メッセージ 2000・ 12 ・17 小 石 泉 牧師
旧約聖書とキリスト-V
旧約聖書はイエス様のご生涯の詳細に渡って、まるで、見てきた者のように書いています。もっともそれらの多くは実際にイエス様が行ったことによって判ったものでしょう。
詩篇69:9 それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。
“ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。”ヨハネ2:13
〜17
ここはイエス様が唯一、怒りをあらわにされた、あの神殿を清めた個所です。このような御怒りはその後も神の忍耐となって蓄積されています。間もなく世界を清めるためにイエス様は来られます。その姿は黙示録1章にあるようにヨハネでさえ恐れて気絶したほどのものでした。人類は神の恐ろしい姿に出会うのです。その時、キリストの贖いによって神との平和(和解)を受けていなければ、縄の鞭どころではありません。
イザヤ61:1〜3 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。ルカ4:16〜21 13:11〜13
ここはイエス様の生涯を美しく描き出した個所ですが、同時にイエス様がメシヤとしての公生涯に入られて後、初めて故郷のナザレに行き会堂(シナゴーク)で聖書の朗読をしようと立ちあがったとき何も知らない会堂司に渡された個所でした。ここでイエス様はイザヤ書61章の2節の途中まで読まれたと書かれています。2節は「主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ」とあるのですが、その後半は読まれませんでした。なぜなら、この時は人類との和解と贖いのために来られたからです。復讐の日はまだ来ていません。間もなく後半が読まれる日が来ます。
イザヤ40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。マルコ10:16
イエス様は御自分を何度も羊飼いと呼んでいます。羊は羊飼いだけが唯一の身を守るたよりです。そして良き羊飼いは羊のために命を捨てると言われたとおり十字架におかかりになりました。これも驚くべき預言です。
ゼカリヤ9:9 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
詩篇8:2 あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。マタイ21:4
イザヤ52:10 主はすべての国々の目の前に、聖なる御腕を現わした。地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。
ゼカリヤ書の預言はイエス様がエルサレムに入城されたとき実現しました。当時の世界ではロバは戦争を終結する和平の使者の乗り物でした。戦争を継続する場合は馬に乗りました。イエス様は神と人間の和解のために来られましたからロバは正しい乗り物だったのです。そしてエルサレムは沸き立ってメシヤを賛美しました。幼子まではホザナ、ホザナと叫んだことでしょう。それで詩篇の御言葉が実現しました。人々はイザヤの預言の成就を待ちましたが、イエス様はそういう行動を起こさなかったのです。今こそ国を再興されるだろうという人々の期待は裏切られました。たった一週間で人々の期待と感激は、失望と怒りに変わりました。何のメシヤか、偽り者め。
イザヤ53:3彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。7彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。マタイ27:12,14
ダニエル9:26 その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。(口語訳)
こうしてイエス様は十字架の道を歩き始めました。ユダはその道を備えました。
ゼカリヤ11:13主は私に仰せられた。「彼らによってわたしが値積もりされた尊い価を、陶器師に投げ与えよ。」そこで、私は銀三十を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた エレミヤ19 マタイ27:3〜10
ユダは銀30枚を受け取り、イエス様が捕らわれると後悔し、その金を返そうとしますが、断られ、神殿に投げ込み、その金は不浄なので祭司たちは神殿に入れずに陶器師の畑を買いました。700年も前に何と細かいところまで預言されていたのでしょうか。
ゼカリヤ13:7 剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、わたしの仲間の者を攻めよ。・・万軍の主の御告げ。・・牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける。マタイ26:31、56
弟子たちは逃げ去りました。
イザヤ53:8しいたげと、さばきによって彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。ヨハネ18:24,28
詩篇22:16 まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。詩篇22:6〜8
しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。私を見る者はみな私をあざけります。彼らは口をとがらせ頭を振ります。
「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」マタイ27:39〜44 不当な裁きと罪名によってイエス様は十字架の道を歩みました。あざけりとののしりの中を。
とりわけ詩篇の言葉は細部に至るまで正確に実現したのです。
イザヤ53:12彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。マルコ15:27、ルカ23:34
22:18 彼らは私の着物を互いに分け合い私の一つの着物をくじ引きにします。ヨハネ19:23,24
詩篇69:21 彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました。ヨハネ19:28,29
着物はくじ引きされ、それに対しても「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と言われ、「のどが乾いた」と言うと酢を与えられました。
詩篇22:1 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。マタイ27:46
詩篇31:5 私のたましいを御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私を贖い出してくださいました。ルカ23:46
この二つの預言はイエス様の最後の言葉として1000年も前に準備されました。
出エジプト12:46 これは一つの家の中で食べなければならない。あなたはその肉を家の外に持ち出してはならない。またその骨を折ってはならない。
詩篇34:20 主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。
普通ローマの習慣として十字架刑は死ぬまで掛けられていましたが、ユダヤでは安息日には不浄なものは見せないと言うことで十字架から取り下ろしました。その際、足の骨を折って殺しました。しかし、イエス様はすでに死んでいたのでこの預言は成就しました。
ゼカリヤ12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。ヨハネ19:32〜34
この預言はまだ実現していません。間もなくイエス様がメシヤだったとユダヤ人が理解したときこのような悔い改めが起こるということです。
イザヤ53:9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。マタイ27:57〜60
イエス様は悪者どもと共に十字架に掛けられ、富める人アリマタヤのヨセフの墓に葬られました。
詩篇16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
これは復活の預言ですが、もっと多くの預言があるかもしれません。
ゼカリヤ14:4〜9 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。へブル2:8,9
これはキリストの再臨の預言です。イエス様は雲に乗って来られ、正確にオリブ山に下られます。するとオリブ山は真っ二つに裂け大きな谷が東西に出来るとあります。最近の調査でオリブ山の地下に大きな断層があっていつ大地震が起こっても不思議ではないと判りました。そのためにオリブ山に造られる予定だったハイアット・リージェンシー・ホテルは高層ビルの計画から低層の台形のビルになりました。もともとエルサレムとオリブ山の間には南北にケデロンの谷があります。するとここには大きな十字架が作られることになります。エルサレムも二つに分かれるのでしょうか。そこから水が湧き出すとありますがこれはエゼキエル書47章にも書かれています。その日は間近です。
黙示録22:20 これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。(口語訳)