1999・12・5      小 石 泉牧師

本物と偽物


このごろおかしな宗教のことが取りざたされています。ミイラを生きていると言うライフ・スペース。ほとんど詐欺そのものであるような法の華。この宗教の教祖二人に共通していることは彼らがその信仰の源泉を自分以外のものからの啓示としていることです。前者はそれを定説と呼び、後者は天声と言います。これはイエス様の物言いとそっくりです。

「わたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣わした方は真実であって、わたしはその方から聞いたことをそのまま世に告げるのです。」ヨハネ8:26

「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」15:15

こうしてみるとこれらの宗教者は偽キリストであることが判ります。

「にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。」マタイ24:24

浅見定雄という大学教授がこのようなカルトは日本に2桁以上あるといっていました。宗教に確実な真理がない日本ではこのような惑わしの宗教が働く機会は多いのでしょう。これらの宗教に共通しているのが巨額の献金を集めることです。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。」ヨハネ10:1

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」10:10

本当にイエス様が言うように彼らは盗人です。彼らはただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするために来たのです。こういう宗教に行く人々は何を求めているのでしょうか。心の平安でしょうか。金もうけのためでしょうか。病気の癒しのためでしょうか。

「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6:25〜33

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」これが解答です。人々が求めるべきもの、それはここにあります。物質も心の平安も病の癒しもそれらは皆、添えて与えられるのです。ところが多くの人々は間違った教えに求めます。その結果は悲惨です。平安も癒しも与えられず、お金は取られ精神的にも、実質的にも奴隷とされてしまいます。
ではこの神の国はどこにあるのでしょうか。

「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」マタイ12:28

「さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」ルカ17:20〜21

神の国は「もう、あなたがたのところに来ているのです。」、「あなたがたのただ中にあるのです。」イエス様の目には神の国は私たちの真ん中にありました。それは信じるものの心の中にあり、そのような人々が集うところにありました。

「また言われた。『神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。』また言われた。『神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。』」マルコ4:26〜32

神の国はイエス様によって蒔かれ成長しました。ちょうど先週、三坂先生の教会でからし種の木を見ました。4メートルほどの木でした。ちょうど種がなっていたのですがそれはまるでほこりのように小さな粒でした。しかし、そんなに小さなものでも中に命があるので芽を出し育って行きます。神の国は私たちの中で芽生え育って行くのです。またこうも言われました。

「さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。『子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。』そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」マルコ10:13〜16

神の国は幼子のようにならなければ入ることが出来ないのです。また新しく生れなければ入ることは出来ません。

「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』ニコデモは言った。『人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。』イエスは答えられた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。』」ヨハネ3:3〜8

多くの人々が神の国に入りますが、それはこの世の基準と違います。

「神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちがはいっているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。」ルカ13:28〜30

天声だの定説だのと知ったかぶり、悟りきったようなことを言っている者たちは神の国からは遠く投げ出されます。また、今大きな事をしているように見える指導者ではなく目立つことのない平凡な人々が神の国に入り輝き渡るでしょう。
まず神の国と神の義を求めましょう。それは今私たちのすぐ側にあります。それは教会であり、キリストを信じる人々のいるところにあるのです。