1999・9・12     小 石 泉牧師

ヒゼキヤの勝利

“イスラエルの王エラの子ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。彼はすべて父祖ダビデが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。彼は主に堅くすがって離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。主は彼とともにおられた。彼はどこへ出陣しても勝利を収めた。彼はアッシリヤの王に反逆し、彼に仕えなかった。”U列王記18:1〜7

偉大な王、ダビデの後にソロモンは繁栄し栄華を尽くしました。しかし、これはかなり国民に負担を掛けたようです。その後、ダビデの孫の時代にイスラエルは北朝イスラエル、南朝ユダに分かれました。イスラエルの王たちは非常に悪く、真の神を捨て偶像に仕えました。ユダの王たちはそれほどでもありませんでしたがやはり偶像に仕えることが多かったのです。しかし、ヒゼキヤはここに書かれている通りまれに見る良い王様でした。ところがヒゼキヤに試みがやってきました。

“ヒゼキヤ王の第四年、すなわち、イスラエルの王エラの子ホセアの第七年に、アッシリヤの王シャルマヌエセルがサマリヤに攻め上って、包囲し、三年の後、これを攻め取った。つまり、ヒゼキヤの第六年、イスラエルの王ホセアの第九年に、サマリヤは攻め取られた。アッシリヤの王はイスラエル人をアッシリヤに捕え移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザンの川のほとり、メディヤの町々に連れて行った。これは、彼らが彼らの神、主の御声に聞き従わず、その契約を破り、主のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行なわなかったからである。ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリヤの王セナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々を攻めて、これを取った。そこでユダの王ヒゼキヤはラキシュのアッシリヤの王のところに人をやって、言った。「私は罪を犯しました。私のところから引き揚げてください。あなたが私に課せられるものは何でも負いますから。」そこで、アッシリヤの王は銀三百タラントと、金三十タラントを、ユダの王ヒゼキヤに要求した。ヒゼキヤは主の宮と王宮の宝物倉にある銀を全部渡した。そのとき、ヒゼキヤは、ユダの王が金を張りつけた主の本堂のとびらと柱から金をはぎ取り、これをアッシリヤの王に渡した。”同18:9〜16


ヒゼキヤは周りのぺリシテやモアブを相手にしている間は勇敢でした。しかし、当時最大のアッシリア帝国が押し寄せてきて、隣国イスラエルを占領した時、恐れました。彼の信仰はなえ、不信仰が圧倒し、妥協を図りました。彼はアッシリアに屈し、神殿の金を剥ぎ取って与えました。しかし、妥協からは安全は生れなかったのです。反って物事は悪い方向に向かいました。

“アッシリヤの王は、タルタン、ラブ・サリス、およびラブ・シャケに大軍をつけて、ラキシュからエルサレムのヒゼキヤ王のところに送った。彼らはエルサレムに上って来た。彼らはエルサレムに上って来たとき、布さらしの野への大路にある上の池の水道のそばに立った。彼らが王に呼びかけたので、ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である参議ヨアフが、彼らのもとに出て行った。ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリヤの王がこう言っておられる。いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。口先だけのことばが、戦略であり戦力だと思い込んでいるのか。今、おまえはだれに拠り頼んで私に反逆するのか。”18:17〜20

アッシリヤの王はさらに大軍を送ってきたのです。そしてヒゼキヤだけでなく神に挑戦しました。彼らはイスラエルの神にあざけりと侮りの言葉を掛けたのです。ついにヒゼキヤは不信仰と妥協を捨てました。彼は神を侮る相手には妥協はないことを悟りました。

“ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である参議ヨアフは、自分たちの衣を裂いてヒゼキヤのもとに行き、ラブ・シャケのことばを告げた。ヒゼキヤ王は、これを聞いて、自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮にはいった。彼は、宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに、荒布をまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした。彼らはイザヤに言った。「ヒゼキヤはこう言っておられます。『きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がないのです。おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのすべてのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリヤの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、その聞かれたことばを責められますが、あなたはまだいる残りの者のため、祈りをささげてください。』」ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。主はこう仰せられる。『あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちがわたしを冒涜したあのことばを恐れるな。今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしは、その国で彼を剣で倒す。』”18:37〜19:7

侮辱への義憤、ヒゼキヤもその従者たちも信仰の怒りに燃えました。彼らはまず預言者イザヤのところに行きました。この時イザヤはかなり高齢だったようです。しかし、神の言葉を与えました。イスラエルの神は必ず信じるものを救われると。

“ラブ・シャケは退いて、リブナを攻めていたアッシリヤの王と落ち合った。王がラキシュから移動したことを聞いたからである。 王は、クシュの王ティルハカについて、「今、彼はあなたと戦うために出て来ている。」ということを聞いたとき、再び使者たちをヒゼキヤに送って言った。「ユダの王ヒゼキヤにこう伝えよ。『おまえの信頼するおまえの神にごまかされるな。おまえは、エルサレムはアッシリヤの王の手に渡されないと言っている。おまえは、アッシリヤの王たちがすべての国々にしたこと、それらを絶滅させたことを聞いている。それでも、おまえは救い出されるというのか。私の先祖たちはゴザン、カラン、レツェフ、および、テラサルにいたエデンの人々を滅ぼしたが、その国々の神々は彼らを救い出したのか。ハマテの王、アルパデの王、セファルワイムの町の王、また、ヘナやイワの王はどこにいるか。』」”19:8〜13

イザヤ先生の予言にもかかわらず敵は更に軍隊を増強して攻めてきました。ああ、これは何と私たちの信仰の戦いと似ていることでしょう。大軍を恐れて妥協を図ったヒゼキヤのように、問題が大きいと信仰も萎えてきます。しかし、問題は更に悪化するばかりです。そして信仰に立ち、信仰の先輩や強い人に助けを求めます。しかし、問題は解決するどころか反って悪くなるばかりのように見えます。「これでもまだ私に信頼しますか?」そう聞かれているようです。ついに私たちは神にだけ信頼するのです。ヒゼキヤはついに自分の神に直接訴えます。

“ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取り、それを読み、主の宮に上って行って、それを主の前に広げた。ヒゼキヤは主の前で祈って言った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばを聞いてください。主よ。アッシリヤの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。」”19:14〜19

なんと雄々しい祈りでしょうか。寄せ来る大軍を前にして神にのみ頼る信仰です。これこそ神が求めたもう全ったき信頼、本当の信仰の祈りです。

“アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた。「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』それゆえ、アッシリヤの王について、主はこう仰せられる。彼はこの町に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾をもって迫らず、塁を築いてこれを攻めることもない。彼はもと来た道から引き返し、この町には、はいらない。・・主の御告げだ・・わたしはこの町を守って、これを救おう。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。」その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、帰ってニネベに住んだ。彼がその神ニスロクの宮で拝んでいたとき、その子のアデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺し、アララテの地へのがれた。それで彼の子エサル・ハドンが代わって王となった。”19:20〜19:37

神は答えられました。18万5千人の死者。当時の超大国アッシリアの大軍も、神の前にはたった一晩で壊滅してしまいました。恐らく伝染病か食中毒でしょう。(戦前のことですが、私の高校(当時は中学)で創立記念日に紅白まんじゅうを配りました。その晩、市内で百人以上の人が死にました。サルモネラ菌による食中毒でした。)
私たちはヒゼキヤの信仰に励まされます。彼は決してスーパーマンではない。時に恐れ、時に不信仰になり、時にためらい、しかし最後に頼る方を知っている。そして神はそのような者にも大勝利を与えられるのです。