メッセージ 2000・8・ 6 小 石 泉 牧師
ピ リ ポ
ピリポとはギリシャ語で「馬を愛するもの」と言う意味です。ピリポは別に馬喰だったのではないでしょう。当時よくある名前だったのでしょう。ピリポのイエス様との出会いは特殊なものでした。
“その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい。」と言われた。”ヨハネ1:43
「ピリポを見つけて」とあることに注意してください。使徒たちのうちイエス様に見つけられたと書かれているのはピリポだけです。もちろんマタイの場合もそれに近いのですが見つけるという表現は珍しいものです。しかし、全ての弟子たちが主に見つけられたものでした。そして私たちもイエス様に見つけられた者です。「あなた方がわたしを選んだのではない、わたしがあなた方を選んだのだ」と主は言われます。私たちは誰一人、自分の力ではイエス様を神の子と信ずることは出来ないのです。神の選び、良く不信仰な人々がつまづく予定調和説は、信仰の継続のためにあるのです。私たちが「信仰」という扉を開けて中に入り戸を閉じると戸の裏側には「選ばれていた」と書かれているのです。もし、自分の信仰だけで続けようとするならまた戸を開けて出て行くことも出来るでしょう。しかし、そこに「選ばれていた」と書かれているのでもう出て行くことは出来ないのです。これは弱い私たちへの大きな励ましの言葉です。
“ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。彼はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」”44〜46
私は今度この十二使徒の学びをして、非常に不思議に思ったのは、弟子たちがあまりにも簡単にイエス様をメシヤと信じることでした。アンデレはペテロに「わたしたちはメシヤにいま出会った。」と言いました。ヨハネも兄のヤコブに同じように言ったに違いありません。ピリポはナタナエルに「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」と言っています。この辺にアンデレとピリポの人間性が表れています。ピリポはかなり理知的な人だったようです。そして言われた人々、ペテロもヤコブもナタナエルもみんな即座にそれに同意しているのです。これはどうしてだろうかと私は考えました。そして、すぐに思い出したのは次の御言葉です。
“ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。”Tコリント12:3
この御言葉は全ての時代に当てはまるに違いありません。全く表には現れなかったのですがイエス様を中心に使徒団が形成されようとしていたとき、聖霊様は激しく働いておられたのです。ちょうど世界が作られたときのようです。
“初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。”創世記1:1〜2
聖霊はイエス様がマリヤの胎に宿るとき働かれました。そして教会が産声をあげたときも聖霊が臨まれました。いつも神様の偉大な働きが始まるとき、聖霊は後ろにあってがっちりとガードしその働きを守り、生み出すのです。
さて次にピリポが出てくるのはあの五千人のパンの場面です。
“イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」”ヨハネ6:5〜7
イエス様はピリポを試されました。それは入学試験のようなものではなくピリポに御自身の御力、御自身が神であることを印象づけたかったのでしょう。イエス様は彼が有能な者である事を知っておられました。有能な人は自分の力に頼って、神への信頼、依存を忘れ勝ちです。こういうクリスチャンは実に多いものです。そして、この場で主の必要にお答えしたのはピリポより少し素朴なアンデレでした。ピリポにとってこれは忘れられない大きな学びになったことでしょう。
次は例のギリシャ人の個所ですがこれはアンデレの時に学びましたから省略します。その後はイエス様の決別のメッセージの時です。
“あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。”ヨハネ14:1〜12
「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。」
ここでイエス様はピリポの不信仰を嘆かれたのではないのです。ピリポは前のトマスと同じように使徒たちの気持ちを代表して言っているのです。人間はなんとなく判っていても言われてみるまではそのことに気がつかないと言うことがあります。またピリポは判らないことは判らないという正直な人でした。そしてイエス様に言われたとき初めてピリポたちは悟りました。「そうだったのか私たちが驚き、感動し、喜び、励まされ、慰められたこの方の業、御言葉、お姿、ご人格、これが神御自身の顕現(あらわれ)だったのか」。
人類の歴史でこれほど大きな出来事はないと言うことが出来ます。人類はエデンを追放されて以来初めて創造者にお会いしたのです。アダム以来途絶えていたエデンでの神との麗しい交わりを人類は回復したのです。あの日「そよ風の吹くころ彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた」時から長い年月の後に、神である主は再び人類にやってこられたのです。しかし、それをそうだと実感するには弟子たちはまだ至っていませんでした。ヨハネはその感動を「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」と言っています。ピリポもまた神の栄光を見たのです。
この後のピリポについては聖書は何も語っていません。ただ使徒の時代の次の時代、教父時代と呼ばれた時のエペソの監督ポリカルポスがローマの監督ヴィクトルに送った手紙には「ピリポはヒエラポリス(小アジアの町)で二人の老いた娘とともに葬られた」とあります。また、別の伝説では逆さに吊り下げられ処刑されたともあります。
ある人はピリポは内気で平凡な人だったというのですが、私には知的で頭の切れる人と言うイメージのほうが強いのです。彼はイエス様に見つけられ、創り変えられ、信仰に進み大胆で力強い使徒となったのです。
なお、使徒の働きに現れるエチオピアの宦官を信仰に導いたピリポは別人です。彼はステパノのように使徒たちによって選ばれた執事の一人でした。