メッセージ 2001・ 7・ 8 小 石 泉 牧師
満 ち る
聖書には満ちる、または満ちた、という表現がたくさん出てきます。そして、それには聖書にふさわしい特別な意味があり、悪い意味と良い意味に使われています。
そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。創世記15:16
これはアブラハムに神様がカナン、今のパレスチナを与えると約束された箇所です。神さんはむやみやたらに自分の好む人に土地を与えるわけではなく、エモリ人(当時のカナン一帯に住んでいた民族の総称)が罪深くて、その土地がそれ以上それらの民族に与えておくにはふさわしくないと言う時まで待たされたのです。これは現在の世相を暗示しています。現代人も今の地球に住むにはふさわしくないまでに堕落していると思わざるを得ません。
地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。6:11
アブラハムより2000年も前、ノアの時代にすでに世界は暴虐に満ちていました。ヒュー・ロスという人によるとノアの時代までに、もし一組の夫婦が4年に一度子供を生むと、世界の人口は数百億人?(現在資料が行方不明のため不正確)に達していただろうということです。しかし、そうならなかったのは殺し合ったからだそうです! しかし、20世紀だって、人類は原子爆弾に至るまで戦争をして殺し合っていました。
鎖を作れ。この国は虐殺に満ち、この町は暴虐に満ちているからだ。エゼキエル7:23
悲しいかな人類の歴史は暴虐と虐殺の歴史です。神は一度ノアの時代に、その人類を全滅させなければなりませんでした。そして、再びそのときが来ようとしています。
また、四つの生き物の一つが、永遠に生きておられる神の御怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使いに渡した。黙示録15:7
神の御怒りは蓄えられいまや満ち溢れるばかりになっています。まもなく恐るべき御怒りが注がれるでしょう。一方、神の満ち溢れる愛と恵みも聖書には溢れています。
神はまた、それらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は、地にふえよ。」創世記1:22
天地創造のとき、人が造られたばかりのとき、まだ罪の芽さえ無かったとき、神様は喜びをもって言われたのです。のどかな時代でした。そしてノアの洪水の悲劇の後にも、
それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。9:1 神様は人間を愛されてこう言われたのです。その後、神は地上に何度も御自身の栄光を満たされました。まず、モーセの幕屋に。
そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。出エジプト40:34
その後、ソロモンの建てた神殿に。
祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。T列王8:10〜11
ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。祭司たちは主の宮にはいることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。U歴代7:1〜2
神の栄光が満ちるとはどういう現象なのでしょうか。私は個人的にその小さな経験を持っていますが、教会に満ちる神の栄光を見ていません。ジャック・ヘイフォード師は伝道のはじめに小さな教会で信徒とともに祈ったとき神の栄光が会堂に満ちてそこから教会が飛躍したと言います。またアメリカのある教会では神の栄光が教会に満ちたとき、近所の人が、教会が燃えていると勘違いして、消防署に電話をしたという話もあります。一度でいい、そういう経験をしてみたいものです。私たちの教会に近所の人も判るような神の栄光の現われがあってほしい。
もちろん実はクリスチャンの品性は神の栄光の現れではあるのです。だから私たちが行くところどこでも、人々が神の臨在に触れて「おや、これはなんだろう、この人はちょっと違う」と思うようになってほしいのです。そういう報告をすでにいくつか耳にしてはいますが。それにしても神の栄光をあまり目に見える形で求めるのは正しいことではないかもしれませんが、神の許しがあれば一生に一度でも経験してみたいものです。
さて、聖書には神様について、満ちるという言葉がたくさん使われています。そのほんの一部を取り上げて見ましょう。まず神の御前では喜びが満ちています。
あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。詩篇16:11
喜びと楽しみ。従来の教会ではあまり耳にしなかった言葉ですが、神に出会うとき喜びと楽しみが伴うのです。教会は喜びと楽しみの場所でなければなりません。
主は正義と公正を愛される。地は主の恵みに満ちている。33:5
神は正義と公正を愛されますが、この地上には神の恵みが満ちています。青い空も、緑の木々も、花も虫も、動物たちも、こんなに恵みにあふれているのです。そして、神を愛する人々は、
彼らはわざわいのときにも恥を見ず、ききんのときにも満ち足りよう。37:19
と約束されています。
神よ。あなたの誉れはあなたの御名と同じく、地の果てにまで及んでいます。あなたの右の手は義に満ちています。48:10
わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。50:12
幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。65:4
こうして見ると満ちるという言葉ほど神を表すときに必要な言葉もないでしょう。さて、そうしているうちに、時が満ちて、神の御子がこの世にやってこられました。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。ヨハネ1:14〜16
神の御子は恵みとまことに満ちて、それも満ち満ちておられました。
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。コロサイ2:9
この方は、さらに聖霊に満ちました。
さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり ルカ4:1
この方は、人の罪のために十字架にお掛かりになりましたがその贖いは完全です。
罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。ローマ5:20〜29
この方に従うものは同じように満たされます。まず義に、喜びに、力に、聖霊に。
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。マタイ5:6
あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。ヨハネ16:24
彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。詩篇84:7
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。使徒行伝1:8
五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。2:1〜4
こうして教会が出来、全世界に満ちました。この教会はイエス・キリストの満ちているところであり、愛の満ちているところであることを期待されています。
教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。エペソ1:23
人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。3:19
また、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。Tテサロニケ3:12
教会は試練を受けましたがそれでも満ち溢れたところでした。
苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。Uコリント8:2~8
間もなくイエスキリストは来られます。そのことを今から2700年も前にダニエルという預言者は予言しています。
そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。ダニエル2:35
これは当時のバビロンの王、ネブカドネザルに対して神が見せた世界の幻に関することでした。ここに言う鉄、粘土、青銅、銀、金というのはそれぞれローマ、ギリシャ、メドペルシャ、バビロンのことでした。しかし、その国々は大きな石に打たれてもみがらのように吹き飛んでしまったとあります。その石というのはイエスキリストです。その石は世界に満ちたとあります。間もなくイエスキリストが現れるとき、世界はこの方こそ神であり全世界の所有者だったことを知るでしょう。
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。イザヤ11:9
主を知る知識が世界に満ちる。がんばっても、がんばっても中々聞く耳を持たない日本で伝道しているとこの言葉は夢のように聞こえます。しかし、そうなるのです。
満ちるという言葉は本当に神を表す言葉です。そして教会もクリスチャンもそうあってほしいのです。もちろん良い意味においで。