メッセージ 2000・6・4 小 石 泉 牧師
イエス様の祈り
福音書にはイエス様が祈られたという記事が多くあります。
“群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。”マタイ14:23
“しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。”ルカ5:16
“このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。”6:12
最近、祈っていた時これらの御言葉に接した私は、一体イエス様は何をどんな風に祈っておられただろう、神の御子の祈りとはどんなものだったのだろうかと考えました。御子は私たちとは違います。私たちは神様に会ったことはありませんが御子は永遠から神様と共におられました。
“いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。”ヨハネ1:18
“イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。”17:1〜5
「父のふところにおられる」「ごいっしょにいて持っていた栄光」。これらの御言葉から御子が父と共におられたことは明らかです。そう考えると、私たちの祈りは信仰、まだ見ぬものを見ているようにしているだけですが、御子にとってそれは鮮明な記憶、思い出だったに違いありません。(“信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。”ヘブル11:27)
ある人々は、御子は地上でも神とお一つであられたから記憶とか思い出というのはおかしいというかもしれませんが、御子が祈るという言葉を使われた以上、やはり地上に来られた時は神とは離れておられたと考えるべきだと思います。そうでなければわたしたち人間の代表者とは言えませんし、あまりにもかけ離れた祈りになってしまって参考にも実例にもなりません。祈りというのは神との会話だと言われています。創世記18章のアブラハムはその実例です。しかし、やはりそこにはある種の間接的な距離があるものなのだと思わされます。
私は東京に生れましたが育ったのは浜松です。浜松には中田島海岸という美しい海岸があります。真っ白な砂浜が何キロも広がっています。良く映画の撮影にも使われます。また浜名湖があり舘山寺という場所は、今は大分汚れてしまいましたが岩と松の美しい場所でした。という風に話しても皆さんにはああそうかなという程度のことと思います。しかし、私には一つ一つがカラーの絵はがきの様に鮮明な記憶です。このようにイエス様にとって祈る時それは鮮明で現実のことだったのです。御子にとって神は慈愛に満ちた、言葉には表現できない美しさ、威厳、栄光に満ちたお方だったことでしょう。神とその御国を説明するのに、どんなにイエス様はもどかしく思われたことでしょう。そしてこの汚れた世をうんざりもされていました。時には思わず本音が出てしまったこともあります。
“イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」”マタイ17:17
考えるまでもなくイエス様にとってこの世は居心地の良い場所ではなかったことでしょう。イエス様は言わば最初の宣教師です。便利な欧米の生活を捨てて未開の地に行った宣教師を考えて見てください。中国のハドソン・テーラー、インドのウイリアム・ケアリー、ビルマのアドニラム・ジャドソン。彼らはイエス様の足跡をたどった人々です。彼らは暑さ、不潔さ、粗食、病気に耐え、命懸けで福音を伝えました。イエス様も同じです。天国からこの世に来るのはどれほどの勇気と忍耐が必要だったことでしょう。そういう中で宣教師が祖国の父母に電話することが出来たらどんなに大きな慰めだったことでしょう。イエス様の祈りがそんな風だったのではないかと私は想像します。
さて、しかし、イエス様が異様な祈りをされたことがあります。
“それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」”マタイ26:36〜46
「悲しみもだえる」イエス様なんて想像できますか? ここでイエス様は、落ち着きを失い、恐れ、取り乱し、意気阻喪して弟子にさえ助けを求めています。一体どうしたというのでしょう。その理由は「飲まなければならない杯」にありました。その杯の中に入っていたのは「全ての人の罪」です。全く罪の無い神の御子。世界の始まる前から罪とは縁のない清い清いお方が罪を受け入れるのです。イエス様が悲しみもだえたのはそのためです。ある仏教僧が「キリストは死ぬのを恐れて悲しみもだえたとは情けない」と言っていますがそれは全く見当はずれです。イエス様が苦しまれたのは死を恐れたからではなく罪を恐れたからです。それは永遠の神の御性質とはあまりにもかけ離れたものだったからです。この時のイエス様の祈りは “イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。”ルカ22:44 とあるほど痛切なものでした。人間は極限まで苦しむと汗の中に血が混じるそうです。そしてゲッセマネとは「油絞りの場所」という意味です。文字どおりイエス様は御自身を絞り出されたのです。
私たちが罪を許されたのはイエス様の十字架です。しかし、イエス様にとって十字架より罪を御自分の身に受け入れたゲッセマネの方が苦しみだったのです。ここには神との親しい交わりも、喜びも、平安もありません。それどころか、ここには全く清い神との絶対的な断絶があります。事実、十字架の上にかけられたイエス様を神様は直視できませんでした。
“三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。”マタイ27:46
そして全地は暗黒になりました。しかし、このためにこそ主イエスは来られたのです。安らかな神との交わりから悲痛な叫びへの移行は、私の罪のためです。イエス様ありがとう。