メッセージ 2001・6 ・ 3 小 石 泉 牧師
敵を見失うな
先日のことです、ホテルでの結婚式の聖歌隊の女の子が、突然、私に聞いたのです。「先生、罪を許すって罪の共犯者になるのではありませんか?」あまりにも唐突で、はじめ何を言っているのか判りませんでしたが、彼女が言いたいことは、神に罪を許してもらうなんて卑怯だ、罪の償いは自分ですべきだということでした。思わずたじたじとなりましたが、とにかくキリストは神の義と愛という矛盾を一身に受け止めて私たちを救ってくださったのだと説明すると「矛盾と言うのは良くわかります」と言いました。「では、神様に従いますか?」と聞くと「いやあ、それは」と言いますので「従えー!」と言うと「それは、良いですね。」と笑っていました。私はそんな女の子がこんなにも霊的なことを考えているのかと感心しました。
最近、私は日本の教会は本当に未信者の人のことを考えているのだろうかと思います。何だか全くピント外れなことばかり追い求めているように思えるのです。いやし、解放、慰め、そんなことばかりです。イエス様の言葉は決してそんな甘い言葉ばかりではありませんし、むしろ、世の人のほうがその事を知っているようにさえ思えます。
今、私は非常に情けなく心配していることがあります、それは教会が敵を見失っていることです。まるで敵であるサタンが居ないかのように思っています。ところがサタンは至るところに、特に教会に入り込んでいるのです。戦争のとき前線の指揮官が敵を見失ったらどうして勝てるでしょうか。キリスト教会のサタンの知識はせいぜい新約聖書ですが、サタンはこの2000年間、教会のすぐ側にいて教会を観察し勉強しています。21世紀のサタンを知らなければなりません。そうでなければあまりにも危険です。
いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。マタイ10:16
イエス様はこのようにサタンに対する警戒を怠らないことを教えています。しかし、教会は鳩のように素直なことだけを求めています。私はこう言うことを言い過ぎると非難されますが、聖書からもイエス様の御心からも私は黙るわけには行きません。それと言うのも今は本当に終わりの時代であり、多くの惑わしが起こり、多くのクリスチャンが惑わされているからです。
趙ヨンギー先生とベニー・ヒンの大会が計画され、ほとんど全ての私の知っている先生方がその委員会に名を連ねているのを見るとたまらなくなります。私はベニー・ヒンが特別な霊感を受けたと言うキャサリン・クールマンの墓に行って来た、彼女の仲間以外の唯一の人間です。その墓がサタン礼拝者であるフリー・メーソンの墓地にあることを確認した人間です。ベニー・ヒンはどうしてその墓地に入れたのでしょう。彼はどんな霊感を受けたのでしょう。
その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』マタイ7:22〜23
これはまるで現在起こっていることをそのまま描写しています。大規模な惑わし、錯覚、混乱、思い違いが起こるとイエス様は言っているのです。私は自分だけが正しいなどとは思いません。しかし、多くの人々が言うことが正しいとも思いません。
彼はそこにあるほら穴にはいり、そこで一夜を過ごした。すると、彼への主のことばがあった。主は「エリヤよ。ここで何をしているのか。」と仰せられた。エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」T列王記19:9〜13
ここはエリヤが450名のバールの預言者とアシラの預言者400人と争い、大勝利をした直後のことです。これらの預言者たちは神の選民イスラエル人でした! そして彼らのサポートをしていたのは王アハブの妻イゼベルでした。イゼベルの怒りに触れたエリヤは恐れて逃げ出して神の山ホレブまで来ました。彼は疲れていました。彼は孤独でした。「ただ私だけが残りましたが」とエリヤは言っていますが、まるで私も同じ気持ちです。もちろんエリヤとは比べることも出来ない小さな者ですが。
どうぞ覚えて下さい。多くの人が言うことが正しいわけではありません。大多数が間違えるということもあるのです。そして神は奇跡やしるし、珍しいことや、大きなことの中におられるとは限りません。「激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。」私たちは落ち着いて静かに「かすかな細い」神の御声を聞く必要があります。必要なのはあっと驚くことではないのです。リバイバル、リバイバルと馬鹿の一つ覚えのように騒いでいないで、静まって神の御旨を知るべきなのです。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。マタイ6:33
