メッセージ 2000・5・14 小 石 泉 牧師
母の日によせて
今日は母の日だそうです。私はあまりそういうことには関心が無いのですが、聖書の母について考えて見ましょう。聖書の神様は父なる神です。最近、父なる神というのは性的差別だから父であり母である神とすべきだということを主張する聖書の翻訳が出ていますがとんでもないことです。聖書には女神は存在しません。これについて今日は触れません。さて聖書の最初の母は言うまでもなくアダムの妻エバです。
“さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。”創世記3:20
「すべての生きているものの母」とは何と言う称号でしょうか。それ自体他の国々なら神の名となったことでしょう。エバという名前はヘブル語のハバ、命と言う言葉から派生したものです。女は命を生み出すからです。さらに、ここの言葉からの印象では母と言う言葉とも同義語のように感じます。母と言う文字自体、乳房を表すと言います。私は太い足の間から可愛い赤ちゃんが顔を出している、豊かな乳房を持った女性の埴輪を見たことがありますが、昔の人は命を生み出す母に神秘的な感情を抱いたのでしょう。何と率直な驚きと歓喜の表現でしょうか。母とは昔から不思議な存在だったのです。
さてしかし、最初の母は幸せな母ではありませんでした。間もなく彼女の長男は次男を殺し、彼女は最愛の子供を一日に二人も失ってしまうのです。人類の最初の母は最も悲劇の母親でした。エデン、喜びの園から追放された人類最初の家庭は悲惨な家庭でした。それは神の戒めに背いた罪の結果でした。
次に私たちはアブラハムの妻サラを見ましょう。サラもまた悲劇の母でした。
“また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」”17:15〜16
サラという名は王妃という意味です。そして「国々の母」という壮大な名前を与えられました。しかし、この時サラには子供がいなかったのです。サラは生まず女でした。当時の世界では産まず女は非常に恥でした。彼女はすでに90歳になっていました。彼女の生涯は屈辱に満ちたものでした。しかし、彼女は91歳で子を設けるのです。それは何とも不思議な話です。しかし、この子を神は殺して捧げなさいと命じます。
“これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ。」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります。」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。”22:1・3
果たしてアブラハムはこの時、妻のサラにこのことを告げたでしょうか。翌朝はやくという言葉から知らせなかったと思います。しかし、サラはアブラハムの異常な行動、態度からその事を察したに違いありません。90歳で母となったサラは、もちろん事実はそうはならなかったにしても、数年後にその愛する子を夫の手で殺される母でもありました。これも悲劇の母ですが信仰の決意を表す厳しい手本でもあります。
次に私たちはモーセの母について考えましょう。
“さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。”出エジプト2:1〜3
エジプトで奴隷となっていたイスラエル人はエジプトの王パロの命令により
生れた男の子は殺すことになっていました。しかし、モーセの母は殺すことができずパピルスの籠に入れてナイル川に流したのです。これも悲劇の母です。
一体どんな思いで母はその子を川に流たでしょうか。しかし、この子がパロの娘に拾われ、王子として育てられ、後に偉大な救済者となるとは、何と大きな神の御計画でしょう。神は何とドラマチックなお方でしょう。この後、説教では士師記のサムソンの母、ルツの舅ナオミなどについて語りましたが省略します。次でサムエルの母について第一サムエル記から考えましょう。
“エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに、その名をエルカナというひとりの人がいた。エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。また、ハンナに、ひとりの人の受ける分を与えていた。彼はハンナを愛していたが、主が彼女の胎を閉じておられたからである。彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」” 1:1〜11抜粋
サムエルの母ハンナも産まず女でした。彼女の苦しみをサムエルは細かく書いています。恐らく何度も何度も母から聞いたことなのでしょう。彼女は男の子を産みその子を約束通り主に捧げます。
“サムエルはまだ幼く、亜麻布のエポデを身にまとい、主の前に仕えていた。サムエルの母は、彼のために小さな上着を作り、毎年、夫とともに、その年のいけにえをささげに上って行くとき、その上着を持って行くのだった。エリは、エルカナとその妻を祝福して、「主がお求めになった者の代わりに、主がこの女により、あなたに子どもを賜わりますように。」と言い、彼らは、自分の家に帰るのであった。事実、主はハンナを顧み、彼女はみごもって、三人の息子と、ふたりの娘を産んだ。少年サムエルは、主のみもとで成長した。”2:18〜21
小さな祭司サムエルは恐らく同時のイスラエルの話題になったことでしょう。母は誇らしげに毎年小さな上着を作りサムエルに持って行きました。サムエルにとって年に一度の母との面会はどんなに待ち遠しいことだったでしょう。
やがてサムエルは偉大な預言者となりイスラエルの王を決めるという重要な人物となります。サムエルの母の場合は少しのかなしみの後で大きな報いを受けた人です。これらの母に共通することは皆祈りの人、神とのコミュニケーションを知っていた人々でした。
この後、列王記T3章16〜28節の話を取り上げましたが紙面の都合で省略します。ここは読めば判るところなので、ぜひ、聖書を開いて読んでください。
最後にイエスの母マリヤについて考えましょう。
“ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」”1:2628
マリヤについてはクリスマスの時に何度も取り上げたので皆さんも良くご存知と思います。生涯ついに弁解できず、不義の女、ふしだらな女という汚名を着たまま、神の働きのために耐え抜いた一人の雄々しい母です。旧約聖書の場合、主の使いと呼ばれる方、実は御子が現れていますが、マリヤには天使の長ガブリエルが遣わされています。それは御子がすでにマリヤの体内に居るからです。イエス様は公生涯(メシヤとしての働きの期間)に入られてからは決してマリヤを母とは呼びませんでした。それはすでに救い主としての歩みをしておられたからです。しかし、十字架の上で愛弟子のヨハネに対して、次のようにして母を託しています。
“兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。” ヨハネ19:25〜27
処女で子を産み、その子が十字架にかかる姿を見た母マリヤ。しかし、彼女はその方の復活の証人ともなりました。
それにしても聖書とは何と不思議な書物でしょうか。キリスト教とは何と不思議な宗教でしょうか。これらすべては全く真実であり、永遠に消え去らない神の言葉なのです。全世界のお母さんに祝福あれ。