メッセージ2000・2・27   小 石 泉牧師

北 朝 鮮 無 残

今回初めて中国、北朝鮮の国境の旅に参加させていただいた。それなりに覚悟と予想はしていたのだが、ことごとく足りず、驚きと痛みと感動の連続であった。何より実感したのは、この働きが空を打つような闘いではなく、確実に目標を捕らえ、手応えのあざやかなものだということであった。日ごろ日本にいて伝道していると、ざるで水をすくうような空しさを味わっているので、その確かさは驚きであり快感であった。もちろん危険と惨劇のただなかにある人々にとってはそんな感想は大いに腹の立つことに違いない。そこで私としては一人でも多くの日本のクリスチャンにこれらの実状を報告し、小さい力をふりしぼってこれらの人々への援助を成すように訴えようと思う。そのために次の四つの面から報告をしようと思う。
中国の現状。
北朝鮮と難民の実状。
難民を助けている人々。
その人々を援助する日本の立場。

自由のもたらす繁栄
私は今回で中国訪問は三度目であった。しかし、北京は初めてだったので比較するのはおかしいのだが、新聞やテレビで知っていた北京の姿と現在の姿のギャップに驚いた。例えばよく報道された天安門広場を埋める自転車の大集団は、今では自動車になっている。空港も日本に負けないくらいきれいで、空港からの高速道路も立派に整備されていた。人々の服装も豊かで、ことに表情が明るかった。数年前まで感じた、公安や軍隊の影はなくなり空港はノーチェックで、あのぴりぴりした緊張感は嘘のように消えていた。あの巨大な国が、わずか数年でこれほどに変わるものなのだろうかと驚いた。冬の空は石炭を燃やす煙で包まれ、太陽もぼんやりと見えるのだが中国の人々の希望に満ちた姿は明るかった。しかし、一旦、地方都市に行くとまだまだ基盤整備は遅れていて、道路も未舗装が多く特に田舎はほとんどが土のままの道路であった。これはとても懐かしかった。街路は北京とは違って人力車、リヤカー、自転車にビニールの幌をつけた輪タク、すこし上がってオートバイの輪タク。お父さんたちは時には零下30度になるという町で冷たい空気と戦いながら懸命に働いていた。その上が(スズキ)の軽四輪のタクシーで、押し合いへしあいまるでラッシュの新宿駅のホームみたいに(ゴムで出来ているのかと思うくらいだ)我勝ちに走っている。中国に行ったらタクシーは助手席には乗らないことだ。寿命が3年は縮まる。中国人はバイタリテーに満ちている。
さらに奥地の山村に行くと、これはもうタイムスリップとしか思えない光景が広がっている。歴史とか文明の進歩とかは実は全く時間的な概念ではなく地域的なものなのではないだろうかとさえ思ってしまうほどで、地図で見るとほんの十数センチ先に我々の明治があり大正があり、昭和がある。コンピューターだのエレクトロニクスだのというのはどの星のことだと言っているようだ。牛も豚も鶏も村を平然と歩きまわり、乏しいえさをさがし、糞は道路の土にまみれて人間様の体にまとわりつく。冬で良かった。
そう言えば電話ボックスぐらいの、中の人が見えそうな粗末な木の小屋は何だ? まさか零下30度の夜中にそこに用を足しに来るとは思えないのだが。しかし、やっぱりそうなのだ。どうしても耐えられなくなったら仕方がない使うしかないと覚悟で入れば、凍った我らの排泄物は鍾乳洞の石筍のように積み上げられて、もうすこしで親しげに届きそうだ。そう言えば道々、何やら判らぬものを運んでいた馬車の荷は、つるはしで砕いたこいつだったのか! ここではまだ自然有機農法は健在である。
中国の農村の収入は年間200元から1000元ぐらいだという。日本円に直せば3000円から1万5千円ぐらいである。これらの村々には小さな教会があって、極度に貧しい人々が北朝鮮からの難民を助けているのである。聖書の御言葉を思い出した。

「兄弟たちよ。わたしたちはここで、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせよう。すなわち、彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。」Uコリント8:1〜2

