メッセージ 2001・1・27 小 石 泉 牧師
全世界に出て行って
それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」マルコ16:15~18
救われた者として、受動的な恵みのほかに、能動的な恵みとして、私たちには福音を宣べ伝える使命があります。人間は、受けるより与えるほうが幸いなのです。福音もただ受け取るだけでなく、他人に与えるとき祝福は倍加されます。いわゆる、窓際族というのも仕事を与えないで、会社にいたたまれなくするためですから、人間は仕事や使命を持っているほうが幸せなのです。イエス様は「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と言われましたが、それは同時に私たち自身のためでもあるのです。全世界に出て行けと言われた弟子たちは文字通り全世界に出て行き、最近の研究では200年もたたずに日本まで来たらしいのです。
今、日本からブラジルやインドネシアや中国へ宣教師が出て行っています。それはすばらしいことですが、日本もまた全世界で最も宣教の必要な地です。クリスチャンは総人口の0.5%に過ぎないのです。特に千葉県の房総半島は首都圏でも最も遅れている地域です。明治時代から伝道はされていて、昭和の初期にホーリネス教団のリバイバルがあって多くの教会が出来ました。しかし、今は毎年のように教会は減少しています。牧師と信徒の老齢化、後継者の不足などが原因です。
私は今年から房総半島への伝道を行いたいという夢を持ちました。木更津、館山、勝浦、茂原と教会を作るとほぼ全域がカバーできます。この内、茂原はいつでも発足できますが、そうすると千葉の足元が弱くなるし、まだ牧師が与えられていないので、もう少し後になります。茂原の方々はもうしばらく千葉まで足を運んでください。勝浦には私たちと同じ信仰の友が、教会が出来ることを祈って待ち望んでいるということです。ですから本当にゼロから開拓するのは木更津と館山です。木更津は本部のある下丸子から車で40分ぐらいで来れますから、これはもうチャーチ・オブ・ゴッド教団のテリトリーです。館山は木更津が安定してから始めればいいでしょう。
そして千葉そのものは最も有力な伝道地です。私は千葉での伝道を夢見ながら、この5年間、まるで何もしていませんでした。どうしていたのかまるで眠っていたようです。今、浦島太郎のように唖然としています。今年から千葉での伝道を開始します。
さて、マルコによる福音書のこの箇所は、重要な写本に欠けているため、昔から論議のあるところです。しかし、この内容は使徒行伝でほとんど全て実現していますから、ここは霊感された聖書と信じられるのです。(この場合の“霊感”とは、聖書を決定する“聖書霊感”と呼ばれるものです。)そして、実に簡潔にクリスチャンの資質と使命について書かれているすばらしい箇所です。
信じるものは救われ、信じないものは罪に定められるのです。そこには何の言い訳も妥協も水増しもありません。二つに一つなのです。しかし、「信じる」「信じない」には積極的な意味があると思います。多くの人は「知らない」のです。ここで言う「信じない」は福音を聞いても「信じない」人のことだと思うのです。これはサタンの研究をしているとはっきりわかります。この世には神に逆らい、積極的にサタンに近づく人々がいるのだということを私は知って驚きました。これはクリスチャンには想像もつかないことで、言っても信じてもらえません。
次に「わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」とあることに注意しましょう。ここを最近開かれている真理に照らして注意深く読むと、改めてその断定の強さに驚かされます。やはりここには「悪霊を追い出すために祈りなさい」とは書かれていません。全て権威を与えられたもののように書かれています。「病人に手を置けばいやされます」という言葉には、そのために神に祈り求めなさいという意味はありません。私たちが手を置けば癒されると当然のことのように書かれているのです。これも私には驚きでした。私たちはサタンに騙されてきたのです。私たちは自分たちが何者で、何が出来るかを隠されていたのです。
では、すぐに出来るでしょうか。多分、そうは簡単ではないと思います。でも、やってみましょう。チャールズ・クラフトさんは「実験してみなさい」と言っています。科学者たちは、自分たちが発見した事実を何度も何度も実験して確認します。失敗を重ねて、数百回、数千回の実験によって動かぬ証拠を極めるのです。私たちも一度や二度の失敗で失望しないで、真理を信じて行動しましょう。
チャールズ・クラフトさんは、あるとき、どうしても悪霊を追い出せなかったことがあったそうです。帰り道で神様に「どうして追い出せなかったのですか」と聞くと「少なくともあなたは闘った。」と言われたそうです。何かあったのでしょう。私たちにはわからない理由が。でも闘わないでいたら敗北するだけです。
主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。
そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」
主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。
主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。
涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。詩篇126:1〜6
なぜか、口語訳聖書ではこの「捕われ人」という箇所を「繁栄」と訳していました。他の聖書と比較してみるとかなり翻訳者の意図の込められた意訳だったようです。しかし、私たちのように口語訳聖書で育ったものにとっては忘れがたい名訳だったようにも思えます。
ネゲブ砂漠にはワジとよばれる溝があります。ここはいったん雨が降ると川となり水があふれて流れます。私たちはまだこのような繁栄、捕われ人の帰還、救われる人の群れ、喜びの行列を見ていません。しかし、その前に「涙とともに種を蒔く者」「種入れをかかえ、泣きながら出て行く者」がいなければなりません。あなたも私と共にそうなってくださいますか?いつの日か、あなたも、夢見るもののように、口は笑いで、舌は喜びの叫びで満たされ、喜び叫びながら刈り取り、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来るようになるでしょう。信じましょう。そして福音を伝えましょう。