メッセージ 2000・5・28    小 石 泉 牧師

あなたがたは力を受ける

先日、あるホテルで結婚式をしていた時のことです。ウエデングマーチと共に、新婦がお父さんと入場して来ました。お二人がアイル(日本語ではバージンロードという)の中ほどまで来た時、突然、音が消えました。オルガニストの指は空しく鍵盤を叩きます。新婦とお父さんは立ち往生。あわてる担当者。最近流行のオープンスペースでの式とあって周りには沢山の見物人がいて、その中の一人の子供がエレクトーンの電源プラグを抜いたのです。電力を失ったエレクトーンはただの箱です。どんなに巧みな奏者でも音は出ません。
私は世界一説教の上手な牧師と自任しています……? なぜなら、もしパン屋さんが、「うちのパンはあまりうまくないです、向こうのパンの方がうまいですよ。」などと言ったらそのパン屋さんは売れるでしょうか。「うちのパンは世界一だよ」と言わなければ誰も買いに来ません。牧師も同じだと思います。
ところが、しばしば新しく来た方々が、キリスト教が判らずに去って行くことがあるのです。そんな時はとても落ち込みます。「ああ、私のメッセージは人を変えることが出来ないのだろうか。」 これはとてもつらい経験です。
しかし、実は私のメッセージが人を変えることなんて出来るはずがありません。私はただのオルガニストにすぎません。電源につながっていなければエレクトーンから音が出ないように、神の力によらなければ人を変える力はありません。

“しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。”使徒の働き1:8〜9

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます」これがイエス様の最後のお言葉でした。キリストの証人となるのはただ聖霊によるのだと言われたのです。そして、私たちペンテコスト派に属するものにとっては耳にたこが出来るくらいの御言葉を読みましょう。

“五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。れなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言ってあざける者たちもいた。そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。”使徒行伝2:1〜14

これがいわゆる聖霊のバプテスマと呼ばれる事件でした。主を失った弟子たちは主の命令に従って祈っていました。120名ほどだったと書かれています。彼らはおびえた無力な集団でした。しかもその中心にいたのが無学な漁師でイエス様を三度も知らないと言ったペテロでした。その彼が、押しよせる人々の前に立って堂々と見事な説教をしたのです。それについては長いので聖書を読んでください。
“ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。”2:40〜42
何とあのペテロさんの説教によって男だけで3000人もの人が悔い改め、クリスチャンになりました。これはもちろんペテロさんの力ではなく聖霊の力です。
人を変えることが出来るのは神の力、聖霊の力です。私はこのことをもう一度考えました。行き詰まったらいつも初めに戻ることです。
さらに聖霊は私たちの中に住んでおられます。

“けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。”ローマ8:9
住むという言葉は英語でresidentです。しかし、聖霊が私たちを臨むとき、すなわち聖霊のバプテスマを受けると聖霊はpresident(大統領、社長)になると趙ヨンギー先生は言われました。上手い言い方だと思います。
“御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。”8:26〜27


どうしたら人々を変えることが出来るのか。私は少々自信を喪失しています。世界一どころか一番下手な説教者であるようです。それもこれも、力、聖霊の力が失われているからでしょう。今、私に必要なのは「どう祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」というこの御言葉を頼りにもう一度祈ることのようです。
あなたも、もし誰かに福音を語ってもさっぱり変わってくれない時、聖霊の力を思い出してください。そしてその力を受ける方法は使徒たちの方法以外にはなさそうです。それはイエス様が命じられた方法でした。

“彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。”1:14(口語訳)


ひたすら祈りをしていた。新改訳では祈りに専念していたとあります。