メッセージ 2000・7・23    小 石 泉 牧師

ヤ コ ブ

新約聖書の中には三人のヤコブが出てきます。それぞれヨハネの兄弟ヤコブ、アルパヨの子ヤコブ、主の兄弟ヤコブです。この三人について学びましょう。
ヨハネの兄ヤコブについてはほとんどの場合ヨハネと同時に出てきますから改めて学ぶ必要が無いくらいです。彼はヨハネによって主を紹介され、その弟子となりました。そしてヨハネと同じように雷の子と呼ばれ、サマリヤを焼き滅ぼそうと提案し、主が権力の座に就いたら右と左に座らせてくれと頼みます。
このヤコブは使徒の間ではアルパヨの子ヤコブが小ヤコブと呼ばれたのに対して、大ヤコブと呼ばれていましたので体が大きい人だったか目立つ存在であったようで。そのためか彼は使徒の中で最初の殉教者となりました。

“そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕えにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。”使徒12:1〜2

このヘロデはイエス様を殺そうとしたヘロデ大王ではなくその孫のアグリッパです。ここでペテロの前に殺されたのは、当時はペテロよりも指導者とみなされていたと言う説がありますがはっきりしません。ヤコブはイエス様に右左に座らせてくれと頼んだ時、次のような言葉を与えられています。

“そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます。」と言った。イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」”マタイ20:20〜23

「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」「あなたがたはわたしの杯を飲みはします」ヤコブは確かに杯を飲んだのです。大イスラエル国の大臣になろうとした男がまず最初に殺されてしまいました。しかし、彼は決して失望の内に死んだのではないのです。最も名誉ある最初の殉教者となったのです。
さて、私たちは殉教という厳しい信仰の結果に恐れを感じないでしょうか。キリスト教信仰は時に厳しい要求をします。殉教、清め、献身、献金、これらの要求に答えられないと感じる弱い私たちはどうしたら良いのでしょうか。長いので抜粋しますがマタイによる福音書10章16〜42節までを読んで下さい。ここにイエス様はお使いに子供を送り出す母親のように、起こりうる最悪の事態を予想して懇切丁寧に注意を与えています。

“いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。”10:16〜17

“また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。”10:22〜23

“からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」10:28〜42


ヤコブも最初から偉大で雄々しい殉教者ではなかったはずです。主によって変えられたのです。ですからイエス様はこのすぐあとの11章でもっとも慰めに満ちた言葉を与えています。
“すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。”11:28〜29
あなたが慰めが必要なら慰めを、安らぎが必要なら安らぎを。キリスト教とはまず愛と安息の宗教なのですから。その後に強くされたら勇者となって下さい。今、出来なくとも良いのです。いつか思いがけずに出来るようになります。あのキリスト教史上もっとも有名な聖アウグスチヌスですらこう祈ったと言われています。「主よわたしを清めて下さい。しかし、今ではありません。」

次にアルパヨの子ヤコブですが、彼は小ヤコブと呼ばれていたと言われます。彼は「忘れられた使徒」とも呼ばれています。彼が知られているのはいくつかの使徒名簿の中だけです。(マタイ10章、マルコ3章など)ただ一つマルコ2章14節に、マタイのことをアルパヨの子レビと呼んでいます。そうするとマタイとこのヤコブとは兄弟だったのでしょうか。またこのアルパヨはクロパすなわちクレオパだと言う人もいます。そうすると主の復活の後にエマオの途上でイエス様に会った二人の内の一人と言うことになりますが、はっきりは判りません。
しかし、覚えて下さい使徒として選ばれた以上このヤコブも人知れず偉大な働きをしていたはずなのです。伝説ではペルシャで伝道し殉教したとも言われています。私たちは主の御言葉を思い出します。

“あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。”マタイ20:26〜28

“いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。”ルカ13:30


人間の評価なんて天国に行ってみなければ判りません。今、有名な伝道者もあなたも天国では同じかも知れません。私たちは神様に知られていれば良いのです。人間の評価を気にしてはいけません。

最後に主の兄弟ヤコブです。使徒行伝の内、後半部分で出てくるヤコブはこの人です。彼はイエス様が存命中は信者ではなかったようです。しかし、使徒の働き1:14で“この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。”とあるように復活の後主に会い(コリントT15:7、早い段階で信者になったと考えられます。それまでは兄が気が狂ったかと思い家に連れ帰ろうとしたくらいです。(マルコ3:21など)しかし彼は信者となると一転して熱心で有能な人となりました。彼は教会の指導者(ガラテヤ2:12)エルサレム教会の主幹者(使徒12:1、21:18)使徒会議の議長(使徒15:13)教会の柱(ガラテヤ2:9)となりました。律法を厳格に守り、潔白で、敬謙な人として尊敬され「義人ヤコブ」と呼ばれたとユーセビオスは教会史に書いています。しかし、反面パウロとは激しく対立したようです。どちらかと言うとユダヤ教の枠から出ることが出来なかった代表者のように見えます。ヤコブ書は彼の手紙です。ヤコブはパウロの恵みによる救いが強調され信仰が放縦に流れるのを食い止めるくさびのような働きをしたのでしょう。彼はAD62年大祭司アンナスによって宮の上から落とされ、さらに石打の刑によって殉教したということです。
彼は母から兄の出生について聞いていた事でしょう。しかし、自分の兄を「神のひとり子」と信ずることは難しいことだったに違いありません。ところが復活の主に会った時、驚きの内に主と仰いだのでしょう。