中国と北朝鮮の国境は、ほぼ中央にある長白山(北朝鮮では白頭山と呼ぶ)の南と北に流れる鴨緑江約800キロと豆満江約500キロによって区切られている。驚いたことに国境には鉄条網も金網もない。川を隔てたとなり村である。しかも、両側に住んでいるのはほとんど同じ朝鮮族なのである。冬は固く凍結するからどこでもその気になれば渡って来られる。氷の上に積もった雪の上に足跡がいくつも両岸を結んでいた。何個所かに設けられた橋の両端に検問所がありさほど緊張感もなく兵士がたむろしている。

牢獄の民
同行の人から聞いた話なのだが、ある時、北朝鮮から逃れてきた少年が彼に100元くれと言ったという。そうしたら家族が3ヶ月は食べることが出来るからそれを持ってまた北朝鮮に帰るというのだ。その少年は1元2元と集めていたという。100元は日本円で約1400円である。こんな話は実は中国の国境地帯では珍しくも何ともない話なのである。難民は見つかれば強制送還となる。中国人と結婚していても関係ない。
中国と北朝鮮の千数百キロの国境線にそって毎日、何百何千と言う難民が中国の貧しい村々にやってくる。彼らのあるものは徒歩で数十キロを歩き通し、川を渡り、また数十キロ歩いて来る。途中で倒れる者、川でおぼれて死ぬ者が後を絶たない。特にこのあたりでは珍しく許されているのだろうか、貧しい建物に十字架のネオンがついた教会に行けば何とかなると聞いているらしくほとんどの教会は毎日のようにこれらの難民たちを迎える。彼らは帰れば重罪犯であり、特に教会と韓国人に接触すれば即、銃殺になる可能性がある。しかし、すでに北朝鮮には彼らの飢えを満たす食料の配給は長い間途絶えている。一体どうしてこうなってしまったのだろう。国連はなぜ黙っているのだろう。
金日成がいた頃はまだこれほどひどい状態ではなかった。しかし、健康にそれほどの問題のなかった彼が突然死んで(核爆弾の開発に反対して口論になった時、正日の部下が射殺したとも、発作が起こって死んだともうわさされていると聞いた)正日になってからはそれまで一ヶ月に一度だった配給が3〜4ヶ月に一度になり、全く無くなってしまった。もっとも今年の2月16日の金正日の誕生日には10キロ程度のトウモロコシが配給されたというのだが。
自国の民を奴隷とし、否、囚人として脅迫と懲罰でしか支配できないこの指導者をどうして世界は許しておくのだろうか。ローマのネロやカリギュラでもこれほどひどくはなかった。ローマには元老院という制度があり皇帝をチェックした。また競技場での歓声でその人気が計られた。このような指導者を国民はどう見ているのかという質問に救済に当たっている一人はやはり従順に従っているという。どうしてそんなことがあるのかという私の質問にはこういう答えが返ってきた。「とうてい、到達不可能な夢のような目標をかかげて虚しい希望を与えているのだ。中国もかつてはそうだった。かつて毛沢東は神であったし、金日成もそうだった」。
金正日は核爆弾の開発を最優先にしているが上手く行っていないという。軍備にまわす金の5%を国民に返せば食糧難は解決するというのだ。日本をはじめとする各国の援助は全く国民に渡ることなく戦争のために備蓄されて行く。肥料も農業用の機械を動かす石油もないから農産物の生産は衰える一方である。国境の対岸の険しい山の頂上付近まで至る所で畑が耕されている。ほとんど45度を越える斜面では農作業も大変だっただろう。そして全く肥料の無い畑からはろくな物が取れなかったのは当然であったろう。これも金正日の発案だった。それでも農業はかろうじて動いている唯一の産業である。農民は自分が生産した農作物を一粒も口にすることが出来ない、100%国に取り上げられ“配給”を待つ。主食は米からトウモロコシにそして芋になっている。
茂山というところにある鉱山は、かつてはアジア第二を誇る有力な産業だった。しかし、見てきた人の話では、その広大な敷地の建物のどこからも煙一筋も立ち昇らず、人っ子一人動くものはないという。水道を送るポンプを動かす燃料がなく水もガスも石炭もなく厳寒の冬を過ごすオンドルを焚く薪も無い。かつて3000人いたこの工場には今は150人しかいない。それも本当にいるかどうかも分らないという。
北から逃げてきた難民の一人と会った。食べられるものならねずみ、トカゲはもちろんミミズに至るまで食べ尽くされ、草もウサギの食べる草(はこべか?)は旨い。中には毒草を食べて死ぬものややけどのように皮膚がただれてしまったものもいた。国境を越えて来られるものはまだそれだけの体力と度胸があるほうでそれ以外は動くことも出来ない。1994年から97年にかけてが一番死者が多かった。今減っているのは弱者が死に絶えてしまったからだという。こんな話はあまりにも極端で信じられないのだが目の前に証人がいるのだから信じるしかない。国境の中国側の長白山(白頭山)には難民が数万人の単位で隠れ住んでいるという。1998年中国の人民軍が調査したところ200を越す餓死者の死体が見つかった。
中で重大なニュースがあった。今年の2月平壌の近くで列車の大事故があった。人民代表会議に出席した政府の幹部の乗った列車が坂の上で停電により停車したがやがて恐ろしい勢いで坂を下り下の駅で停車していた2つの列車に激突した。八の字に折り重なった車体からは足を挟まれて自分で切るからナイフを貸してくれと叫ぶもの体の半分を押しつぶされた女性の叫び声などが聞こえた。結局この事故で1000人を越える(数千人と言った)死者が出たが外国には全く報道されなかった。彼らはアメリカが援助しないから発電の燃料が無くなりこうなったのだと言っているという。理屈と膏薬はどこにでもつくものだ。

