メッセージ 2000・7・9    小 石 泉 牧師

ペ テ ロ−V

その後のペテロさんの活躍はすばらしいものでした。

“ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。”使徒3:1〜10

ペテロさんはまるでイエス様のように自信に満ち、力強い働きを展開します。「わたしにあるものを上げよう」彼はそれがこの哀れな男を立たせることが出来ると信じていました。これによって“人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。”のです。そしてそのために起こった大騒動によって祭司たちに捕らえられ、大祭司の法廷で裁きを受けました。

“翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した。彼らは使徒たちを真中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか。」と尋問しだした。そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行なった良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」”4:5〜12

何という堂々たる説教でしょうか。「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」世界中の全ての宗教は人を救いません。この方以外にはどのような名も人類には与えられていないのです。これは歴史的な宣言です。エルサレムの神殿、チベットの高原からインドのガンジス川、カンボジアのジャングルの中のアンコールワット、日本の無数の神社仏閣に至るまで人類の信仰の対象は救いをもたらさないとペテロは宣言したのです。そしてこれに対して大祭司や長老達に脅されると

“ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」”4:19〜20

と答えています。そして釈放されると教会に帰り祈りました。

“主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。”4:29〜31

もう一度神様は最初のペンテコストの日のように答えられました。このようにやることなすことまるで昔のペテロさんではありません。それは聖霊に満たされたからです。そして「あの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」。5:28(口語訳)あなたがたの教えを氾濫させたのです。
この後、8章ではペテロとヨハネとはピリポによってサマリヤの人々が信じるとサマリヤに遣わされました。彼らが頭に手を置くと聖霊が下りサマリヤの人々が異言を語り出したので彼らに洗礼を授けます。これは「あなた方はエルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、さらに地の果てまでわたしの証人となります」と言われた主の言葉が実現した第一歩でした。サマリヤ人はユダヤ人と異邦人の混血でしたからこれは非常に難しい問題だったのです。さらに10章では異邦人であるローマ人コルネリオの家族に福音が届きます。この時もペテロがその道の最初の開拓者に選ばれました。ペテロがヨッパに滞在していた時、彼は幻を見ました。それは食べてはいけないとされていた汚れた動物を食べなさいと言うものでした。しかし、ペテロが食べませんと言うと「神が清めたものを清くないと言ってはならない」という御言葉が与えられちょうどその時コルネリオから遣わされた僕たちが到着し異邦人への伝道が開始されます。ペテロがカイザリヤのコルネリオの家で説教すると聞いている人々に聖霊が下り皆が異言で語り出しました。

“「この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには、彼らに水でバプテスマを授けるのを、だれがこばみ得ようか」。”10:47(口語訳)

こうして異邦人にも福音が伝えられたのです。しかし、エルサレムに帰ると教会はこのことを理解できませんでした。彼らはペテロを非難したのです。するとペテロはこう答えました。

“私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。」と言って、神をほめたたえた。”11:17〜18

こうして異邦人への伝道がペテロによって始められたことは実は大変に重要なことでした。この後パウロが現れ強力な異邦人伝道を開始します。そしてペテロはユダヤ人、パウロは異邦人のための伝道のリーダーとなるのですが、もし、あらかじめペテロによって異邦人伝道が始められていなかったら、異邦人教会は使徒達とは関係の無い新興宗教とみなされる恐れがあったのです。
この後、ペテロはヘロデ・アグリッパ王によって捕らえられますが教会の熱心な祈りによって天使が遣わされ解放されます。(12章)そしてペテロは次第にパウロの働きに隠れて行きます。おそらくペテロはこの後アジアを通ってローマに行ったと考えられます。ところがペテロはパウロのガラテヤ書の中でアンテオケでまたしても失敗をします。

“ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。”ガラテヤ2:11〜14


私たちはここで再びあのペテロさんに会います。当時、実は非常に大きな論争がエルサレムの教会ではあったのです。どうしても古いユダヤ教から脱皮できない人々は異邦人が自分達と同じ救いに預かることが理解できませんでした。この時はまだ新約聖書の後半のローマ書を初めとするパウロ書簡は書かれていなかったのです。ペテロさんはあのような大切な説教をしたのにまたしても弱い自分をさらけ出して古い教えにつく人々を恐れて偽りの行動を取り、パウロさんに叱られています。
その後のペテロの足跡は、はっきりとはしません。しかし、使徒のあとの時代の第一クレメンス書簡にはペテロがローマで殉教したと書かれています。それを元にしたのでしょうか19世紀のポーランドの作家シエンキヴィッチはすばらしい物語を書きました。『クオ・バ・デス・ドミネ』(主よいずこに行き給う)という名のこの小説はローマ皇帝ネロの迫害の時の様子が見事に書かれています。大迫害の中クリスチャン達次々と犠牲になります。弟子たちはペテロにローマを脱出するように願います。あなたひとりは私たち数万人にも当たりますどうぞ逃れてください。
ついにローマを後にして郊外に出たペテロは向こうの空に輝く光を見ます。それはやがてペテロの横を通り過ぎようとしますが、弟子たちの目には何も見えないのにペテロの目にはその光の中に主イエスが見えました。ペテロは問います。「クオ・バ・デス・ドミネ」“主よいずこに行き給う”。主は答えられます。「ペテロよ、あなたが私の羊を捨てて逃れるなら、私はローマに行ってもう一度十字架に掛かろう」
「主よ申し訳ありません」老ペテロは驚く弟子たちを尻目にくびすを返してローマに帰ります。そしてついに捕らえられ十字架刑に処せられます。その時、ペテロは私は三度も主を否んだ者だ、主と同じ十字架に掛かることなど出来ないと、両方の腕木が下にある十字架にさかさまに掛かり殉教したと伝承にはあります。
弱く、無学で、普通の人だったペテロ。しかし、彼は幼子のように主に従いました。彼は常に真実でした。ガリラヤ湖の無名の漁師は歴史上もっとも有名な人となり、キリストの教会の柱となりました。