1999・10・10    小 石 泉 牧師

ぶ ど う 酒

先週パンのお話をしました。今日はぶどう酒のお話をしましょう。ぶどう、またはぶどう酒、ぶどうの木も含めてぶどうと言う言葉は旧約聖書に328回、新約聖書に168回合計390回出てきます。この内ぶどう酒はそれぞれ168回、29回でほぼ半分です。
イエス様はパンを御自分の肉と言われたように、ぶどう酒を御自分の血と言われました。そして本当に昔からパンとぶどう酒は聖書の中に登場します。最初に出てくるのはパンよりも古く、あのノアさんの物語です。創世記の9章に出てきます。そして次に出てくるのがパンと共に14章のメルキゼデクのところです。その後沢山出てくるので全部を拾い出すことはとても出来ません。全般にぶどうは豊かさ、豊穣のしるしとして現れています。

“あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。”詩編4:7

印象的なのはイスラエルがエジプトを出てカナンに入る前に、偵察に行った12人が持帰ったエシュコルの谷のぶどうです。それは一房が二人の人で担ぐほどの大きさでした。そして本当にそのようなぶどうがあるのです。また、旧約聖書に出てくる干しぶどうは房単位だと言うことも覚えておきましょう。イエス様はその最初の奇跡を、水をぶどう酒に変えることで示されました。

“それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、・・しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。・・彼は、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。”ヨハネ2:1〜11

この最初の奇跡で弟子たちはイエス様がただ者ではないことを知りました。それからいつもイエス様の話にはぶどうがついて回ります。

“わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。”ヨハネ15:1〜8

「わたしはぶどうの木あなたがたはその枝です」何とわかりやすい例話でしょうか。そしてぶどうの木と言うものは木と枝がはっきり判るものではありません。どこからか木が枝になっています。イエス様は御自分をへりくだった姿で表されています。そして、私たちは「わたしはぶどうの木」と言われた方のこの世での体が教会であることを知っています。

“教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。”エペソ1:23

ですから教会はキリストの地上のぶどうの木でもあると言えるでしょう。教会を離れては信仰を健全に持続させることは困難です。わがままな一人よがりな信仰になるでしょう。そして教会とはここに集まっている人々のことです。会堂でも牧師でもありません。

“また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。”マタイ9:17

ぶどうを取り入れてぶどう酒にする時に、つぶしてジュースにして醗酵させます。この個所はその事を言っているのです。クリスチャンも生まれながらの肉のままでは役に立ちません。醗酵しなければならないのです。これは牧師をしていると本当に良く分るものです。生まれつき元気な人。才能のある人。わがままな人。こういう人々はつぶされ、ジュースにされ醗酵しなければ神のために役に立つ仕事は出来ません。醗酵する前からクリスチャンはクリスチャンですが醗酵したクリスチャンこそ本物のクリスチャンです。これは人によって違いますがある程度の期間が必要です。従順な人は早く良いぶどう酒になるものです。私は上手く醗酵した良いぶどう酒がこの教会に沢山あることを知っています。良いぶどう酒になる過程にはもう一つの道があります。

“モアブは若い時から安らかであった。彼はぶどう酒のかすの上にじっとたまっていて、器から器へあけられたこともなく、捕囚として連れて行かれたこともなかった。それゆえ、その味はそのまま残り、かおりも変わらなかった。”エレミヤ48:11

ぶどう酒はかめの中に入れて醗酵させるのですが、ある時までぶくぶくと醗酵すると、醗酵が止まります。そうするとぶどう酒作りたちはかすを残して上澄み液を他のかめに移し替えます。するとまた醗酵が始まります。こうして何度か、かめからかめに移し替えることによってぶどう酒は良いぶどう酒に変わって行きます。ここはその事を言っているのです。モアブ民族は今のアラブ民族の先祖ですが、ユダヤ人のように補囚にあったり追放されたりしませんでした。一個所にじっとしていたので民族として磨かれること無く凡庸な民族となりました。クリスチャンの成長においても神様はこのような過程を通すことがあります。忠実なクリスチャンにも時に思いがけない試みがやってきます。ああ、どうしてこんな事が起ったのだろうかと驚いたりあわてたりすることもあるのです。しかし、それはぶどう酒作りの手法なのです。あなたをもっと良いぶどう酒に作り替えるために神様はあなたをかめからかめに移しかえられるのです。そのような試みなくしては人は清められることも、完成されることもありません。実に悩みこそが人を作り上げるのです。

“見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。”イザヤ48:10 “神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精練するように、私たちを練られました。”詩編66:10

あなたは今、悩みの炉の中でしょうか、この精練の途中でしょうか。いつになったら、それは終わるのでしょうか。

“種はまだ穀物倉にあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。きょうから後、わたしは祝福しよう。”ハガイ2:19 (口語訳)

種はまだ納屋にあります。蒔かれてもいません。いろいろな木々もまだ実を結んでいません。しかし、あなたが試みにあった初めから神様は祝福しておられます。あなたは空しく悩み、いたずらに苦しんでいるのではありません。もう祝福は約束されているのです。
悩みと言えば、イエス様は御自身の肉を裂き、血を流して私たちに与えられました。

“また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。”マタイ26:26〜28

“わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。”ヨハネ6:55〜56
自分の血を飲め、肉を食え。なんとすさまじいばかりの愛でしょうか。この方による他に私たちに救いは有り得ません。私たちを罪の体から救い、神の御元に行かせて下さるのは十字架に裂かれた主イエスの肉と流された血潮です。だから私たちは聖餐式を行うのです。パンとぶどう酒は人間のもっとも基礎的な食物として聖書には書かれています。しかし、主イエスの肉と血こそ人間にとって最も必要な食物と飲み物なのです。


蛇足:英語ではぶどうはGrape(グレイプ)ですが、ぶどうの木はVine(ヴァイン)と言います。そこからVinegar(ヴィネガー、お酢)Vineyard(ヴィンヤード、ぶどう園)などが出てきました。Wine(ぶどう酒)はVineがなまったものではないでしょうか。元々はラテン語かギリシャ語でしょうから。