メッセージ 2000・10・8    小 石 泉 牧師

ダニエル‐V

“ダリヨスは、全国に任地を持つ百二十人の太守を任命して国を治めさせるのがよいと思った。彼はまた、彼らの上に三人の大臣を置いたが、ダニエルは、そのうちのひとりであった。太守たちはこの三人に報告を出すことにして、王が損害を受けないようにした。ときに、ダニエルは、他の大臣や太守よりも、きわだってすぐれていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからである。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った。大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようと努めたが、何の口実も欠点も見つけることができなかった。彼は忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかったからである。
そこでこの人たちは言った。「私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない。」それで、この大臣と太守たちは申し合わせて王のもとに来てこう言った。「ダリヨス王。永遠に生きられますように。国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のようにしてください。」そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。

ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。・・彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。・・彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。”6:1〜10

昔は敵国に仕えた高官をまた自国の閣僚に使うなどということがあったのでしょうか。これはユダヤ人という民族の特性なのでしょうか。いつの時代もユダヤ人は大国の枢要な地位に居ました。秦の始皇帝のブレーンに、モンゴルのチンギスハーンの側近に。ローマの皇帝の傍に、カール大帝の相談役に。クリントン大統領の閣僚に。しかし、私はダニエルにせよ、イザヤにせよ、エレミヤにせよ、エリヤにせよ、ユダヤ人という範疇ではなく、創造主なる神の僕、キリストなる神の御子の僕であることのほうが大切なことだと思います。要するに彼らはわたしたちと同じ信仰の信仰者なのです。これは決して間違えてはいけないことです。
さて、しかし、ダニエルは神の偉大な僕でしたが同時に数奇な運命によって、異邦の民のねたみを買いました。彼らは敵国の宰相であった者、その上滅亡したユダヤの捕囚であった者が自分たちの上に立つことを心よしとはしなかったのです。彼らは策略によってダニエルを消し去ろうとしました。彼を訴える手段は唯一、彼の信仰以外にはありませんでした。彼はその法律の発布にもかかわらず平然といつものように神に祈っていました。

“すると、この者たちは申し合わせてやって来て、ダニエルが神に祈願し、哀願しているのを見た。そこで、彼らは王の前に進み出て、王の禁令について言った。「王よ。今から三十日間、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれるという禁令にあなたは署名されたではありませんか。」王は答えて言った。「取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のように、そのことは確かである。」そこで、彼らは王に告げて言った。「ユダからの捕虜のひとりダニエルは、王よ、あなたとあなたの署名された禁令とを無視して、日に三度、祈願をささげています。」このことを聞いて、王は非常に憂え、ダニエルを救おうと決心し、日暮れまで彼を助けようと努めた。そのとき、あの者たちは申し合わせて王のもとに来て言った。「王よ。王が制定したどんな禁令も法令も、決して変更されることはない、ということが、メディヤやペルシヤの法律であることをご承知ください。」そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。”6:11〜17

ついに彼らはダニエルを訴える口実を得ました。しかし、彼らの王に対する態度を見てください。彼らはもともと王すら敬っていません。彼らの心はよこしまであわよくば自分も王になりたかったのです。「王よ。王が制定したどんな禁令も法令も、決して変更されることはない、ということが、メディヤやペルシヤの法律であることをご承知ください。」これはもう脅しです。王をも陥れようとしています。王は不承不承、彼らに従わざるを得ませんでした。「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」王はそう言ってダニエルを穴に入れたとあります。これも一つの信仰告白です。

“こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。また、眠けも催さなかった。王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」すると、ダニエルは王に答えた。「王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。王が命じたので、ダニエルを訴えた者たちは、その妻子とともに捕えられ、獅子の穴に投げ込まれた。彼らが穴の底に落ちないうちに、獅子は彼らをわがものにして、その骨をことごとくかみ砕いてしまった。”6:18〜24

王の立場というものは孤独なものです。ダリウスは二心のないダニエルをどれほど信頼し頼っていたことでしょう。私はこれが今から2600年前の出来事であるとは思いません。今も、獅子より獰猛な人間の穴に投げ込まれることもあるのです。会社で学校で、時には路上で、陰湿ないじめや無差別な殺人が絶えません。それを受けている人々にとってそれは獅子の穴のようなものでしょう。いつも主に信頼して下さい。そのような日があなたに来ないことを祈りますが、もし来ても「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」「王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。」と答えられますように、このダニエルのところにあなたの名前を入れてください。その後ダリヨス王はこのような公文書を帝国の各地に送ります。

“そのとき、ダリヨス王は、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに次のように書き送った。「あなたがたに平安が豊かにあるように。私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行ない、獅子の力からダニエルを救い出された。」このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロスの治世に栄えた。”6:25〜28

バビロンのネブカデネザルとメディアのダリヨスという二人の大王がこのような文書を書き残したと言うことは大変なことです。しかし、残念ながらまだその断片も見つかっていません。どこかに必ずあると思うのですが。
さて、その後ダニエルは神様から多くの預言を受け取ります。それらは余りにもその後の世界を予見していたために、19世紀から20世紀初頭にかけてダニエル書は紀元後の創作だと言われました。しかし、そのような議論も今は打ち負かされています。今回はこの預言については語りません。今回はダニエルのひととなりと信仰について学んでいます。ただ、これらの預言や幻をダニエルがいとも簡単に受け取ったとは思わないで下さい。

“バビロンの王ベルシャツァルの元年に、ダニエルは寝床で、一つの夢、頭に浮かんだ幻を見て、その夢を書きしるし、そのあらましを語った。”7:1 “ ここでこの話は終わる。私、ダニエルは、ひどくおびえ、顔色が変わった。しかし、私はこのことを心に留めていた。」”7:28

“ベルシャツァル王の治世の第三年、初めに私に幻が現われて後、私、ダニエルにまた、一つの幻が現われた。”8:1 “私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。その後、起きて王の事務をとった。しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。それを悟れなかったのである。”8:27

これらの記事はそれぞれダニエルが神からの預言や幻を受け取った時の始めと終わりです。「ひどくおびえ、顔色が変わった」「幾日かの間、病気になったままでいた」「私はこの幻のことで、驚きすくんでいた」ダニエルにしてなお神の直接的な介在はおそるべきものだったのです。神との関わりの深みに入ることはそれなりの覚悟が要ります。この後ダニエルはこの世の終わりについて恐るべき預言を受けますぅ。それらは正に現在の世界を彷彿とさせるのですがそれは私の6冊の本を読んで下さい…PR。
そして、ダニエル書は美しい言葉で終わります。それは残念ながら新改訳聖書では現れませんので口語訳聖書から引用します。

“その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。”12:1〜3

「賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう」これは単なる詩的な表現でしょうか。天国を見てきたという人によればそれは本当にこのような光景だったということです。

“わたしはこれを聞いたけれども悟れなかった。わたしは言った、「わが主よ、これらの事の結末はどんなでしょうか」。彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。”12:8〜10

“しかし、終りまであなたの道を行きなさい。あなたは休みに入り、定められた日の終りに立って、あなたの分を受けるでしょう」。”12:13


「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい」世界中が神など居ないと言っても。全ての人々が神に逆らって立ち、神に従う者をあざけり迫害しても「あなたの道を行きなさい」。
それはダニエルばかりではなく私たち現代に生きる者への言葉です。