メッセージ 2001・ 3 ・ 4    小 石 泉 牧師

クリエイティブ・ライフ(創造的な人生)

“主よ。あなたは代々にわたって私たちの住まいです。山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です。あなたは人をちりに帰らせて言われます。「人の子らよ、帰れ。」まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。あなたが人を押し流すと、彼らは、眠りにおちます。朝、彼らは移ろう草のようです。朝は、花を咲かせているが、また移ろい、夕べには、しおれて枯れます。まことに、私たちはあなたの御怒りによって消えうせ、あなたの激しい憤りにおじ惑います。あなたは私たちの不義を御前に、私たちの秘めごとを御顔の光の中に置かれます。まことに、私たちのすべての日はあなたの激しい怒りの中に沈み行き、私たちは自分の齢をひと息のように終わらせます。私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。”詩篇90:1〜10

これはあのモーセの祈りと書かれています。それにしては何と悲観的な詩でしょうか。しかし、毎日毎日人の死が報じられ、よく知られたアナウンサーの死という無情な現実の前にこれは本当のことだと改めて思います。それにしても歴史に残る偉大な人物がこのような詩を残すとき、何と謙遜な人だろうと思うのです。多くの英雄豪傑が自分を称える碑や墓を残すのに比べて、自分がはかない人にしか過ぎないと神の前に静かにへりくだって立つ偉大な人モーセ。その人生は波乱万丈、他人のために人生を全てを費やした人でした。
さて、今日は私たちのこの弱く、はかない人生がどうしたらクリエイティブになるかについて学んでみましょう。

“まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。”
ヨハネ12:24〜:25


イエスさまはここで御自分の死が多くの人々、何と数十億人の人々の永遠の命に関わることを言われていますが、この原則は私たちにも適用されます。私たちが本当に価値ある人生、クリエイティブな人生を送るためにはまず自分自身に死ななければならないと教えています。それは自我、エゴ、もっと分かりやすく言えばわがままです。私は長年の経験からいつも問題を持っている人々は必ずわがままであることを見てきました。一粒の麦が死ぬと言うことは自分自身の権利、資格、才能、野心を一旦神様にゆだねきることを意味します。本当は私たちは草のようにはかないものなのです。人より優れているとか、自分を何かすごいもののように考えるのは愚かなことです。しかし、人間は自分を認めてもらいたいのです。特に幼少のころ親や兄弟から馬鹿にされたり比較されてさげすまれた人はこの欲求が非常に大きく内在しています。聖書は“曲ったものは、まっすぐにすることができない、欠けたものは数えることができない。”伝道1:15 と言っていますが、これは牧師30年の実感です。曲がったものを直そうとしてどれだけ無駄な労苦をしたことか。そして結局失敗します。無理に直そうとすると折れてしまうのです。しかし実は曲がったものは曲がったものとして使い道があるのです。「木のいのち木のこころ」(草思社)と言う本を書いた法隆寺の棟梁西岡常一さんは、昔の棟梁が曲がった木を実に巧みに用いていることを書いています。またこんな話を前に皆さんにあげたのを覚えておられるでしょうか。
昔、あるバイオリンの職人がいつもすばらしいバイオリンを作るので有名でした。皆、真似しようとするのですがその秘密がわかりませんでした。しかし、ある時、そのバイオリン職人はその秘訣を明かしました。それは多くの職人が製材所から素直な良い木を選んでくるのに対して、彼は高い山に登り、岩場にしがみついている、曲がってふしくれだった木を切ってくるのでした。そのような木は堅く、髄も緻密で良い音が出るのでした。ですから曲がったものは曲がったままで用いられるのです。しかし、それでも死ななければ使えません。自分に死ぬことは意外に難しいものです。しかし、死ななければ多くの実は実りません。クリエイティブな人生はまず自分に死ぬことから始まります。さらに、クリエイティブな人生の秘訣は後ろのものを忘れることです。

“兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。”ピリピ3:13〜14


私たちはどれほど過去を悔いたり、嘆いたりすることで空しい時を過ごすことでしょうか。過去はどんなに嘆いても帰ってはきません。過去をどんなにうらんでも未来を創造してはくれないのです。しかし、何と多くの人々が過去に束縛されて未来を失っていることでしょう。谷川の流れを思い出してください。その水は一瞬たりとも同じ水ではありません。瞬間々々それは新しい水なのです。何とゴージャスな! そうです時間もいつも新鮮です。時間はどの人にも平等に瞬間々々新しいのです。それなのに過去の汚れた時間を追いかけますか。後ろに流れた汚い水を追いかけて飲むようなことはやめましょう。過去に未来を支配されてはなりません。いつも真新しい未来を求めましょう。次にクリエイティブな人生の秘訣はくちびるの言葉です。     
  
“口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。”  マタイ15:11  

イエス様は時々面白いことを言われます。口から入るもの、食物で人は汚れない。口から出る言葉が人を汚すというのです。今も昔もある種の食物を断つことで自分を正しくしようとする人々がいるものです。しかし、これは自己満足です。それよりも汚い言葉がその人を汚すのです。

“その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。”
イザヤ6:4 〜5 


これはイザヤが神の栄光を見たときに言った言葉ですが、彼は自分が神の前に汚れた罪人であることを、ことばの汚れた者だと表現しています。日本人だったら手を汚したとか腹黒いとか言うところでしょう。聖書では人間の罪はことばにあるとしています。箴言は驚くほどこのような「ことば」への警告に満ちています。
“偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。”4:24 “悟りのある者のくちびるには知恵があり、思慮に欠けた者の背には杖がある。知恵のある者は知識をたくわえ、愚か者の口は滅びに近い。”10:13〜14 “憎しみを隠す者は偽りのくちびるを持ち、そしりを口に出す者は愚かな者である。ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある。正しい者の舌はえり抜きの銀。悪者の心は価値がない。正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚か者は思慮がないために死ぬ。”10:18〜21 “愚かな者の口は自分の滅びとなり、そのくちびるは自分のたましいのわなとなる。”18:7 “陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。”18:8 “正しいことばは王たちの喜び。まっすぐに語る者は愛される。”16:13 “親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。”16:24 やさしいことばは人の骨を健康にし、怖いことばは骨の病気を生みます。これは本当にあることです。“愚か者でも、黙っていれば、知恵のある者と思われ、そのくちびるを閉じていれば、悟りのある者と思われる。”17:28 “心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となる。”22:11 
明らかにことばというものは私たちが考えている以上に重大なものです。それは人生そのものを良くも悪くもするのです。その極めつけとも言うべきものは次のことばです。

“死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。”18:21  

  ことばは生と死を支配していると箴言は言うのです。これは驚きです。どうもことばは私たち人間の体そのものを変化させる力を持っているようです。

“私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲへナの火によって焼かれます。どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。”ヤコブ3:2 

最近になって判ったことですが、人間の言語中枢神経は全神経を支配する位置にあるのだそうです。ヤコブはそれを2000年も前に言っています。私たちは人から良いことばを聞くと心が楽しくなり、体も軽くなりますが、悪いことばを聞くと憂鬱になり体も疲れます。確かにことばはその人のホルモンに影響を与えると思われます。だからエペソ書にはこのように書かれているのです。

“悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。”エペソ4:29  

これがクリエイティブな人生を送る第三の秘訣です。年をとった人がいつまでも終わらない愚痴を言うのは悲しいことですし、体にも悪いのです。残りわずかな人生ならなおさらクリエイティブに明るく楽しまなければ損です。言葉を清め、良い、楽しい言葉を語りましょう。それは自分だけではなく周りの人も幸せにするのです。

“なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。”ローマ10:9〜10

 最後にことばはこの人生の命だけでなく永遠の命に関わるのです。告白することによって私たちは罪許され救われます。ことばはこのように大きな力を持っています。はかない人生。でも生き方次第で良くも悪くもなります。クリエイティブな人生を目指しましょう。