全能の神の007
今回の旅で非常に印象に残ったのは韓国から来て救助に当たっている宣教師たちだった。もちろん宣教師と言う名目では入国できないからいろいろな仕事をしている。それについて語ることは彼らの安全のために出来ない。彼らは精悍な顔立ちをしていて何十人何百人と言う人々を助けている。あらゆる村や町に彼らの借りた部屋がありそこで多くの難民がかくまわれている。それらの部屋も隣人の密告の危険から短い期間に移動しなければならない。中国の東北地方では1年分の部屋代を前払いするから大変な損失である。そしてそのような苦労を重ねても難民の中にはかなりの密告者やスパイであるという。初めからそうである場合と途中で帰国した時に脅迫によってなる場合がある。そうと判っていてもやはり飢えているので助けるのだという。いくつかのところで前に親しく話した兄弟たちが裏切り、スパイだったと言うようなことを新川宣教師は聞かされてがっかりしていた。
このような救出に当たっている人々には、もちろん韓国の宣教師だけではなく中国の朝鮮族の一般人や牧師、伝道者の方が多い。私は彼らがまるで007のようだと思っていたら、本当にその中の一人が「我々はダブルオーセブンみたいですよ」と苦笑いしていた。実を言うとこのことに関しては書くことに大変な制約がある。彼らが本当に危険と隣り合わせの生活をしているからである。ある人は自分はいつも公安に監視されている。家の前の物売りや屋台もそうだ。私がFAXを流すと同時に中国の公安、北京、平壌、ソウル、香港にそれは流れて行くと笑っていた。彼は中国の子供たちも含めて30人近い子供たちの奨学金をまかなっている。そして皆にキリストを伝えている。
ある町で、韓国で成功した牧師が難民の若者を集めて聖書を教え北朝鮮に送り返していた。ある時、一人の自称金持ちの韓国人が来て「ぜひ、先生を招待したい」とホテルのレストランに招いた。学生たちも一緒だった。しかし、宴の途中でヤクザが押し入りすべての人々を北朝鮮に拉致してしまった。韓国政府は抗議をしているのだが北朝鮮はそんなことは全く知らないと言っている。「あの先生は少し注意が足りなかった」という007たちの非情とも思える言葉には自分たちの限界といつ自分もそうなるかは判らないという覚悟のひびきがある。彼らが今どこにいるのか誰も知らない。
ある村には9人の子供がかくまわれていた。不思議なことに彼らはそれぞれ中国の学校に行っている。そして皆極めて優秀だと言う。彼らは子供らしく明るく騒いでいたが北朝鮮のことを聞くと全く答えなかった。話したくないのだろう。しかし、彼らが今後どうなるのか誰も知らない。彼らには国籍を証明するものは何もない。朝となく昼となく夜となく家の前に車が止まるたびに「公安か」という思いがするに違いない。一旦中国の公安に捕まれば北朝鮮に送り返され、大人なら銃殺、子供は腕か足の一本ぐらいへし折られる拷問を受け一生監視されることになる。
007たちは時には実際に北朝鮮に入国して救助に当たる。自転車やリヤカーに米を乗せて(女性で200キロ男性で300キロと言う)何十キロという距離を走り回る。どうして入国できるのかは不思議だが何らかのルートがあるらしい。私たちが尋ねた教会にも丁度今日北朝鮮から帰ってきたばかりだという伝道師がいた。
ある村の007は平凡な農夫であるが、前には毎月300人もの人が来たが最近は厳しくなって100人ぐらいだと言っていた。前には毎月3トンもの米をあげたが最近は1.5〜2トンになった。また最近は重い米を持って行くことが出来ないほど体力が弱っている人が多くお金を渡している。彼らはそれを何らかの方法で持って行くという。
前には中国にとどまるケースが多かったが最近ではあまりにも危険なために食料をもらってまた帰って行くことが多いらしい。ここにいうことはすべて真実である。あまり知らされていないのはここまで書けないからである。私も少し書き過ぎたかもしれない。

