子が来るのは姿が見えなくてもわかりました。金子が来るのは3キロ先から判ると言われたものです。あなたも絶えず賛美をしてください。
詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。エペソ5:19
キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。コロサイ3:16
クリスチャンの交わりはこうであるべきだと言うのです。「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」何と美しい交わりでしょうか。ちょっと現実とはかけ離れていますが・・・・。「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」何で、もう一度書くのでしょうか。しっかりと心に留めてほしいのです。これが本当の教会、クリスチャンの姿なのだと。夢のような話ですが、それを神様は期待しておられるのです。
さて、賛美はまた力、それも巨大な力です。よく知られているところですが、旧約聖書のユダの王、ヨシャパテのときに起こった驚くべき実例を見ましょう。
ヨシャパテはユダの王のうちでも神に忠実な善王でしたがあるとき敵の大軍が攻めてきたのです。
この後、モアブ人とアモン人、および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテと戦おうとして攻めて来た。そこで、人々は来て、ヨシャパテに告げて言った。「海の向こうのアラムからおびただしい大軍があなたに向かって攻めて来ました。早くも、彼らはハツァツォン・タマル、すなわちエン・ゲディに来ています。」ヨシャパテは恐れて、ただひたすら主に求め、ユダ全国に断食を布告した。歴代史U20:1〜3
ヨシャパテ王はこの大軍に当たるのに、直ちに軍隊を編成し、武器を整え、隣国に助けを求めたのではありません。彼が助けを求めたのは彼の先祖の神でした。これは聖書を長く読んでいると当たり前のように感じますが、一旦、現実の世界から考えるとずいぶん奇妙な行動です。しかし、信仰の人はこういう行動をします。私たちは毎日の生活の中で同じようにしているでしょうか。もちろん自分に出来ることは精一杯しても、どうしても自分に出来ないことは主なる神に祈るほかありません。また、もし、あなたが自分の出来ることしかしないなら、神の栄光は現れません。以下ちょっと長いので省略しますが皆さんは聖書を開いて読んでください。
ユダの人々は集まって来て主の助けを求めた。すなわち、ユダのすべての町々から人々が出て来て、主を求めた。わかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。(中略)ユダの人々は全員主の前に立っていた。彼らの幼子たち妻たち子どもたちも共にいた。20:4〜13
多くの国民の前でこのように祈る王を国民も頼もしくうれしく思ったことでしょう。このときには国民の、幼児も、子供も、妻も一緒に祈りに加わっていたのです。列王記、歴代史の王や国民を知っている人が見ると驚く場面です。ほとんどの場合、イスラエルとユダは不信仰で神をあなどり、偶像礼拝に走った歴史があるからです。
神は直ちに答えられました。
ときに、主の霊が集団の中で、アサフ族の出のレビ人ヤハジエルの上に臨んだ。彼はマタヌヤの子エイエルの子ベナヤの子ゼカリヤの子である。彼は言った。「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。あす、彼らのところに攻め下れ。見よ。彼らはツィツの上り道から上って来る。あなたがたはエルエルの荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。』」それで、ヨシャパテは地にひれ伏した。ユダのすべての人々とエルサレムの住民も主の前にひれ伏して主を礼拝し、ケハテ族、コラ族のレビ人たちが立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した。14〜19
「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。」何と驚くべき神の答えでしょうか。このように答えられる神はほかにあるでしょうか。何と神は身近な存在でしょうか。「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。」ここまで言われたら、誰でも安心して従うでしょう。もっともこのヤハジエルが神の預言者だとみんなが信じていたのもすばらしいことです。ところでこの後のヨシャパテの対応がすばらしいというか不思議なのです。
こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。出陣のとき、ヨシャパテは立ち上がって言った。「ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。アモン人とモアブ人はセイル山の住民に立ち向かい、これを聖絶し、根絶やしにしたが、セイルの住民を全滅させると、互いに力を出して滅ぼし合った。ユダが荒野に面した物見の塔に上ってその大軍のほうを見渡すと、なんと、死体が野にころがっている。のがれた者はひとりもない。20:20〜24
何とヨシャパテは軍隊の前面に聖歌隊を並べたのです。「それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。『主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。』彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、」大勝利がもたらされたのです。賛美はどんな武器や軍隊よりも強力だったのです。あなたの前に立ちふさがる大軍は何ですか。あなたが悩み苦しむ問題は何ですか。賛美しましょう。賛美はその問題を粉砕してくれます。賛美は力なのです。
詩篇は賛美の書です。それは聖書の中で唯一神から人にではなく、人から神に向かって書かれた書物です。それはこの神を信じるものだけに許された特権、力なのです。不思議なことに賛美に匹敵するものを持っている宗教は他にないのです。仏教にはお経、イスラム教にはコーランの詠唱がありますがそれは賛美とは言えません。だから、賛美しましょう。賛美はあなたにふさわしいのです勝利をあたえます。
ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。
角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。
タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。詩篇150:1〜6