今、アメリカとヨーロッパでは魔法や魔術が非常に盛んになっています。ハリー・ポッターという魔法使いの子供の話の本は空前の大ブームです。この本は魔術、魔法使いの入門書そのものだと、元占い師でキリストに救われたデイヴィッド・メイヤーさんは言っています。この本の作者は大新聞のインタビューで、とてもここでは口に出来ない言葉でイエス様をののしって居るのですが、イギリスの女王はこの女性に高い位を授けました。そればかりではありません。アメリカではエゼキエル書の言葉通りのことが行われています。ひそかに偶像崇拝、サタン礼拝が特に高い地位の人や金持ちの間に行われています。
この方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、壁に穴をあけて通り抜けよ。」私が壁に穴をあけて通り抜けると、一つの入口があった。この方は私に仰せられた。「はいって行き、彼らがそこでしている悪い忌みきらうべきことを見よ。」私がはいって行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。また、イスラエルの家の七十人の長老が、その前に立っており、その中にはシャファンの子ヤアザヌヤも立っていて、彼らはみなその手に香炉を持ち、その香の濃い雲が立ち上っていた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは、イスラエルの家の長老たちがおのおの、暗い所、その石像の部屋で行なっていることを見たか。彼らは、『主は私たちを見ておられない。主はこの国を見捨てられた。』と言っている。」さらに、私に仰せられた。「あなたはなおまた、彼らが行なっている大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」ついでこの方は私を、主の宮の北の門の入口へ連れて行った。するとそこには、女たちがタンムズのために泣きながらすわっていた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。これを見たであろうが、あなたはなおまた、これよりも大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」そして、この方は私を主の宮の内庭に連れて行った。すると、主の宮の本堂の入口の玄関と祭壇との間に二十五人ばかりの人がおり、彼らは主の宮の本堂に背を向け、顔を東のほうに向けて、東のほうの太陽を拝んでいた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているような忌みきらうべきことをするのは、ささいなことだろうか。彼らはこの地を暴虐で満たし、わたしの怒りをいっそう駆り立てている。見よ。彼らはぶどうのつるを自分たちの鼻にさしている。エゼキエル8:8〜17
ブッシュ大統領は熱心なクリスチャンと宣伝されていますが、とんでもないことです。彼は今年のイースターにこの御言葉の後半の通りに儀式を行いました。ブッシュ家は3代に渡る熱心なサタン礼拝者で、エール大学の出身者で構成されている“スカル・アンド・ボーンズ”(どくろと骨、海賊船の旗に使われている)という団体のトップの座を維持してきました。このブッシュをあの有名なビリー・グラハム師は「すばらしいクリスチャンである」とほめたたえています。
こう言うことは言う方も聞くほうもいやなことです。しかし、私たちは終わりの時代に居るのですから、もっと警戒心をもち、福音をしっかりと持ちつづけなければなりません。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という古い言葉もあります。明るいことだけを見ましょう。光の部分だけを求めて行きましょう。そんなことでは敵の攻撃に耐えることは出来ません。闇の範囲サタンの居所を正確に知る知識は絶対に不可欠です。
わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。ホセア4:6
「ただ私だけが残りました」というエリヤに対して主は答えられました。
わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。T列王記19:18
背教と偽り、不信仰と反逆、それはいつもありました。しかし、神はいつも忠実な選びの民を取って置かれました。今も多くの真実なクリスチャンはたくさん居ます。目を覚まして勇気をもって福音を伝えましょう。バアルにひざをかがめない七千人の中にあなたも入って居てください。