日本の教会に何が出来るか
第二次大戦時中、日本軍は朝鮮、中国であらゆる蛮行をした。南京の30万人大虐殺はフィクションだが中国全土ではそれ以上の人々を残虐な方法で殺したことは確かである。朝鮮も同じように苦しめられた経験を持つ。
今、日本円は世界でもNO.1の実力を持つ。我々が日本で使うなら1万円など一日で消えてしまうだろう。しかし、中国でも1ヶ月の給料に匹敵する。北朝鮮に至っては5人家族を20ヶ月以上養うことが出来る。
我々は町から町、村から村と回った。一個所には1時間と止まっていなかった。中国のクリスチャンたちと会い、北朝鮮の報告を聞き、古着やお金を置いてさっと立ち去る。
長居は無用である。異国の集団は人目を引く。時にはそれらの金は彼らが一生かかっても手に入れることが出来ない額である場合もあったそうだ。すると誘惑がやってくる。抜けでることの出来ない境遇から、一度に莫大な金を手にすれば人は狂うこともある。こうして裏切り者、援助の働きを停止する人々も出てくる。難民の子供たちの目の前で多額のお金をちらつかせれば、盗み心を作るようなものである。大人なら殺人事件も起こしかねない。だから細心の注意が必要となる。
それにしても我々が日々何心無く使う千円札でも幾人かの飢餓を救うことが出来るのであれば、今こそ我々が先祖たちの蛮行の謝罪をすべきではないのか。同じアジア人の窮状、空腹を我々は黙って見ていて良いのだろうか。
しかし、ここで注意していただきたい。すでに見てきたように大ぴらに札束を振りまけば良いのではない。そんな金は決して本当に必要としている人々には届かない。幸い我々には事情に精通した人々がいる。この「キリスト福音宣教会」は日本では実に珍しい働きである。有益で確実なエキスパートが働いている。自由自在にロシア語や中国語を話す彼らは日本の外務省にもそうはいないのではないだろうか。彼らこそ日本の“全能者の007”たちである。実際、今度の旅でも新川師がいなかったら我々は3度のめしにもありつけなかっただろうし、ホテルから一歩も出ることが出来なかっただろう。中国辺境の地では英語も全く通じないのだ。田舎ではホテルのフロントでさえYES、NOを知らないなどと考えたことがありますか? 文化大革命の時、英語を知っていることが致命傷になったことがまだ記憶に新しいのである。
私は多くの日本の教会が自分の教会の大きさを比較し合う暇に明け暮れないで隣の国の魂と飢餓の叫びに耳を傾けて欲しいと思う。