メッセージ 2000・8・27 小 石 泉 牧師
トマス・タダイ
“そこで、デドモと呼ばれるトマスが、弟子の仲間に言った。「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。」”ヨハネ1:16
これはベタニヤのラザロが死んで使いが来たときイエス様がラザロを起こしに行くと言われたときにトマスが
言った言葉です。当時イエス様が居たヨルダンの低地からエルサレムの隣町ベタニヤまでは30キロもの上り坂を登って行かなければなりません。約2日間の道のりです。しかも、その前にイエス様は石打の刑にされそうになりました。
“あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。”8:56〜59
トマスはベタニヤに行けばまたそのような危険があることを予測してこう言ったのです。
トマスに関しては聖書はその生い立ちやイエス様との接点について何も語っていません。ただ十二使徒であったことからかなり早い時点で弟子になっていたこと、ガリラヤ出身であり、主の復活後にぺテロたちと漁に出ていること(21:1〜2)などからやはり漁師であったのではないかと思われます。彼の別名デドモは双子と言う意味なので双子の一人だったようですが相手が誰なのかわかりません。(色々と憶測されているが大して重要なこととも思われない。またデドモもトマスもギリシャ語で双子の意味。英語ではソーマス、ディディマスと発音するので注意。)
さて彼の発言から彼の性格がわかります。彼は率直であり、どちらかと言うと実証的で懐疑的な性格だが、事に当たっては果断な決断のできる人だったようです。何事でもはっきりさせなければ気がすまないし、そうとわかれば大胆に行動するタイプです。それはその後に出てくるイエス様との応答に良く表れています。
“あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。”14:1〜6
このイエス様の言葉は今でこそわかりますが、当時の弟子たちにとっては皆目、見当もつかないことだったに違いありません。まだイエス様は死からよみがえらず、十字架の贖いによる神との和解、そして神の国への無条件の資格も理解されていなかったのです。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう」トマスの質問は当然です。ところがイエス様の答えはトマスの質問に直接答えていません。イエス様はトマスの質問を足がかりにして不朽の真理を語られたのです。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」何と驚くべき言葉でしょうか。これによって全ての宗教、哲学、倫理は完全に否定されました。しかも、主は「自分はそれを知っている」と言われたのではありません。自分自身が「道であり、真理であり、命である」と言われたのです。こんなことを言う人はよほどのきちがいかさもなければ本当にそうなのです。中間はありません。イエス様はトマスにこの言葉を与え世界に伝えさせたかったのでしょう。トマスの性格はイエス様の復活の時、遺憾なく発揮されました。
“十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」”20: 2429
「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」いかにもトマスらしいことばではありませんか。このトマスに対して何とイエス様はわざわざもう一度現れてトマスの疑問に答えました。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」これは叱責の言葉ではありません。いかにトマスを愛していたかが判るのです。「私の主。私の神。」トマスの狼狽、恐縮、後悔、驚き。彼はただイエス様を神、主としか呼べませんでした。それも誰かのではなく「わが神、わが主」として。これ以降、トマスは疑いを知らない人となったのです。彼は見ないで信じるものとなりました。その後、おもにインドに行って伝道し、バラモン教徒により殉教したと伝えられます。今でもマドラス郊外には大トマス山というのがあってその近所ではトマス・キリスト教というのがあるそうです。トマスはその祈りの姿からダルマと呼ばれるようになったとも伝えられます。
タダイとは「心から」とか「愛された者」という意味です。彼は別名をユダと言いました。ユダも「賛美しよう」と言う意味でどちらも実に美しい名前です。彼は使徒の名簿以外では、ほとんど福音書には登場しませんがヨハネは一言だけ彼について記録しています。
“イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。”14:22〜24
ヨハネはわざわざ間違えないようにイスカリオテでないほうのユダと書いています。それにしてもこれだけでは彼がどんな人物だったかについては判りません。ただこの後にイエス様は自分の後に来られる聖霊について重要な話をしています。
それを読むとタダイが主の信頼を受けていたこと使徒たちの中で確実な位置を占めていたことが判ります。私の勝手な推測ですがこのタダイは若い青年だったのではないかと思います。だから彼はあまり発言をしなかったのではないでしょうか。これはヨブ記を読んでみるとわかります。
タダイについてはユーセビオスの教会史に面白いエピソードが書かれています。イエス様の在世当時、ユーフラテス川の東の王国エデッサの王アブガラスは不治の病にかかったがイスラエルでのイエス様のうわさを聞き手紙を書いて病の癒しを求めた。さらに彼はユダヤ人のイエス様に対する陰謀も聞いていたので自分の国に来て一緒に統治してくれるようにとも書き添えた。それに対してイエス様はせっかくだが自分は神の御心を行うために行くことは出来ない。しかし、代わりの者を送ろうという返書を送った。イエス様の昇天の後にタダイはエデッサに行き王の病を癒し、息子とともに祝福した。王は喜んで莫大なお金を差し出したがタダイは「私たちは自分のものを捨てたのに、どうして他人のものを受け取れましょうか」と断った。もちろんこれは単なる伝説で事実ではないでしょう(特にイエス様が手紙を書く!)が心温まる話です。その後、タダイはエデッサを始めとして東方の国々で大きな働きをし、ペルシャで殉教したということです。