メッセージ 2000・2・13 小 石 泉 牧師
主を求めて生きよ
凶悪な事件が相次いで起こっています。特に青年を中心に無目的な全く信じられない事件が多発しています。今まで凶悪な事件はアメリカで起こり日本に来たものですが、今は日本が世界の犯罪先進国になってしまいました。私は今こそ日本に神の言葉が必要だと考えます。そのために私たちはどうしたらいいのかを考えて見ましょう。
「わたしもまた、あなたがたのあらゆる町で、あなたがたの歯をきれいにしておき、あなたがたのすべての場所で、パンに欠乏させた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。・・主の御告げ。・・わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、雨の降らなかった他の畑はかわききった。二、三の町は水を飲むために一つの町によろめいて行ったが、満ち足りることはなかった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。・・主の御告げ。・・わたしは立ち枯れと黒穂病で、あなたがたを打った。あなたがたの果樹園とぶどう畑、いちじくの木とオリーブの木がふえても、かみつくいなごが食い荒らした。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。・・主の御告げ。・・わたしは、エジプトにしたように、疫病をあなたがたに送り、剣であなたがたの若者たちを殺し、あなたがたの馬を奪い去り、あなたがたの陣営に悪臭を上らせ、あなたがたの鼻をつかせた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。・・主の御告げ。・・わたしは、あなたがたをくつがえした。神がソドムとゴモラをくつがえしたように。あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようであった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。」アモス書4:6〜11
「それでもあなたはわたしのもとに帰ってこなかった。」何と悲しい響きでしょうか。神様の嘆きが聞こえますか。神様はイスラエルを御自分の元に帰らせるためにさまざまな苦しみを与えました。しかし、彼らは帰りませんでした。そしてこれは全人類への神様の御心です。とりわけ今の日本に伝えたい言葉です。さらに言われます。
「それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」4:12
間もなくキリストはやってこられます。しかし、その時では遅いのです。
「まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。『わたしを求めて生きよ。』」5:4
「主を求めて生きよ。さもないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下り、これを焼き尽くし、ベテルのためにこれを消す者がいなくなる。」5:6
わたしを求めて生きよ。主を求めて生きよ。私は胸がやけただれそうです。京都の小学生殺人事件の犯人に、9年間も女性を監禁した犯人の青年達にこの言葉を与えたいのです。しかし、彼らに聞く耳があるでしょうか。この国は神の言葉に聞かない頑な姿勢を取り続けています。だから子供から大人までそうすることは正しいことだと思っているのです。その結果、犯罪は急増し、青少年の心は荒廃しています。日本は心の荒野になりました。
今、日本に必要なものは神の預言者です。
「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。」3:7〜8
そして今、預言者は牧師や教会の指導者がそれに当たります。ところが問題は預言者を預言者とみなさない傾向が一般社会だけでなく教会にもあることです。しかし、それはいつの時代にもあったことでした。
「ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わしてこう言った。「イスラエルの家のただ中で、アモスはあなたに謀反を企てています。この国は彼のすべてのことばを受け入れることはできません。アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で死に、イスラエルはその国から必ず捕えられて行く。』アマツヤはアモスに言った。『先見者よ。ユダの地へ逃げて行け。その地でパンを食べ、その地で預言せよ。ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王宮のある所だから。』アモスはアマツヤに答えて言った。『私は預言者ではなかった。預言者の仲間でもなかった。私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた。ところが、主は群れを追っていた私をとり、主は私に仰せられた。「行って、わたしの民イスラエルに預言せよ。」』と。」7:10〜15
当時、すでに社会体制の中の権力者となっていた祭司の指導者は本当の神の預言者を脅して黙らせようとしたのです。アモスは平凡な農夫でした。しかし、神が彼を選ばれたのです。同じように牧師も人が選んだのではなく、神に選ばれたのです。私は自分の地位を守りたいからそういうのではありません。ただ事実を確認したいのです。それは誤解して欲しくないからです。誤解は祝福を失うからです。(メッセージに付け加えます)
「そこでレビ族の祭司たちが進み出なさい。彼らは、あなたの神、主が、ご自身に仕えさせ、また主の御名によって祝福を宣言するために選ばれた者であり、どんな争いも、どんな暴行事件も、彼らの判決によるからである。」申命記21:5
ここでレビ族と言われているのは祭司の階級を出す家系です。しかし、今は牧師がこの役目を負っているのです。それは祝福を与え、争いを裁く絶大な権限でした。このように牧師をみなし進んで受け入れるならあなたは祝福されるでしょう。
「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。」ヘブル書13:17
こんなにもはっきり書かれているではありませんか。またこうも書かれています。
「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。」ローマ書14:4
牧師は他人のしもべ、すなわち神に選ばれた神のしもべです。しもべを裁くのはその主人です。他の人には裁く権利はありません。これは決して心地よい地位ではありません。人より神の方がもっともっと恐ろしいのです。ヤコブもこう言っています。
「私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。」ヤコブ書3:1
しかし、神は祝福の流れを牧師や指導者を通して流れさせます。よく万民祭司などという人々がいますが、その人々は良く聖書を知らないのです。イスラエルは「祭司の民」と言われました。しかし、そこにレビ族が居て、その中から祭司が選ばれ、その中から大祭司が選ばれたのです。そして旧約聖書ではレビ人は多くの尊敬を受けています。私は尊敬を受けたいから言うのではありません。何かの利益を得たいのでもありません。
「しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。」Tコリント9:15 とある通りです。全ては皆さんが利益を得るためです。
「長老から、愛するガイオへ。私はあなたをほんとうに愛しています。愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。愛する者よ。あなたが、旅をしているあの兄弟たちのために行なっているいろいろなことは、真実な行ないです。彼らは教会の集まりであなたの愛についてあかししました。あなたが神にふさわしいしかたで彼らを次の旅に送り出してくれるなら、それはりっぱなことです。」Vヨハネ 1:1〜6
これはヨハネが忠実な信徒に送った手紙です。「あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」有名なチョー・ヨンギー師のメッセージです。私はここを読んでいると自分の教会を思います。それは真理に歩み、真実な行いをし、愛に満ちた人々のいる教会です。それは神様の誇る宝石箱です。
「神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。」Tコリント1:27〜28
長年の間、「無きに等しい者」に従い続けてくれた忠実な人々。これが美しい教会、神の宝石箱です。神を求めて生きることは何とすばらしいのでしょう。神の預言者を受け入れる力強い教会です。ここに生きたメッセージが生れます。「どうぞ私たちの教会に来て下さい。そして見て下さい。神に生きる人々を。神に帰った人々を。」
今こそ本当の信仰者、本当の教会、本当の預言者が日本に生れなければなりません。