メッセージ 2001・9 ・16 小 石 泉 牧師
復讐はわたしがする
(911テロの後で)
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。ローマ12:19〜21
アメリカで起こったテロに対して、直ちに報復が叫ばれ、世界中が復讐を認めています。おかしなことに誰がやったか、それがどの国に責任があるのかすらはっきりしないのに巨大な軍事力が集合しています。聖書は、はっきり復讐を禁じています。復讐は復讐を生み、その連鎖は終わることがないからです。今度のテロも考えようによっては復讐です。テロに報復することはテロを撲滅できないと、聖書は取り違えることが出来ないほど明確に忠告しているのです。
ところがキリスト教国を自認し、国会で礼拝が行われ、毎週教会の礼拝に出席している議員の一人もそのことを考えず、全会一致で報復を承認したというのはおかしなことです。ひとりでも職を投げ打っても反対する人は居なかったのでしょうか。また国民の80%が同じ決定をしています。そして世界中が承認しました。今、全世界がさらに多くの、何万、何十万人が殺されるのを承認し、見守っています。恐ろしいことではありませんか。
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。マタイ24:3〜14
確かに今は終わりの日です。「戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。」とある通りです。「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」聖書は今の時代をずばりと予言しています。
そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。ルカ22:36
私たちは「剣を取る者は剣で滅びる」というキリストの言葉から自衛すべきではないと教えられています。しかし、それは日本だけの考えです。イエス様はこのようにも話しておられるのです。私たちは危機に対して自衛すべきです。もっとも我々の出来る自衛などたかが知れていますが。
あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。Tコリント10:13
私たちは迫害に会うと警告されています。しかし、ここには、それはこの世の人々と特別違ったものではなく、通常の苦しみだと言われています。そして脱出の道も備えられているのです。今、世界は大きな転換期に差し掛かっています。これまで日本は平和で安全な国でした。しかし、いつまでもそうとは限りません。そのときでも神に守りの御手はクリスチャンには与えられるのです。信じましょう。
また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。エペソ1:19〜23
「神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるか」この力というギリシャ語はデュナミスです。これがダイナマイトという言葉の語源となりました。神の御力はダイナマイトのように強力です。その力が私たちに働くというのです。その力は人間の作り出すどんな武器や爆弾より強力なのです。
またキリストの御名を「すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。」
ですからどんな政治的権力も指導者も私たちの主の御名に勝るものではありません。
どんな時代となり何が起ころうと私たちは動揺することなく主により頼む者でありましょう。その御力は教会の中に満ちています。もう一度教会の力を確認しましょう。
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では
、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、はきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。エペソ6:10〜18
そういうわけで、もちろん霊的世界の王サタンも例外ではありません。私たちにあるキリストの御名に加えてこのような武具を与えられています。一つ一つ読んで、覚えて、獲得してください。ここにはすべての解決が語られています。しかし、それは決して楽な戦いではありません。格闘と書かれています。英語でもわざわざwrestleと書かれています。ぐんずほれつ、上になり下になり取っ組み合いの勝負です。楽な戦いだと高をくくっていてはあわて惑うだけです。最後に勝つのは信仰と御言葉と聖霊の剣です。
人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。Tテサロニケ5:3
平和だ安全だと言っているそのときに突如として滅びが・・・・まるでニューヨークの事件みたいですね。しかし、私たちは時を知っています。
悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。Tペテロ3:9
このことをアメリカの人々に語りたいものです。そんなことではこの世は渡れないよと言われるでしょうか。いいえ、これは真理です。アメリカがどことも知れぬ相手に向かって巨大な軍隊を動かし、攻めようとしています。誰かが、無数の人々が犠牲になろうとしています。もう一度、叫びましょう「復讐はわたしがする」と神が言っておられますよ。